第6章 招かれざる客人 7
ルーアンの庭園は、美しかった。
昨日、そこでお茶会をしたときよりも。そして、天辺の部屋から初めてそこを見たときよりも。
(たぶんそれは、ナイジェルがいるからなんだ)
七都は、前を歩いているナイジェルの後ろ姿を眺めながら思う。
穏やかな風に吹かれて彼の黒いマントが優雅に波打ち、相変わらずボサボサに見える銀の髪の先が、やわらかく揺れる。
彼が存在することによって庭園はさらに新鮮さを増し、その新鮮さは、やがて身近な大切なものに対する感覚に変化していった。
こんなところにこんな花があったんだ。
こんな景色があったんだ。
七都はナイジェルと一緒に歩いて、小さな発見を幾つもした。そして、その一つ一つが、どれも嬉しかった。
鏡のような池の水面に浮かぶ、鮮やかな花々。
花がトンネルのように覆いかぶさった道。
宙に浮いて見えるように配置された、見事な寄せ植えの鉢。
七都はルーアンのセンスに感動し、同時に誇りにも思った。
なんとなく癪にさわるけど、ルーアン、やっぱり素敵だ。
七都は心の中で、素直に彼の仕事を褒めたたえる。
(わたし、今、デートしてるんだよね、ナイジェルと)
改めてそう思うと、冷たい頬がみるみる熱くなった。
男の子とデートなんて、人生初だ。
しかも、相手はナイジェル。しかも、こんなきれいな庭で。
なんて素敵……。
七都の唇は勝手にゆるみ、気をつけないと、あからさまに笑みがこぼれてしまう。
サリアが選んでくれた白いドレス。白といえば、女の子が初デートに着ていく定番の色だ。そして、もちろんウエディングドレスの色でもある。
サリアは、まるでこういうことを見越して、この白いドレス選んだようにさえ思えた。もちろん、偶然に違いないのだろうが。
本当に彼女が侍女になってくれてよかった。七都は、サリアに感謝する。
わたし、きれいに見えてるかな。似合ってるはずなんだけどな。
雑音のような、わけのわからない、そわそわした妙な心配が、七都の胸のあたりにわだかまる。
そういう気持ちになってしまうのが、自分でも何となく滑稽だった。
「静かだね……」
ナイジェルが、ゆっくりと七都を振り返る。
七都は、少しどぎまぎしながら、彼の視線を受け止め、頷いた。
彼の透明な目に、今自分が映っている。
それは嬉しかったが、先程ナイジェルに対してやってしまった行為が、とてつもなく恥ずかしいことに思えて、出来れば深くうつむきたい気分だった。
そしてそれには、どこか花の茂みに顔を突っ込んで隠れてしまいたくなる衝動も、確かにくっついていた。
魔王さまに飛びついて、取りすがって、抱きしめられて大泣きするなんて。
魔神族には考えられないことだろう。
たぶん、みっともなくて、恐れ多くて、はしたないこと。
あの時のルーアンのしぶい顔といったら……。
<ナナト。もう、それくらいに……。失礼ですよ>
絞り出すような声で、ルーアンは七都に注意した。
顔面蒼白。いや、いつもの白い顔がさらにもっと白くなり、どこか悲しげで寂しげであるように見えた。それは気のせいなのだろうか。
やっぱりルーアン、嫉妬してるのかな。
七都は、ちらりと思う。
「誰もいないよ。アヌヴィムたちもみんな、部屋の中にいるから。あなたが来たから、ルーアンがそう計らってくれたの。でも、もともとここは人がいなくて、いつも閑散としてるみたいだけどね」
七都は、ナイジェルに言った。
「見事な庭園だね。ここを少し歩くだけでも、心が癒される」
「ルーアンがつくったの。彼が長い時間をかけて仕上げた、芸術作品だよ」
ナイジェルは、微笑んだ。
「ルーアン……クラウデルファ公爵か。ぼくは最初、彼がリュシフィンかと思ったよ」
「うん。わたしも思ってたの」
ルーアンが七都に注意したとき、ナイジェルは初めてルーアンを見つめた。
「きみが……リュシフィン?」
ナイジェルの問いにルーアンは首を振り、さらに深く頭を下げてひざまずいた。
ルーアンは、決してナイジェルと目を合わせようとはしなかった。
もちろん、魔貴族としての礼儀なのだろうが、七都には、この上もなく不自然なことに思えた。
ルーアンはナイジェルに、いろいろと歓迎の言葉や、七都を助けてくれたことに対する感謝の言葉を並べたが、それも七都には棒読み口調に感じられたのだった。
そのあと七都は、ナイジェルを庭園に連れ出した。
