第十四話 決意を胸に挑みゆく
「だ、ダメだ……殺される……!!」
逃げると決めた俺の行動は早かった。瓦礫の中にあえて潜り込み、オークやパイアの目をかいくぐって戦場を離れる。もはやエリーに号令の杖をとってきてほしいと頼まれたことなど俺の頭にはなかった。
幸いにも建物は振動で崩れず、無事に戦場から少し離れることができた。一瞬ほっとしたが、そんな俺にくぎを刺すようにエリーの苦しそうな叫びが城中に響き渡った。
「ご主人様! 杖はまだですか!?」
(エリー……すまない。許してくれ!)
エリーの叫びに、俺は心の中で詫びながら振り返らずに走り続けた。命の危機もあるが、俺では役に立たない事実も逃げ足に拍車をかけていた。だから逃げる。たとえそれでエリーに失望されても、きっとそのほうがいい。
「見ツケタ! 居タゾ!!」
「しまった!?」
一瞬注意が途切れたせいか、別なオークに見つかってしまった。だが距離は離れている。いまから走って森の中に飛び込めば―――
「逃がすな! 魔王様の復活を知った以上、殺せ!!」
「承知シマシタ! 弓、構エ! 撃テ!!」
俺が走るよりも、パイアが号令してオークが弓を構えるほうが早かった。山なりに放たれた矢の雨が俺をめがけて降ってくる。数だけでなく範囲も広く、よけることができない―――!!
「うわぁぁ!」
情けない悲鳴だ。しりもちをついて、涙がこぼれそうなほど無様に目を見開いている。だが俺の無様にオークや矢の雨が情けをかけてくれるはずもなく、眼前に迫る死から俺は目をそらした。
そして、数舜後に続いく肉の裂けた音と骨が砕けた音が、俺の身体を恐怖にすくませた。
「あ、あれ……?」
しかし、痛みがない。予想していた衝撃もない。というか、死んですらいない。どういうことなのかと俺が目を開けると、そこには信じられない光景があった。
エリーだ。俺をかばったエリーが無数の矢を真正面から受けながら、仁王立ちで盾になっていたのだ。
「エリー!!」
「ご主人、さま……お怪我は……」
「大丈夫だ! でもなんで! どうしてかばったりなんかした!」
「御身の危機ならば……はせ参じるのが私です……早く……杖、を―――」
エリーが俺に杖を取りに行くよう懇願する。しかし、俺はそんな彼女にうなだれて「無理だ」と答えるしかなかった。
「え……」
「俺には無理だ! 本当に何もわからないんだよ! お前のことも! ウラル王国の事も! 杖だって俺じゃあ取りに行けない!」
「そんな……ことは……」
「本当だ! 俺は何の役にも立たない情けない男なんだよ!!」
のどが張り裂けんばかりに叫んでいた。魔物狩りを初めて二十年。頑張っても芽が出ることはなく、最後にはレヴィスのパーティーでこき使われ、踏み台にされて捨てられたのが俺だ。そんな男に、いったい何ができるというんだ?
