第6章 招かれざる客人 12
「いけませんよ、いけません! そういうことを考えては!」
その人物が、足早に歩きながら、七都に声をかける。
「シルヴェリスさまを拒否されてよかったんです!」
「誰っ!?」
七都は、さらにドレスを抱きしめ、その人物を睨んだ。
魔神族の美しい若者だった。人間でもアヌヴィムでもない。
ストレートの艶やかな黒髪は背中ぐらいまで伸び、風できれいなラインを描いて舞う。
目は薄いオリーブグリーン。背は、ナイジェルと同じくらいだろうか。
動きやすそうでシンプルな白い衣装を身につけていた。
七都に近寄ろうとした若者は、自分に注がれている七都の視線に気づいて、立ち止まった。
おびえた視線。不審者に対する疑いの視線だ。
「ああ、だいじょうぶですよ。あなたがそういう格好でいらしても、私は一向に構いません。何とも思いませんし」
若者が言った。
七都は、身構える。
『一向に構いません』『何とも思いません』などと言われても、さらに不審度が上昇するだけだ。
誰、この人!?
何でこんなところにいるの?
「ナナトさま。もしかして、私のことがおわかりにならない……?」
若者は、明らかに傷ついた様子で、七都にそう訊ねた。
「わかんない。あなたなんて知らないよ。誰? 風の魔貴族? 勝手にお城に入ってきちゃだめだよ。それともルーアンに、ここに立ち入る許可もらってるの?」
七都は言いながら、さらにドレスをきつく抱きしめる。
もう。誰だか知らないけど、こんな状況の若い女の子に近づいて来るなんて!!
彼は、深い深い溜め息をつく。
さらに傷ついた様子だった。
「ああ、情けない。本当にわからないのですか……」
「わからないってば。ごめんなさい。前に会ったっけ?」
彼はもう一度溜め息をつき、それから七都を見下ろした。
七都は、喧嘩を売られた猫のように身構える。
「ご自分で、私を侍従長にと決められたのでしょう? 侍従長がわからないのですか」
「侍従長!? ……ってことは……ナチグロ!?」
七都が叫ぶと、その若者は大きく、けれども仕方なしに頷いた。
「その名前で呼ばないで下さいと、何度もお願いしたはずですが?」
七都は彼を、穴の開くくらいに眺めた。
確かに彼には、ナチグロ=ロビンの面影があった。
艶のある黒髪には、ナチグロと同じように天使の輪が出来ている。
目は、多少色は違うとはいうものの、同じく金色に輝いている。前に比べて緑色の量が多くなっていて、全体的にオリーブグリーンに見える。
けれども、目の前にいるのは少年ではなく、とうに少年を過ぎたりっぱな青年だ。
「うそ……。だって、そんな……。本当にあなたなの? ナチグロ……じゃなかった。ロビン。ロビーディアンなんとかかんとか」
「私ですよ。ロビーディアングールズリリズベットティエルアンクピエレル」
彼は、少年の姿であった頃のように、自分の名前をきっちり発音してみせた。
「魔神族は、自分の好きな年齢に姿を変えられるのです」
若者になったナチグロ=ロビンは、今更という雰囲気で眉をしかめ、七都に説明する。
「もちろん知ってるけど。……でも、喋り方が違う。丁寧になってる。尊敬語使ってる。それに『ナナトさま』って言ったよね。あなたが、七都さまあ?」
「この姿であの口調だと、全く相容れないし、説得力がないでしょう?」
ナチグロ=ロビンが、むっとした様子で言う。
「何で突然、その姿形なの?」
「何でって? ああああ、情けない、情けない。あなたをお助けするためにここに来たというのに」
ナチグロ=ロビンは、頭を抱える真似をする。
「助ける? わたしを?」
「シルヴェリスさまをお止めしにきたのですよっ」
「あ……。そうなんだ……」
七都は納得して、髪を少し逆立てたナチグロ=ロビンを見上げた。
「でも、何でナイジェルを止めるのに、その年恰好?」
ナチグロ=ロビンは、くわっと口を開けた。
「だから、見た目がシルヴェリスさまより年上のほうが、より説得力が増すでしょうっ!?」
「な、なるほど……」
七都は口を歪めて、笑い出しそうになるのを押し込める。
「でも、無理して丁寧語だの尊敬語だの謙譲語だの使わなくていいよ。前のままのほうが親しみが持てるし、あなたらしい」
「そう? そういうことなら……」
ナチグロ=ロビンは言いかけたが、ぶんぶんと首を振った。
「いかん、いかん、ケジメがつかん」
「いいよ、つかなくても。ロビン、ありがとう、来てくれて。もしかして、ナイジェルの行動にびっくりしたの? わたしもびっくりしたけどね。でも、ナイジェル、最初からそんな気はなかったみたいだよ。もうお城に行っちゃったし」
