表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
55/101

第4章 エヴァンレットの秘密 13

 テルレージアは、真っ直ぐ階段を見つめながら、引き寄せられるように、石の床をよろよろと歩く。


「おばあさまっ! だめ! そっちへ行っちゃだめ!!」


 七都は叫んだ。

 ユウリスが七都を制止するために手を伸ばしたが、七都はその手を突き抜けて、二人の少女のところへ飛び出していた。

 あきれたように、ユウリスが溜め息をつく。

 そうだ。二人のところへ行ったとしても、止められない。彼女たちの体を通り抜けてしまうだけだ。彼女たちは、過去の残像なのだから。

 そしてやはり、七都は祖母の体に重なってしまった。

 テルレージアの腕が目の前にあり、それを透かして自分の手が見える。


(おばあさま……)


 不思議な気分だった。

 甘く、切なく、懐かしいような。

 本当なら会えるはずのない祖母と、今、接触している。

 たとえそれが、偶然にこの空間に刻まれた映像であっても。

 けれども、その気分に浸っている暇はなかった。

 エヴァンレットが、七都、いやテルレージアに近づいてくる。

 その姿は、愛らしく、幾分したたかに擦り寄ってくる子猫に、どことなく似ていた。


「来ないでっ!」


 七都は、叫んだ。

 エヴァンレットは、テルレージアの耳元に顔を寄せる。

 ワインレッドの目。緑がかった黒い髪。昔の残像とはいえ、自分とよく似たその姿に、七都はぞくっと総毛立つ。

 エヴァンレットの額には、ユウリスと同じような冠のあとがあった。

 けれども、ユウリスのものよりもはるかに淡く、ほとんど見えないくらいのものだ。


「降りてみる? 降りるなら、私も一緒に連れて行って」


 エヴァンレットが呟いた。

 七都は、思わずエヴァンレットの顔を見つめる。

 微笑みが浮かんだ、けれども、とても悲しそうで寂しげな彼女の顔。

 きっと彼女は泣いているのだ。この顔の裏側で。

 流せない涙をどこかに閉じ込めたまま、ずっとずっと泣いているのだ。

 彼女の顔を間近で眺めていると、七都の胸はきりきりと痛んだ。


「人間のお姫さま。お供がいれば、何も怖くないでしょう。あなたが消えるとき、私もあなたと一緒に消えるわ。それでおしまい。悲しいこと、いやなことは全部ここに残して、身軽になって、二人で下に降りましょう」


 エヴァンレットは、テルレージアにささやいた。


「エヴァンレット……」


 さまよう彼女の心は、苦しんでいる。救いを求めている。

 その救いとは……消えてしまうこと?

 ゆらり、と テルレージアが階段に引き寄せられた。


「だめ! おばあさま、だめ!」


 そのとき、誰かの影が、七都と――七都が重なっているテルレージアのすぐ横に現れた。

 テルレージアはその影に気づいて、夢から醒めたように、はっと身を固くする。

 そこには、いつものように眉をひそめたルーアンが立っていた。


「ルーアン!」


 七都は叫んだが、ルーアンは七都には目を向けなかった。そして、エヴァンレットにも。

 彼は、テルレージアだけを見ていた。七都もエヴァンレットも、彼には見えてはいないのだ。

 そこに現れたルーアンは、先程七都が庭園で見かけたルーアンとは違う衣装を着ていた。

 ゆったりとしたトーガのようなものではなく、胴着に黒いマントという、きちっとした服装。

 髪の長さも、いつものルーアンよりも短めだった。

 そうか。このルーアンも、過去の残像なんだ。

 エヴァンレットやおばあさまと同じ……。

 七都は、悟る。

 エヴァンレットは突っ立ったまま、彼女の弟を眺めていた。

 七都も彼女の隣で、二人を観察する。

 何も見えないユウリスは、相変わらず七都をじっと見つめていた。


「またこのようなところにおられたのですか」


 ルーアンが、テルレージアに向かって言った。


「戻りましょう、魔王さまのところへ」


 そしてルーアンは、少しためらいがちに、その言葉のあとに付け加える。「王妃さま」と。


「いや!」


 テルレージアが叫んだ。


「私にさわらないで!」

「あなたに触れられるのは、風の魔王さまだけです」


 ルーアンが言う。

 うつむき加減のその顔に、チャコールグレーの髪が、風ではらりと被さった。


「あなたもリュシフィンも大嫌い!」


 テルレージアが叫んだ。

 ぼんやりしていたその目は、暗黒の炎が宿ったように輝き、ルーアンを真っ直ぐ見据えていた。


「もう、私のことは放っておいて。一人にしておいて」

「では、せめてお部屋にお戻りください。ここは風が冷たい。お体に障ります」


 テルレージアは、両手で顔を覆った。そして、小さく呟く。


「今、ここに誰かいたわ」


 ルーアンは、注意深く周囲を見渡した。

 その目は、エヴァンレットも七都も捉えることなく、一周してテルレージアに戻る。


「誰もいませんが……」

「いたの。女の子が。赤い目で緑の髪の女の子……」


 ルーアンの顔が引きつった。


「戻りましょう。こんなところにいてはいけません」

「戻るわ。自分で。あなたの指図は受けない」


 テルレージアの姿が、消えた。

 七都は唖然としたまま、彼女が消えたその場所を見つめた。

 瞬間移動?

