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第7章 新しい扉 15

 その扉には、他のこの城の扉たちと同じように、ノブやレバーはない。

 七都は、扉に手をかざした。


 扉はゆっくりと開いたが、その中に現れたものを見て、七都は、あっけに取られる。

 そこには、銀色の壁がそそり立っていた。

 リビングにある緑の扉がこの世界と繋がっていないときの、あの灰色のコンクリート。それに、銀の絵の具を丁寧に塗ったような壁だった。


「なに、これ。まだ繋がっていないってことなの? 一定の時間が来ないと、繋がらない?」


 七都は、壁を撫で、それからたたいてみた。

 やはり壁だ。それ以外の何ものでもない。


「そんなに悠長ではありませんからね、私は。少し座標をずらしてあります。それを元に戻せば、設定した場所に繋がります」


 ルーアンが言った。


「どうやればいい?」

「もう一度扉を閉めて、探ってみてください」


 七都は、再び閉じられた扉の前に立った。

 この前、元の世界に帰るときに、緑の扉のレバーハンドルを探したときのことを思い出す。

 あんな感じだろうか。


 目を閉じると、二つの重なる扉のイメージが飛び込んできた。

 それは、猫の目ナビの中に見た映像とよく似ている。

 これが重なると、おそらく扉は別の場所に繋がる。

 重ねよう。単純だ。

 こういうことは、遠い昔、数え切れないくらいやったことがあるような気がする。

 これは、母から受け継いだ記憶なのか。

 それとも、それ以前の、魔神族の先祖たちの?

