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第6章 招かれざる客人 6

 ナチグロ=ロビンは、七都を広い廊下の真ん中にエスコートした。

 そこは、七都たちが初めて風の城に到着した場所――地上から転送されてきた場所だった。

 美しい装飾が施された窓と柱が並び、花の形のシャンデリアが天井の空間に豪華なアクセントを与えている。

 廊下というより、そこで舞踏会が開けそうなくらいの面積をたっぷりと持った、大きな広間のようだった。

 床には、金色の線で刻まれた円形の大きな模様があった。

 円の中は区分けされて、文字のようなものがぎっしりと詰まっている。

 それは、装飾も兼ねた転送装置の乗降台になっていた。

 まるで魔方陣だ。七都は思う。

 自分たちは、ここから城に入ってきたのだ。もっとも魔法ではなく、機械の力によってなのだが。

 ここに初めて来たときは、周囲のインパクトが強すぎて、あまり足元までチェックは出来なかった。

 けれども、改めて眺めてみると、妖しげで不思議な紋様だった。魔王の城の入り口としては、ふさわしいかもしれない。


 七都たちのあとから、ルーアンとルーアンの肩にしがみついたストーフィが現れる。

 三人は、円を囲むようにして立った。

 ルーアンは、宙に浮かばせたパネルを、ピアノを弾くような優雅さで操作する。


「おいでになります」


 ルーアンが、よく通る声で言った。


(ナイジェル……)


 七都は、魔方陣のようなその円形を見つめた。

 体が熱い。どきどきするのが止まらない。

 目のずうっと奥のほうでじんわりと溜まりつつあるのは、もしかして涙だろうか。

 会えるんだ、ナイジェルに。まだ信じられない……。

 魔方陣の真ん中に、青白い光の柱が立った。

 その光に抱かれるようにして、円の中心に一人の人物が姿を現す。どこか未知の世界から召喚されたかのように。


「ナイジェル!」


 七都は、叫んだ。

 黒いマントが広がって、魔方陣を覆う。

 マントの中には、細身の体が見えた。

 輝く銀の髪。右腕は、髪と同じ銀色の機械の腕だった。

 水色の透明な目があたりを注意深く見渡し、やがて七都を見つける。笑顔がこぼれた。


「ナイジェル!!!」


 七都が叫ぶと、彼の笑顔がさらにはじける。


「ナナト!!」


 ナイジェルは、右腕を上げた。


「ありがとう、ナナト。きみのおかげで腕が戻ってきた。そして、エルフルドとジエルフォート、二人の魔王に会うことも出来たよ。これは、二人の魔王が協力して作ってくれた機械の腕。とっておきの、素晴らしい腕だね」

「よく似合ってるよ、ナイジェル……」


 七都は、呟く。

 水の都の宮殿のベッドに横たわっていた、痛々しいくらいのナイジェル。

 もうあんなナイジェルは見なくていいんだ。

 銀色の機械の腕をつけた、水の魔王さま。

 前よりも迫力が増していて、厳かで、神々しくて、なんて素敵なんだろう。

 やっぱり見惚れてしまうよ、ナイジェル……。


 ふと見回すと、ルーアンもナチグロ=ロビンも、丁寧に頭を下げていた。

 七都は、自分がただ突っ立っているだけであることに気づいて、はっとする。

 そうだ。ナイジェルは魔王さまなのだもの。水の魔王シルヴェリスさまなんだもの。

 やっぱり、お辞儀しなきゃいけないよね。

 でもなんか、ナイジェルにそういうことするのって、変な感じなんだけど……。

 七都は、キディアスにたたきこまれたとおりに頭を下げようとしたが、出来なかった。

 その直前にナイジェルが、おいでと言いたげに、七都のほうに手を伸ばしたからだ。機械ではない、左の手を。

 初めて会ったとき、怒りで自分を見失いそうになって宙に浮いていた七都にそうしたように。あの時と同じように。

 無意識に、足が床を蹴っていた。


 ルーアンが驚いて眉を寄せ、口をあんぐりと開けたナチグロ=ロビンが、呆然としたまま七都を目で追う。


(ナイジェル、わたしを受け止めて!!)