「俺は……家族も守れなかった! 二十年魔物の討伐を続けても何の功績も残せなかった! そんな俺がハーディン王なわけがない! もう諦めてくれよ……」
「…………」
みっともなく嗚咽を漏らす俺の前で、エリーはしばし無言だった。そしてゆっくりと立ち上がると、そのままパイアをもう一度にらみ上げた。
「では、お逃げください。私が時間を稼ぎます。その隙に、連中の手の届かない所へお逃げください」
「え―――な、なんでだ!?」
エリーは俺に怒るでもなく失望するでもなく、ただそう言った。それが信じられなくて、俺は思わず彼女に聞いていた。
「わたくしにとって何より守りたいのはこの城とご主人様です。魔物と魔王はわたくしから理不尽にご主人様を奪いました。これ以上、何も奪わせるわけにはいかないのです。それに……」
一度だけ、エリーが俺を振り返った。その顔には、無数の矢が刺ささり、満身創痍とは思えないほど柔らかい微笑みが浮かんでいる。
「ご主人様は、土地と民衆を守ることを何よりの使命とされておりました。であれば、従者たるわたくしが、あなたを見捨ててご主人様の顔に泥を塗るわけにはまいりません」
その微笑みと強い覚悟に、俺は何も言えなかった。そして彼女はパイアに向き直ると、そのまま振り返らずに言い放った。
「さあ、早く! 最後までお供できず申し訳ありません!」
「第二射! 構エー!!」
オークの号令がかかる。エリーはパイアからオークへと狙いを切り替えるとそのまま敵陣へと切り込んでいった。
「……」
それを見届けた後で、俺は城の中へ身を隠すように飛び込んだ。無理やり彼女の戦いから背中を向け、エリーの奮戦を無駄にしないようにと言い訳をしながら走ろうとした。しかし
「エリー……」
結局少しも走らないまま足は止まり、気づけば俺は彼女がいる戦場を振り返っていた。
俺はこのまま、この場所から逃げるべきなのだろうか。もちろん、俺が何かの役に立つわけもないから逃げるのが賢明なのだろう。だが、俺の足を止めたのはそういう理屈ではなかった。
それはエリーの姿だ。彼女のあの姿に、逃げる俺をそのまま守ろうと立ち上がった彼女に俺は心をつかまれたのだ。
「大切な物―――」
彼女にとってそれは、思い出が詰まったこの城とハーディン王自身だ。だから四千年という気の遠くなる時間、この城を守り続け、魔王が復活したと知ればすぐに戦うことを決めた。
だが、それだけなのだろうか。その理由の背後にあるものは何かを考えて、俺はここ数日この城で見た彼女の様子を思い出す。
彼女は、俺をハーディン王と信じて疑わず、何でもかんでも世話を焼こうとしていた。実際、寝室で寝る時と風呂に入っている時以外はほとんど一緒にいた。
どうしてそこまでしていたのか。それを考えたとき、ふと頭をよぎったのは俺が城のベッドで目を覚ました時の彼女の言葉と、彼女が語ったハーディン王の最期だった。
(……ご主人様は、忌まわしい魔王から私たちを逃がして亡くなられたのです)
「ああ、そうか」
彼女は俺と同じだったのだと、今更気が付いた。あれだけ必死だったのも、俺をハーディン王だと信じて疑わなかったのも、全ては大切な人が二度と自分の前から消えないようにと必死だったが故の行動だったのだ。俺が家族を守れなかったことを後悔したように、エリーもまた、ハーディン王を守れなかったことを強く後悔していた。
(なにやってんだ俺は……!!)
悔しさに歯噛みする。パイアに対抗できない無力な自分ではなく、人の悲しみや後悔といった感情に鈍くなった自分に。いつから名を上げることに囚われていた? どうして劣等感の前にうずくまっていた? そんな事よりももっと大切なことが、大切な物を理不尽に奪わせないという願いがあって、俺は魔物狩りになったのに。
家族を魔物に奪われ、レヴィスに利用され続ける形で時間を奪われ、濡れ衣を着せられて名誉を奪われたのに。よくも理不尽に奪われることへの怒りを、魔物狩りになった最初の理由を忘れられていたものだ。
「逃げてる場合じゃねえ……! なにが二十年頑張ってきた、だ。四千年も頑張ってきたエリーの前でよくもまあ恥ずかしくなかったな!! 俺は!」
自らを叱咤し、頭の中で見てきた情報を頼りに敵と味方のパワーバランスを測る。レヴィスのパーティーでさんざん危ない橋を渡らされ、それでも生き延びてきた俺ならできるはずだ。
「やはりパイアが厄介だ。どうにかならないか……?」