 七都は両手を前に出し、二つの長方形を引き寄せた。

 扉は七都の手に操られるように、次第にその距離を縮め、ぴったりと重なり合う。

 七都は、何か音を聞いたような気がした。

 ガラスがはじかれたような、澄んだ音色だった。


「繋がりました。どうぞ」


 ルーアンの声がする。

 七都は目を開けた。そして、扉に開くように命令する。

 扉は、再び開く。

 その向こうにはもう、銀色の壁はなかった。

 確かにどこかに通じていて、そこから流れ込む湿った空気が、七都の顔にぶち当たる。


 七都が思い切って一歩を踏み出そうとしたとき、その空間から、いきなり誰かが現れた。

 その人物は、七都をよけようとして失敗し、七都を抱きしめるような格好で、床に倒れてしまう。

 七都は、すぐに体勢を立て直して起き上がり、自分の下に横たわっている人物を見下ろした。

 あたたかい体温が、その人物の服を通して伝わってくる。

 人間だ。

 滑らかな白い床に広がるのは、少しウエーブのかかった鮮やかな赤い髪。

 七都を驚いたように見上げるその目は、若草の透明な緑だった。

 七都のよく知っている、その色の組み合わせ。間違いはなかった。

 七都は、叫ぶ。


「セレウス!?」


 セレウスは、かろじて微笑んだ。もちろん、苦笑じみた微笑みだったが。

 もしかすると、突進してきた七都に体をぶつけられた痛みを我慢しているのかもしれなかった。


「二度目ですね。あなたにこうやって、上に乗っかられるのは」


 セレウスが横たわったまま、明るく言った。


「なんですと?」

「なんだって?」

「は?」


 背後の男たちは、微妙な空気の中、顔を見合わせる。


「セレウス、何でここにいるの!?」


 七都が訊ねると、セレウスは、今度は思いっきり苦笑した。


「何でですって? ここは私の家だからですよ」

「え?」


 七都は顔を上げ、周囲を見渡した。

 確かに見覚えがある光景だった。

 狭い廊下。薄暗いが、垢抜けた装飾がきちんとされた、その湿った空間。

 廊下の先には階段があり、その上からは月の光が淡く降り注いでいた。


「ここ……。あなたのお屋敷だ!」


 七都は、呆然として呟く。


「そうですよ。だから、私がいてもおかしくはないでしょう?」


 セレウスが、七都に乗っかられたまま、答える。


「じゃあ、扉は!?」


 七都は、扉を振り返った。


 七都とセレウスを見つめる側近の男たちの後ろに、今通り抜けてきたばかりの扉があった。

 その中には、風の城のホールの景色が見えている。

 建物を支える柱、魔の領域の夜の空を移す窓。

 七都が先程まで確かにいた場所だった。

 しかし、その景色を囲っているのは、長方形の木製の枠。

 枠にくっついている扉も、質素なものだった。

 もちろん七都にとっては、馴染みのある扉ということになる。


「あれは、カトゥース畑の地下室の扉!?」


 セレウスは、頷いた。

 カトゥースの花の群れが見えるはずの空間に、風の城の内部の景色が、切り取られてはめこまれたかのように見えていた。


「そうですよ。だから、驚きました。畑に行こうとして地下室の扉を開けたら、いきなりあなたが……」


 七都はセレウスを見下ろし、それから再び男たちを振り返る。


「ルーアン! まさか、わざとここに城と通じる扉を作ったの!?」

「当然でしょう? 少し調査し、皆と相談した結果、そういう結論に至りました。この屋敷が遺跡からも近く、且つ一番安全な場所であろうと。扉には、管理する者も必要ですしね。その点、アヌヴィムなら適任かと。ここの扉を選んだのは、この屋敷内でいちばん目立たず、太陽の光も届かないからです。間違った時間に扉を開けても、太陽にさらされることは、まずありません。」


 ルーアンが、事務的に説明する。


「安全って、適任って! ここの扉を使ったら、カトゥース畑に行けないじゃない!」


 ルーアンは、僅かに眉を寄せた。


「ご心配には及びません。扉が城と繋がるのは、扉を使用するときだけですから。それに、魔神族に関係のない普通の人間は、こちらから向こう側へは行けません。誰かがあちらから扉を開けたときに入り込む以外はね。ですから、普段はまったく変哲のない、ただのカトゥース畑の扉ですよ」

