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第6章 招かれざる客人 3

「お母さん?」


 目の前に天井が、ぼんやりと見える。

 薄い青をベースに、星の形をした沢山の花――。

 七都が、今寝ている部屋の天井だ。

 母の姿はなかった。

 けれども、気配は強く感じる。


「お母さん。やっぱり会えた」

「そうね。あなたの意識が半分眠っているとき……あなたは私を感じることが出来るようね」


 母が言った。


「今、エヴァンレットとユウリスさまの夢を見たよ。ルーアンも出てきた」

「そう……。あなたにはそういう力があるんだわ。過去の出来事を夢に現せる……。ルーアンの言うようにね。貴重な力よ」

「魔王は七人。誰かが欠けるのは好ましくないこと。夢の中でユウリスさまはそう言った。お母さん、わたし、リュシフィンにならなきゃいけないの?」

「それは、あなたが決めること。強制はしない」

「でも、わたしがならなきゃ、あの地下の人たちはよみがえらない。わたしにそういう力があるのなら、そうしなくちゃならない。カーラジルトだって、永遠に笑えないよ。お母さんはリュシフィンさまだったのに、なぜシイディアたちを起こさなかったの?」


 母は溜め息をついた。七都がせつなくなるような、とても悲しそうな溜め息だった。


「子供の頃、カーラジルトにくっついて、時々あの場所に行ったわ。私には、幽霊たちが見えた。いつも嬉しそうにカーラジルトに寄りそうシイディアの姿もね。彼には全然見えていなかったのに。……怖かった。とても悲しかった。でも、いつかこの人たちを解放しなくちゃって思った。だけど、やっぱり出来なかった。……ごめんなさい。私は逃げたの。次のリュシフィンになる人が、あるいは、と……。その人は、私よりも魔力が強いかもしれない。私なんかより、ずっと……。ならば、その人に託したほうがいいのかもしれないって思ったの。でも結局、先送りにしてしまったんだわ。責任逃れね。私がしなければならなかったのかもしれないのに。たぶん歴代のリュシフィンも、皆そう思ったんだわ。そして皆、ある不安を持ってしまった。火の都から連れて来られて風の魔王になった、という負い目もあったのかもしれない」


「不安って……? あの人たちを起こせないかもしれないっていう不安……?」

「そうね。それに関係する、もっと大きな不安もね……。自分よりも後のリュシフィンは、その不安も払拭してくれるのではないかと期待した。でも、やっぱりそれは、未来につけを回して行ったってことなんだわ。それを払わされるのは、あなたになってしまうかもしれない。私たちも、そしてルーアンも、あなたにとても罪なことを押し付けてしまったのかもしれないわ」

「やっぱり、とどのつまり、ルーアンがリュシフィンさまになれば、全部丸くおさまるんじゃないの? ルーアンは正統な後継者だもの。本当なら、彼が風の魔王になるはずだった。彼がなったら、きっとあの人たちも開放できるよ。魔力だって強いはずだし。お母さんもそう思うでしょ?」

「思うわ。ずっと思ってた。でも彼は自信をなくしてる。エヴァンレットのようになってしまうんじゃないかって怖れてるわ」

「だからって、人に押し付けるのはどうかと思うよ。だいたい、いきなり冠かぶせようなんて、とんでもないよ」


 母が、くすりと笑ったような気がした。


「お母さん。わたしはお母さんより魔力が強い?」

「もちろんよ。先天的にね。そんなあなたがあの冠を得れば、力はさらに増幅される。ルーアンも言ってたでしょ。あなたは、冠をかぶった魔王から生まれた娘なのだもの。私はそうじゃないから」

「そうじゃないって……? なんで? お母さんだって、冠をかぶった魔王の娘じゃない。おじいさまがリュシフィンだったんだもの。そりゃあ、ルーアンが火の都から連れてた親戚かもしれないけど、ちゃんと風の魔王さまで、冠もかぶってたわけだし、お母さんはその子供なんだから、りっぱな魔王の娘だよ」


 母が笑って、首を振るのがわかった。


(違うの、お母さん……?)