とにかく、ゆっくり話をしたかった。二人きりで。ルーアンに邪魔されることなく。
ルーアンが一緒にいたら、堅苦しくて、気を使って、話したいことも話せない。ナイジェルにしても、魔王としての立場のままになってしまう。
「ナイジェル、庭を散歩しよう」
七都が提案すると、ナイジェルが反応するよりも先に、ルーアンは顔をしかめた。
『シルヴェリス』ではなく、いきなり本名の『ナイジェル』と呼びかけたことが、気に入らないようだった。それもまた、言語道断のことなのだろう。
けれどもナイジェルは、にっこりと笑って頷いてくれた。
「いいよ、ナナト。公爵、しばらく姫君をお借りするよ」
彼は、ルーアンに明るくそう言った。
ルーアンは黙って頭を下げ、庭園に連れ立って出て行く七都とナイジェルを無表情な顔つきで見つめていた。
「本当はきみは、ルーアンに抱きしめられたかったんじゃないの? ぼくじゃなくて」
ナイジェルが言った。
七都は、どきりとする。
ナイジェル、やっぱり見抜いてる。相変わらずのんびりしているようで、鋭い……。
「それは、全面的には否定できないけど……。でも、あなたの顔を見たら、なんか安心して、泣きたくなったの。あなたの声を聞いたら、もっと大泣きしたくなったの。いろんな感情が押し寄せてきて……。ルーアンには、そんなこと出来なかった。彼も、させてくれなかった」
言い訳がましいかもしれない。けれども、ルーアンじゃなくて、あなただったから、あんなことが出来たんだよ。
ナイジェルは、それもちゃんとわかってくれるだろうか?
七都は、祈るような気持ちになる。
「全面的に否定してくれないのは、ちょっと残念かな。きみがぼくを選んで泣いてくれたのは嬉しいけど」
ナイジェルが笑った。
「だって……。ずっと信じてたんだもの、ルーアンがリュシフィンさまだって。幽体離脱したとき、あなたのところに行く前に、ここにも来たの。ルーアンがいて、てっきり彼がリュシフィンさまだと思った。だから、彼に会うことを最終目的にしていたの。でも……彼はリュシフィンさまじゃなかった」
「リュシフィンは、驚くべきことに、きみ自身だった」
ナイジェルが言う。
庭を歩きながら、七都は簡単に、これまでのことをナイジェルに説明していた。
風の都のこと。玉座に浮かぶ冠のこと。ルーアンのこと。地下に眠る人々のこと……。
ナイジェルは、黙って七都の話を聞いていた。
「違うよ。わたしはリュシフィンじゃない」
七都は、思わず声を強める。
ナイジェル、あなたまでそんなことを言うの……?
そんな抗議と寂しさも混じっていた。
「でも、リュシフィンにいちばん近いのは、きみなんだろう?」
ナイジェルが訊ねる。
「ルーアンだよ。彼は王太子だった。今は公爵なんて名乗ってるけど。わたしなんかより、よっぽどリュシフィンにふさわしい。っていうか、リュシフィンになってなきゃいけない人なんだよ」
七都が言うと、ナイジェルは庭園の遠くを見つめ、悲しそうな顔をする。
「まったく、きみたち風の王族は……。きみとルーアンで、王位と冠の押し付け合いか。水の王家では、それをめぐって、皆が殺し合いをしたというのに」
ナイジェルは口を僅かにゆがめ、それから溜め息をついた。
「ごめん。少し皮肉を言ってしまった」
ああ、そうか。そうだったんだ。
ジエルフォートさまが、そんなことを言ってた……。
水の王族は王位継承の争いが長期間に渡って続き、その争いによって水の魔王の座は、ずっと空位だった……。
そして、やっと水の魔王シルヴェリスになったのが、あなたなんだ……。
「ううん。他の王族の人にあきれられても仕方がないのかもしれない。ルーアンもわたしも、王族としての積極性も覚悟も、全くないよね」
「たぶん二人とも、自分を守るためなんだろうね」
ナイジェルが言う。
「自分を守るため?」
「きみは、元の世界の自分とそこでの生活を守るため。ルーアンは、曖昧な思い込みに基づく恐怖から、今の冷静で正常な自分を守るため。二人に共通しているのは、魔王としての自信のなさ。これも、皮肉になってしまうかな」
「皮肉じゃなくて、それが核心かもしれない。とどのつまり、わたしたちは自分のことしか考えてない……。そういうことだよね」
ナイジェル。あきれ果てるのを通り越して、もしかして、怒ってる……?