「そ、そう? ならいいけど。い、いや、よくないよ。ここはセレウスのおうちなんだから。彼とお姉さんのゼフィーアの許可をもらわなくちゃ。勝手にこんなことして!」


 七都が言うと、シャルディン以外の魔神族の三人が眉をひそめた。


「なぜアヌヴィムの許可をわざわざ取らないといけないんですか?」


 代表して、ルーアンが訊ねる。


「なぜって! 何で許可を取らなくてもいいのか、それが私にはわからないっ!」

「アヌヴィムだからさ」


 ナチグロ=ロビンが、あきれたように呟いた。

 それから、さらに冷静に付け加える。


「それよりも七都さん、その体勢ヒワイだから、さっさとどいたら? いくら魔神族の小柄な七都さんでも、そのアヌヴィムにとっては、それなりに重いと思うよ」


 七都は、はっとして、慌てて立ち上がる。

 セレウスは安堵したように、とはいえ、少し名残惜しそうに微笑んだ。


「私共のことは、気にかけていただかなくてもよろしいですよ。喜んでその扉を守り、管理させていただきます」


 かわいらしい、けれども凛とした少女の声が響いた。

 いつのまにか階段の前に、ゼフィーアが立っていた。 

 暗い赤のドレスに、小さな真珠を散りばめた半透明のショール。耳と額には、銀の飾りが輝く。

 月の光に照らされた彼女は、相変わらず美しく、そして妖しげな美少女だった。


「ゼフィーア!?」


 七都が叫ぶと、ゼフィーアは上品に微笑み、それから丁寧に腰を引いて、頭を下げた。


「お帰りなさいませ、ナナトさま。弟と共に、この屋敷に再びあなたをお迎え出来る日をお待ち申し上げておりました」

「ゼフィーア。……ただいま」


 七都は、呟く。


 ゼフィーアとセレウスの姉弟。

 彼らとたくさんの猫たちが住む、居心地のいい屋敷。

 七都が初めてこの世界に来て、あたたかく迎え入れられ、いろいろなことを教えてもらった場所だった。

 帰ってきたのだ、やっとここに。

 いきなり風の城からここに来たので、面食らったのは確かだが、改めてその事実が七都をじんわりと感傷的にさせる。

 そう、戻ってきたんだ、私は。ここを出る前に、二人に言った通り。

 約束したものね。自分の世界に帰る前に、ここに必ず寄るって。

 彼らとの約束を果たせたことに、七都は安堵した。


「思いがけず、お早いお帰りでしたね。もう少しお待ちせねばならぬのかと思っておりましたよ」


 ゼフィーアが、にっこりと笑う。


「だって、夏休みが終わっちゃうもの」


 七都は、ゼフィーアのそばに瞬間移動した。

 ゼフィーアは、さして驚きもしなかった。そして頷き、嬉しそうに言う。


「短い間に成長されましたね、ナナトさま。背も伸びられたようですし。何より、美しくなられました」

「ありがとう。でも、魔力はまだそんなに使えないの」


 七都は、ゼフィーアの手を取った。

 本当なら、感情が高ぶるままに彼女を抱きしめたいところだったが、以前のこともあるので、遠慮しておく。


「ご無事に戻られて、何よりです。心配していたのですよ。特にセレウスは」


 七都は、セレウスのほうを振り向く。

 彼は既に立ち上がり、まだ夢の中にいるかのような表情で、七都をぼんやりと眺めていた。


「あなたに何かあったのではないかと。それはもう、うるさかったのです」

「ありがとう、セレウス。そして、ごめんなさい。心配かけて」

「いえ。本当に、ほっと致しました。少なくとも、ナナトさまは幽霊の重さではありませんでしたし」


 セレウスが言う。

 七都は軽く彼を睨んだあと、仕方なく、にっこりと笑う。

 セレウスったら。ちょっと滑っちゃってるんだけど……。

 でも、なごませようとしてくれたんだよね、きっと。


「では、ナナトさま。よろしければ、どうぞ客間に。まだまだお話は続けていただかねばなりませぬから。カトゥースのお茶をご用意いたしましょう。お供の方々にも、もちろん、お部屋を準備いたします。ごゆるりとおくつろぎくださいませ」


 さすがに魔神族に関して経験豊富なゼフィーアは、一瞬で、七都の後ろに固まって立っている男性たちの素性を見抜いたらしかった。

 セレウスのほうは、そうはいかず、ただわけがわからぬままに彼らを見つめるだけだった。

 <誰だ、この怪しげな集団は?>という疑問が、露骨に顔に見て取れる。


「あ、そうだ、紹介が遅れちゃった。みんな、この二人が、ゼフィーアとセレウス。アヌヴィムの魔法使いさん。私が初めてこの世界に来たとき、とてもお世話になったの」


 ゼフィーアが丁寧に頭を下げる。

 セレウスも、しぶしぶという感じで彼女にならった。


「でね、この人たちは、私の側近なの。ルーアン・クラウデルファ公爵、カーラジルト・アールズロア伯爵、あ、ナチグロ=ロビンは知ってたよね。彼は、わたしの侍従長」


 七都にきちんと名前を言ってもらえなかったナチグロ=ロビンは、少し不満そうな顔をした。


「それから、シャルディン。彼も、アヌヴィムの魔法使い」

「ナナトさまのアヌヴィムです。よろしくお願い致します」


 シャルディンが、丁寧に挨拶をした。

 セレウスの顔が引き歪む。


「ナナトさまのアヌヴィム……ですって?」


 七都は、天を仰って、溜め息をつきたくなる。

 やっぱり……。

 セレウス、びっくりするのが終わったら、かなり落ち込むんだろうな……。


「当然ですわ。ナナトさまにアヌヴィムがおられても」


 ゼフィーアが言った。


「そして、ストーフィ。光の魔王ジエルフォートさまが作った機械猫。機械だけど、ちゃんと意思を持ってるからね。お話は出来ないけど」


 ゼフィーアが、まあ、という感じで、ストーフィを見る。

 ストーフィは、相変わらずの無表情なオパール色の目で、彼女を見つめ返した。


「光栄ですわ。魔王さまが作られた機械を拝見できるなど……」

「ナナトさま。あなたはいったい……? やはり、風の王族の姫君だったのですか? 公爵さまや伯爵さまを側近だと言われた。それに、侍従長……? さらには、光の魔王さまともお知り合い……?」


 セレウスが、おずおずと訊ねる。

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