「甘いよ、七都さん」
『ケジメ』がどうとか口にした割には、彼はすぐに前の口調に戻って、七都に言った。
「ああいう状況で七都さんに何もしなかったシルヴェリスさまを尊敬するよ。七都さんが同意してたら、間違いなく事はなされたと思うけど?」
「そうかな。私が同意しても、彼は何もしなかったと思うよ。ルーアンを敵に回すなんてこと、彼がするわけないもん。ルーアンは、わたしのたったひとりの身内で、次のリュシフィンになる可能性が高い人なんだからね。わたしたちみんな、おちょくられたんだよ。わたしもルーアンも、あなたも。ナイジェルは、ここにリュシフィンがいないってことがどういうことなのか、わたしたちに教えようとしたんだ、きっと」
「そうかもしれないけど。どっちにしろ。気をつけてよ、七都さん。もし魔王さまのお子様を身ごもりでもしたら、もう元の世界には戻れないぞ」
「気をつけてって言われてもな。魔王さまに本気で押し倒されたら、抵抗の仕様がないからなあ。でも、ナイジェルはわたしの意思を無視したりはしない。わたしはまだ結婚はしないし、もちろん子供も生まない。彼も、それをわかってくれてるよ。まあ、とにかく、ヒニンはしなくちゃね」
七都が言うと、ナチグロ=ロビンは、本日二度目のムンクの『叫び』ポーズをした。
「ひ、ヒニン!? 避妊だとおっ。あああっ、七都さんの口からそんな言葉が出るなんてっ!」
「何言ってんの。わたしはもう高校生だよ。あと五年もしたら大人だし。学校でも、そういうことは習うし。って、肝心なことは、すっとばされるけど。避妊具の種類一覧のプリント配るだけで、あとは各自で読んどくように、だもんね」
「うそだっ。七都さんは、この間生まれたばかりなのにっ。つい最近までヨチヨチ歩きの子供だったのにっ」
「子供はいつのまにか成長するの。まったく、どんな感覚してるんだよ。ヨチヨチ歩きから、既に十数年はたってるって」
「うううう。何て早いんだあああ。七都さん、二十年前は、影も形もなかったのにっ!」
「それはあなたも同じでしょ。五百年くらい前は、影も形もなかったんでしょう」
「そりゃま、そうだけどおっ」
「第一、わたしはあなたが出した成人式の試験にパスしたんだからね。そういう意味ではオトナだよ」
ナチグロ=ロビンは夢からさめたように、金色の混じったオリーブグリーンの透明な目をしばたたかせた。
それから、頷く。
「そう。そうだった。年寄りの単なる戯言だ。聞き流して、七都さん。あ、いや、ナナトさま」
「あなたに『ナナトさま』なんて呼ばれると、気持ちが悪いんだけど」
「あ、そ。じゃ、七都さん。ほら、立って」
ナチグロ=ロビンが、早速遠慮なく言う。それから彼は、七都にずいと近づいた。
「え? ち、近いんですけどっ?」
七都は、思わずドレスをきつく抱きしめる。
「そのドレス、ひとりじゃ着られないだろ。着せてやるから、さっさと立って。ぼくは七都さんのハダカを見てもなんとも思わないって言ったろ」
「あ。ありがとう、ロビーディアン」
七都が花畑の中に立つと、ナチグロ=ロビンは、七都が手にしていたドレスをひったくるようにして広げた。
それから彼は、手馴れた様子で七都にドレスを着せて行く。
七都は、真摯に仕事をする彼の顔を見つめた。
それは見慣れた少年のものではなく、七都の知らない大人の男性の顔だった。
彼は、少年のときよりも、はるかに背も高くなっている。
背中を伸ばして真っ直ぐ立った彼の顔を見るためには、七都は首の角度をかなり調節しなければならなかった。
七都は、不必要にどきどきする自分を抑えた。
これはナチグロだ。飼い猫のナチグロ。あのこまっしゃくれた、生意気な猫少年。
でも、そう思うにはちょっと無理があるんだよね……。
だって、ナチグロ、素敵すぎるんだもん。
まったく、この変わりようったら。ほんと戸惑っちゃう。
「あなたって、大人になったら、やっぱりかなりのイケメンさんになるんだね。確かに美少年だったけど」
「当たり前だろ」
彼が、容姿の優雅さに似合わない、つっけんどんな口調で言った。
「何か、照れちゃうよ」
「そう? ぼくは特に照れないから」
「ね。ロビン。ナイジェルが言ってた。あなたは、わたしが発情しても他の魔神族の男性のようにはならないって。あなたは信頼できるって」
「シルヴェリスさまは、鋭いからね」
ナチグロ=ロビンが、ドレスのリボンを引っ張りながら言う。
「なぜ? 教えてもらってもいい?」
ナチグロ=ロビンは作業をやめ、黙って七都を見下ろした。