「……お母さん。おじいさまとおばあさまって、投身自殺したの? あのテラスから。おばあさまのお腹の中にいた赤ちゃんって……お母さんの弟か妹なんでしょう?」


 母の笑顔が消え失せたような気がした。


(あ、お母さん、固まっちゃった……?)


 七都は慌てる。


「ごめんなさい。そういうこと答えたくないよね。デリケートな問題だものね。ね、お母さん。またこうやって、時々お話できる? お話したいな」


 冷たい手が、七都の額に触れた。

 その手は、やさしく七都を撫でる。

 けれども七都は、その手に違和感を覚えた。


(お母さんの手って……。魔神族なんだから、確かに冷たいのは仕方がないだろうけど。でも、こんなに冷たかったっけ……? こんなに大きくて……こんな……押さえつけるような撫で方だたっけ……?)


「私もあなたとゆっくりお話したいんだけどね。邪魔する人がいるのよね……」

「え?」


 天井を背景にして、誰かが七都を覗き込んでいた。

 その人物は手を七都に伸ばしていた。

 さっきから頭を撫でてくれていたのは、その人物らしい。


(お母さんじゃない? 誰……?)


 その人物の姿が、はっきりと像を結ぶ。クリアすぎるくらいに。

 七都を真っ直ぐ見下ろす目は、透明な水色。その目にふわりと覆いかぶさるのは、銀の髪。


(ユウリスさまっ!!!)


 七都は、飛び起きる。

 ベッドのそばで、少年の姿のナチグロ=ロビンとサリアが、七都を見つめて硬直していた。

 枕の上にはストーフィが寝ていて、無表情な丸い目で七都をじっと見上げている。


「あ、ごめん。また悲鳴あげちゃった?」


 ナチグロ=ロビンが苦笑めいたものを浮かべながら、肩をすくめた。


「きっとホラー映画に出演できると思うな。悲鳴部門で」

「だって、ユウリスさまが、またしつこく私の顔を覗き込むんだもん……」

「またまたユウリスさまかよ……」


 ナチグロ=ロビンが、露骨に顔をしかめる。


「ユウリスさま、ナナトさんに惚れたんじゃないの?」

「ユウリスさまはエヴァンレットの婚約者なんだよ。滅多なことを言うんじゃない。それに、ユウリスさま、たぶんまだこの部屋にいると思うよ。たとえば、あなたの後ろあたりとか」


 七都は、ナチグロ=ロビンの肩を指差す。

 彼は「ひっ」と叫んで飛び上がった。


「姫さま、お目覚めでしたら、おぐしを整えさせていただけますか? その前に、お衣装も着替えられます?」


 サリアが微笑んで訊ねた。

 さすがに貴族の侍女をしていただけあって、分をわきまえ、話には立ち入ってこない。

 七都は感心する。

 こんなおかしな会話を聞かされようものなら、自分だったら、きっと質問責めだ。


「ドレス……。そうだね、気分転換に着替えようかな」


 七都は、サリアが持ってきてくれた白いドレスに身を包み、真珠のネックレスとイヤリングを付けた。

 もちろん、ネックレスとイヤリングの先には、あの水色の宝石が揺れている。

 サリアが髪を梳き始めると、夢の影響もゆっくりと遠ざかり、七都は次第に落ち着いてくる。


(ユウリスさまったら。なんでわたしの顔を覗き込むんだろ。ナチグロが言うように、わたしに気があるわけじゃないよね。何か言いたいことがあったら言えばいいのに)