七都はナイジェルの顔を覗き込んでみたが、彼の態度は、庭園の花々を揺らすやさしい風のように、あくまでも穏やかだった。
そうだ。二人とも逃避してるんだ。
自分では背負い切れそうもないからって、押し付けあってる。
ナイジェルの言うとおりかもしれない。
七都は、うなだれる。
「あなたは、なぜ魔王さまになったの? ずっと不思議に思ってた。あなたも別の世界で生まれて暮らしていたのでしょう? わたしと同じように……」
七都は、ナイジェルに訊ねた。
「ある日、キディアスがぼくを迎えにきた。そのとき水の王族は、ぼくを入れて二人しか残っていなかったんだ。キディはぼくの存在を伝え聞いて、探し回ったらしい。そして、やっと見つけた」
「二人? あなたともうひとりだけ?」
「そう。本当は、そのもうひとりの人がシルヴェリスになるべきだった。けれども、その人も殺されて、結局、ぼくがただ一人残った水の王族になってしまったんだ。ぼくは、その人と約束していた。もしその人がいなくなったら、ぼくがシルヴェリスになると。だから、この冠をかぶった。もちろん迷いはあったよ。魔神族は、この世界では、いわば魔物だからね。魔王はその頂点の存在だ。そんなものになるなんて。もちろん自信もなかったよ。でも、ぼくしかいなかったし、一族をほっとけなかった」
「じゃあ、ナイジェル。今、水の王族って、あなただけなの? あなたたったひとり?」
「王位継承権を放棄して、他の都に逃げてしまった人々なら、いるけどね。彼らが王族に戻ることはない。ぼくが許さない。というわけで、彼らを除けば、そういうことになる」
「わたしにはルーアンがいるけど……あなたはひとりぼっちってことなんだ。ごめんなさい。わたしって、あなたに比べたら、恵まれてるよね……」
「いや。ひとりぼっちでもないらしいんだけど……。キディによると」
ナイジェルが小さく呟き、七都を見て微笑んだ。
「あなたは、潔く覚悟を決めて魔王さまになったんだね。わたしもルーアンも、全然潔くないよね……。わたし、やっぱりリュシフィンになるべきなのかな……。なるべきだと思う?」
「ぼくがなれって言ったら、きみはそれに従って、リュシフィンになるの?」
ナイジェルが、くすっと笑う。
「それは、きみが決めることだよ」
「お母さんと同じことを言うんだ……」
七都は、口を尖らせる。
「でもね。たとえば、王族の姫君は、この魔の領域にはたくさんいる。それに、魔神族の女性であれば、魔王の妃には誰でもなれる可能性はある。でも、魔王には限られたものしかなれないんだ。王位継承権を持っている王族だって、なれる機会なんて滅多にあるものじゃない。リュシフィンになれるのは、今はきみだけだ。きみしかなれない。だったら、なってみるのもおもしろいかもしれないよ」
「おもしろいって……。なんか、とっても無責任な発言っぽく聞こえる」
「リュシフィンになったきみに会ってみたい。それは思うな」
「そんなあ。それやっぱり、やんわりと、なったほうがいいって言ってない?」
「いいや。ぼくの個人的な趣味として、だから」
ナイジェルは、笑った。七都は、彼の笑顔に見惚れる。
「そういえば、キディアスが、きみに失礼なことを言ったそうだね」
「ああ、愛人の話?」
軽く答えてしまって、七都は後悔する。
愛人って。そう、あなたの愛人だよ。
あなたはキディアスからそれを聞いて、どう思ったんだろ。
『まったく、キディは仕方のないやつだからね』とか『彼はいつも突っ走るから、許してやってくれる?』なんて笑顔で言われたら、わたしは相当へこんでしまうよ、ナイジェル。