 七都は、ナイジェルの広げた腕の間に飛び込んだ。

 ナイジェルは両腕を回し、しっかりと七都を抱きしめる。セレウスよりもやさしく、けれども、決して危なげなく。


「ナイジェル! ナイジェル!!!」


 七都は、叫んだ。


「ナナト。本当にきみだ。ちゃんとしたきみだ」


 ナイジェルは、確認するかのように七都の肩を強く抱き、頭を撫でた。


「とうとう会いにきてしまったよ、きみに。もう我慢が出来なかったんだ。きっと風の都に着いている頃だと思ったら」


 ナイジェルが呟く。

 それから彼は、微笑んだ。


「ようこそこの世界へ、風の姫君。待っていたよ」

「ナイジェル……」


 七都は、間近から彼を見上げる。

 透き通った水色の目。懐かしい青だった。

 ずっとずっと、この目に会いたかった。この目に見つめられたかった。

 やっと……やっと会えたんだ。

 七都の目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。

 ナイジェル。あなたの声が耳に響く。心地よく。

 あなたの手の奥と胸の奥に、ほんのりとしたあたたかさを感じる。

 冷えた機械の腕の感触も、リアルに肌に染みとおる。

 本当に、あなたがここにいるんだ。

 七都は、ナイジェルの胸に顔を押し付けて、彼の背中に手を回してみる。

 確かにそれは彼の背中。生きているものの体。紛う方なき彼の感触だった。


「涙が液体になっているよ。もう拾わなくてもいいね」


 ナイジェルが言った。七都の目をまぶしそうに覗きこみながら。


「ナイジェル……」


 七都は、自分の目の奥と胸の奥から、何か見えない大きな固まりが、同時に転がり出たような気がした。

 七都がずっと抱えていたその固まりは、砕け散る。

 途端に七都の頬が、さらに激しく目から流れ落ちる液体で覆われ、唇から声が漏れた。

 嗚咽する声――。

 自分でも聞いたことのない声だった。


「ナナト?」


 どうしたの? と問いかけるように、ナイジェルが首をかしげた。

 七都の嗚咽は、猫の叫び声のように、長く変化する。

 そして涙が、乾かぬ生ぬるい泉であるかのように、湧き出ては頬をこぼれ伝う。


「ナイジェル……ナイジェル……ナイジェル……」

「ナナト……」


 ナイジェルは七都をぐいと抱き寄せ、改めてしっかりと両腕を回した。

 七都は、彼に抱きしめられ、声をあげて泣いた。

 自分でもその声にびっくりし、そのびっくりしたことに対しても、さらに驚いて泣いた。


「ナナト。まるで人間の小さな子供のようだよ。どうしたの?」


 ナイジェルが笑った。けれども彼は、七都の頭をずっと撫で続けてくれた。

 七都は何度もしゃくりあげ、そしてまた泣いた。ナイジェルにしがみついたまま。大泣きだった。


「……そうだね。ここまで、とてもつらかったんだね。グリアモスに襲われて、あんな体になって……。よく頑張ったね。たったひとりで、魔の領域まで……この風の都まで、よく来た。きみは素晴らしいよ、ナナト。いや、ナナト姫。もうだいじょうぶ。ここはきみのお城なんだ。安心していいんだよ」