 それから七都は口をとがらせ、言葉に出す。


「母子水入らずでお話しようとしているのに、邪魔するなんて。ひどいよ」

「あ、申し訳ありません。何か失礼なことを……」


 サリアが髪を梳く手を止める。


「あ、ううん。何でもない。サリアのことじゃないよ。ごめんね」


 サリアは、髪全体に垂らすデザインの真珠の髪飾りをつけてくれた。

 そして、髪の一房を軽く巻き上げたところに、水色の大粒の宝石がはめられた、かんざしのような飾りを差し込んだ。


「きれい。そんな髪飾りもあったんだ……」


 七都は、鏡を通してその髪飾りを見つめた。

 水色の透明な宝石の周りには、小粒の真珠が幾重にも縁取られ、花の形を作っている。それらは気品のある輝きを七都の髪に映していた。


「引き出しの奥に、大切そうにしまってありましたわ」


 サリアが言う。


「それ、ユウリスさまがエヴァンレットに送ったものなのかもしれない。誕生日とかの贈り物に。もしかしたら、クローゼットにある水色の宝石の飾りは全部そうだったりするのかな。だから、彼女はいつも付けてた……。あ、ユウリスは昔の水の魔王さまでね。エヴァンレットはその人の婚約者で、この部屋を元々使ってた風の王族のお姫さまだよ」

「まあ、そうですの」


 サリアは微笑みながら、髪飾りの角度を整える。

 エヴァンレットがリュシフィンで、この都を破壊した張本人だということは、七都は黙っていた。

 そのことを口にすると、サリアの笑顔もたちまち消えて、今のこの穏やかな雰囲気が壊れてしまうような気がした。


(だけど、ユウリスさま……。さっきの夢の中では、冠をかぶってた。あの魔王の金の冠。あれは、水の魔王の冠? ううん、あの時点では、ユウリスさまはもう水の宮殿から出て、時の魔王さまのところに行ってたはずだもの。だから彼は、エヴァンレットを迎えに時の宮殿からやってきたわけだし。それに、水の魔王にはユウリスさまの弟がなったって、ルーアンも言ってた。だから、あれは水の魔王の冠じゃない。じゃあ、ユウリスさまのあの冠って……?)


 七都は、考え込みながらも、鏡の前で何度もターンしてみる。

 ドレスは、白いレースの花のように、ふわりふわりと舞った。


「姫さま。白も、とてもお似合いになられますね」


 サリアが、無邪気な少女のように笑って言った。


「ああ。ナナトさんは何でも似合うし、どんな衣装を着たって絵になるよ。たぶん、こっちの世界ではね」


 ナチグロ=ロビンが、ひややかに言った。


「なに? じゃあ、元の世界では何でも似合わないし、絵にならないってこと?」


 七都は、彼を睨む。

 まったく、相変わらず生意気なんだから。


「わたしは、元の世界の自分の体も好きだよ。美少女の部類に入るって、少しは思ってるんだから」

「こっちの魔神族の体と、あっちの人間の体を比べるのが、そもそも間違ってる。言うなれば、月とスッポ……」


 七都は、彼に向かって、おもむろに手を伸ばす。もちろん冗談だった。

 けれども、ナチグロ=ロビンは言葉を飲み込み、七都を見つめたまま硬直した。

 まるで、猫を撫でようと頭に手をかざしただけなのに、びくっとされ、おまけにイカ耳にまでされてしまう――。

 七都は、彼がそういう行動を取ったことに、言いようのない寂しさを感じた。

 そうなの?

 やっぱり本当のところは、わたしのこと怖いんだ、ナチグロ?

 風の魔王になるかもしれないから? その可能性が強くなって、あなたも否が応でも気を使うようになった?

 わたしがリュシフィンになったりしたら、あなたもぞんざいな口なんてきいてくれなくなるのかな? カーラジルトが、わたしにきっぱりと宣言したように。


「なに、その態度。わたし、何もしてないじゃない!!」


 たまらなくなって、七都は叫んだ。

 ナチグロ=ロビンの髪が、静電気の仕業であるかのように不自然に逆立ち、瞳が針のように細く変化している。

 これはもう、イカ耳どころではないかもしれない。


「何もやってないってば。魔力なんか使ってないよ。何なんだよ、それ。ナチグロったら!」

「違う。空気が……乱れてる……」


 ナチグロ=ロビンが、声を絞り出すようにして言った。


「え?」

「誰かが……誰かよそ者が、この風の都に侵入した。風の魔神族じゃない」


 彼は、視線を七都からすっと逸らし、窓の外に移した。そして頭を真っ直ぐ上げ、耳をそばだてるようにして、そのまま直立不動になる。

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