オークはまだいい。普通の人間には脅威だが、エリーなら対処できる。だが問題はボルゲアよりも強く巨大なパイアだ。エリーではサイズの差もあって太刀打ちできない。
「そうだ目だ。あの目だけは固くないはず」
いかに体毛や筋肉が硬くても、目は柔らかいに決まっている。目をつぶすことが出来れば、奴もたまらず逃げ出すかもしれない。しかし
「ナイフ一本で、どうすれば……」
今手にあるのはナイフが一本だけ。だが、諦めるわけにはいかない。
そう思ってあたりを見渡すと、周囲に崩れた瓦礫や折れた梁、壊れた家具などのガラクタがある。それらを見て俺はあるひらめきを得た。
「そうだ!」
間に合うようにと祈りながら俺は作業に取り掛かる。折れた梁の中からちょうどいい棒を見つけると続いて朽ちた絨毯を引き裂いて紐を作る。そして持っていたナイフを棒の先端に紐に括り付け、しっかりと固定すると即席の槍が出来た。
「よし……うん、いい出来だ」
出来上がった槍だが、少し振ってもナイフが外れてしまうことはない。パイアの目に突き刺す分には問題ない強度だ。
「急げ……!」
地上からパイアの目を狙うことはできない。俺は瓦礫をよけながら急いで塔を駆けのぼると寝室に向かった。
壁も屋根も崩壊した寝室からは戦況が一望できた。今はエリーが奮戦しているが、戦況は明らかに不利だ。飛行速度はがた落ちして、飛翔というよりは跳躍するのがやっと。ところどころ出血すらしている。パイアは今まさに彼女にトドメを刺すところなのだろう。
だが、これはむしろ俺にとって有利に働いた。なぜならこの状況、裏を返せばパイアの注意が完全にエリーに向いているという事だからだ。今のパイアは俺からすれば隙だらけで、飛び移ることはたやすいはず。
「行くぞ!」
意を決して塔から飛び降りる。果たして奇襲は完全に成功し、パイアに気づかれないまま肉薄すると、俺は槍を抱きしめるように逆さに構えて体重と落下速度を載せて相手の巨体へと突き立てた。
ナイフを槍にした理由がこれだ。斬撃も衝撃が通らなくても刺突が通る可能性はある。だから俺はその一点にかけて、刺突しやすい槍にナイフを改造したのだ。
そして槍は俺が思った通りにパイアの剛毛を貫くと筋肉へ突き刺さった。
「なんだ!?」
全く想定外の咆哮から飛んできた攻撃にパイアが悲鳴ではなく驚きの声を上げる。さすがに筋肉に突き刺すだけでは大したダメージにならないのだろう。
だが、勝負はここからだ。突き刺した槍を起点に体を持ち上げてパイアの身体をよじ登る。背中の部分まで登るとパイアは俺が上っていることに気が付いて振り落とそうと身をよじった。
「ええい! 人間ごときがこしゃくな―――」
「そこだ!」
だが、俺は揺れるパイアの背中を一気に駆け抜けるとちょうど額に当たる部分からヤツの鼻っ面へと飛び降りる。そして、黒い体毛に覆われていない右目に向けて槍を突き出した!
「プギャアア!?」
さしものパイアも目に槍を突き刺されるのは大ダメージだったようで、すさまじい悲鳴が大気を揺るがし、俺の内臓を直接打ち付けた。
「う、おおおおお!!」
しかし俺はそれに耐えて、雄たけびを上げながらひねりを加えて槍をねじ込んだ。するとパイアはますます大きな悲鳴を上げて傷口から赤い血を噴き出した。
「は、な、れろオォォ!!」
だが、そこまでだった。槍がこれ以上刺さらなくなった時、パイアが激しく頭を振った。槍にしがみついて耐えようとした俺だったが、あまりの激しさにとうとう槍から振り落とされてしまったのだ。
「うわぁぁ!!」
「ご主人様!」
宙に投げ出された俺を受け止めようと、エリーが翼を広げて迫る。だがエリーの手はあと一歩のところで届かず、運悪く俺は飛び出したパイアの牙に吹っ飛ばされて城のほうへと落下した。
目の前で星が舞う。ここはどこだ。なんだか薄暗い場所だが一体……
「やってくれたな人間……!!」
朦朧とする意識の中で、パイアの怒声が聞こえた。そんなバカな。こいつは、右目を失明してまだ戦意を失っていないのか。
「お返しだ……受けるがいい!!」
すさまじい熱量を感じる。それに対して俺はパイアがあの極太の光線攻撃をまた撃とうとしているのだと思った。
だが、もう全身が痛い。体が、動かない……!!
「逃げてくださいご主人様!!」
「死ね! 人間!!」
エリーの悲痛な叫びとパイアの怒声が重なる。そして光線は俺のいる方向へと放たれた。