 ナイジェルが、やさしく話しかけた。

 七都は、彼のその言葉を聞いて、さらに大きな声を出して泣きじゃくる。

 みっともないと思った。

 そばにはルーアンがいる。ナチグロ=ロビンもいる。

 きっとルーアンは、相変わらず眉をひそめ、ナチグロ=ロビンは呆然として七都を見つめているだろう。

 けれども、そのみっともなさも、ナイジェルだったらあたたかく包んで抱きしめてくれるような気がした。

 彼の腕の中で、おもいっきり泣きたかった。


 ごめんなさい、ナイジェル。

 あなたも片腕を失って、とてもつらかったはずなのに。

 相変わらずあなたは、わたしの心配をしてくれる。

 そう。わたし、安心したの、ナイジェル。

 この世界に来て、旅を続けていて、ずっと緊張しっぱなしだったの。この風の都に来てからも、ずうっと。

 心の行き場がなかった。予想と違っていて、目標が消えてしまって、とても不安定な状態だった。

 やっと安心できたよ。やっと緊張が解けた。あなたの胸の中で。


 こんなに大声でみっともなく泣くのって、子供の頃以来だ。

 遊園地で迷子になって、果林さんが探しにきてくれたとき……。

 あのときもわたしは、果林さんにしがみついて、こんなふうに泣いたの。それまで泣かずに我慢していたのに。

 果林さんは、ずっとわたしを抱きしめて、撫でてくれたよ。

 こんなふうに。こんなふうに。

 ナナちゃん、もうだいじょうぶ。よく頑張ったね。安心していいよって……。あなたと同じことを言いながら……。

 ナイジェルは、いつまでもいつまでも、七都を抱きしめ、やさしく頭を撫でてくれた。機械の手と彼自身の手で。

 そしてルーアンとナチグロ=ロビン、ストーフィは、抱き合う二人の姿をただ無言のまま、いつまでも見つめていた。




「やっぱり……本当は、あなたのはずなんだよ」


 ナチグロ=ロビンが、呟いた。


「何がだい?」


 ストーフィを肩に乗せたルーアンが、振り返る。

 二人は、ルーアンの部屋から庭園を眺めていた。

 大きく開いた窓からは、花の間に続く小道に、七都とナイジェルが並んでゆっくりと歩いているのが見える。


「その……。シルヴェリスさまが、七都さんにして下さったことだよ」


 ナチグロ=ロビンが、最初は遠慮がちに、けれども、やがてはしっかりとした口調で言った。


「シルヴェリスさまが七都さんを抱きしめて、言って下さったこと。歓迎の言葉。ねぎらいの言葉。慰めの言葉。賛辞の言葉。それは、七都さんがここに到着したとき、あなたが七都さんを抱きしめて、言ってあげなきゃいけなかったことなんだ。本当は七都さん、今までずっと我慢してたんだ。一生懸命自分を保って、やっとここに着いた。やっとゴールしたんだ。泣きたかったんだよ、ああやって誰かに抱きしめられて。だけど、ここには誰もいなかった。抱きしめてくれる人も、言葉をかけてくれる人も……」

「……」


 ルーアンは、ナチグロ=ロビンに向き直った。ワインレッドの目が暗く翳る。

 ナチグロ=ロビンは、びくりと飛び上がった。

 しまった、言い過ぎた、と彼は慌てて口を押さえる。

 ストーフィが心配そうに、二人を交互に見つめた。

 けれども、ルーアンは穏やかに答える。


「私がリュシフィンならね。迷わずそうしただろう。しかし残念ながら、私はリュシフィンではないのだよ」

「またそう言うんだ……。でも、ここの番人でしょ。公爵でしょ。七都さんのたった一人の側近でしょ。元王族で、王太子じゃない。それに、本当はルーアンと七都さんとは……」


 ルーアンにじろりと睨まれ、ナチグロ=ロビンは口をつぐんだ。


「シルヴェリスさまが、ああやってナナトをねぎらい、やさしい言葉をかけてくださった。それでいい。あの方には感謝する。きみも、本音ではナナトにそうしてやりたかったんだろう? だが、きみの立場上、そして私に対する遠慮から、そういうことは出来なかった。きみが罪悪感を持つ必要は、全くないよ」


 ルーアンは言って、窓のほうを向く。


「……ルーアン。いつ七都さんに本当のことを言うの?」


 ナチグロ=ロビンは、ためらいがちに、ルーアンの後ろ姿に訊ねた。


「本当のこと? ああ、あのことか。言うつもりはないよ。言う必要もない」


 ルーアンが、ラベンダー色の空を見つめながら、答えた。どんな表情をしているのかは、ナチグロ=ロビンにはわからなかった。


「美羽さんは、知ってたと思うよ。子供の頃、あなたに相当反発してたけど、ある日を境に態度が変わった。きっと知ってしまったんだと思うよ。あなたは美羽さんを窓から眺めてたけど、美羽さんもよくあなたを見ていた。とてもせつなそうに。だけど結局、向き合って話をすれば、いつも反発しちゃってたけど」

「そうか……。ではナナトも、それを知ったら、もっと友好的になってくれるのかな」

「きっとね。美羽さんも七都さんも、何となくあなたに反発したくなるのは、仕方がないと思う」


 ナチグロ=ロビンは、真面目な顔をして答えた。


「でも私は、今のままでいいよ。たとえナナトに反発されてもね。ナナトの怒った顔や困った顔も、結構かわいいし」

「ルーアンって……もしかしてM? いや、逆にSかな?」


 ナチグロ=ロビンはルーアンに聞こえないように小さくぼそっと呟いたが、ルーアンは彼が思ったよりも地獄耳だったらしい。


「私は、マゾでもサドでもないよ」


 ルーアンは、慌てふためくナチグロ=ロビンを横目で一瞥し、庭園を歩く七都とナイジェルを再び見下ろす。


「まるで、ユウリスとエヴァンレットを見ているようだ。二人とも、彼らによく似ているからね。昔を思い出す。あの懐かしい穏やかな日々を。私はよくここから、彼らが散歩するのを眺めていたよ。嫉妬と憧れの入り混じった、複雑な思いを抱きながらね。一人は私の姉で、もう一人は友人だったから」

「昔のそのお二人と七都さんたちが違うのは、七都さんたちは若くて、初々しさがあるってことかな」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「そうだね。微笑ましいくらいにぎこちない。たぶん、二人であんなふうに歩くのは、初めてなんだろうね」

「やっぱ、若いっていいよねー」


 ナチグロ=ロビンは、外見とは似つかわしくない、年寄りめいた溜め息をふうっとついた。

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