 おばあさま、人間なのに魔力が使えるの?

 アヌヴィムの魔法使いでもないのに?

 エヴァンレットが、ルーアンに手を伸ばす。

 そのまま彼女は、ルーアンに両手を絡めた。

 もちろん、実際にはそんなことは出来ないので、彼女はそういう真似をしただけに違いない。

 ルーアンは眉を寄せたまま、テラスを眺めた。

 彼には、エヴァンレットも七都も見えない。

 風が吹き渡る殺風景なテラスしか見えていないのだ。

 それでも、ルーアンは呟いた。見当はずれの場所を見つめながら。


「エヴァンレット? そこにいるのですか?」

「いるわ。ここよ。ルーアン、私の体は消えてしまった? なら、私のこの心も一緒に消してくれたらよかったのに。あの剣で、一緒に……。ルーアン、恨むわ……」


 エヴァンレットが、ルーアンの耳元で呟く。


「でも、あなたはリュシフィンになってはいないのね……。それは、私のせい?」


 七都にはルーアンが、白い顔をした亡霊の少女に取り憑かれている、古代の病んだ若き王のように見えた。


「ナナト!!」


 誰かがとても近いところで、七都の名を叫んだ。

 七都は思わず振り返ろうとしたが、その前に後ろから強く抱きすくめられる。


「ルーアン……?」


 ルーアンの眼差しが、七都のすぐ上にあった。

 ワインレッドの透明な目。

 チャコールグレーの彼の長い髪が、七都の顔の上にふわりとかかる。

 過去の残像ではなく、現実の、今の時間を生きている本物のルーアンだった。

 七都は、彼の腕の中にしっかりと収まっていた。


「こんなところでふらふらしていては、危ないですよ。落ちたらどうするんです!」


 ルーアンが言った。

 その真剣な表情は、先程の彼と同じだった。テルレージアに向けた、彼の表情と。


「また何か夢を見ていたのですか?」


 テラスには、過去のルーアンも、エヴァンレットも、もういなかった。

 ユウリスの姿もない。本当は彼はそこにいるのかもしれなかったが、目が覚めた七都には、もう見えなかった。


「だいじょうぶだよ、ルーアン。だってわたし、魔力が使えるもの。ここから落ちたって、下にゆっくり着地出来るし、瞬間移動だって出来るんだから」


 ルーアンは、七都に回していた腕の力を緩めた。


「そう……でしたね。あなたは魔神族の女性でしたね」


 ルーアンが、思い出したように呟いた。

 七都は、自分の目の前にあった彼の腕を両手で抱くようにしてつかんだ。

 そうしないと、たちまち彼は、その姿勢を崩してしまう。七都に回した腕をほどいてしまうに違いなかった。

 七都は、出来るだけ長い間、彼の腕の中にいたかった。

 この感覚は何なのだろう。

 セレウスに抱きしめられたとき、ユードに抱きしめられたときとは違う、不思議な感覚。

 あたたかくて、安心出来て……。

 そして何よりも、彼の心がじんわりと伝わってくるような。

 七都を大切に思っている。臣下や親戚としてではなく、たぶんそれ以外、それ以上のものとして……。


「ルーアン。昔……ここから誰かが落ちたの? それは、わたしのおばあさま?」


 七都は訊ねたが、ルーアンは答えなかった。

 彼が答えないであろうことは、何となく七都にはわかっていた。

 たぶん、落ちたのだ。テルレージアは。祖母は。

 今七都が見た残像の中では、ルーアンがその行動を止めた。

 けれども、次にテルレージアがこのテラスに来たとき。あるいは、何回目か、何十回目かに、ここに来たとき。

 もしかすると、自ら衝動的に飛び降りたのかもしれない。あるいは事故だったのかもしれない。

 そのことに、またエヴァンレットが関わっていたのかどうかはわからない。

 けれども、そのときはリュシフィンも一緒に落ちた。そして、お腹の中の子供も……。

 七都がこの城の下で見た、あの恐ろしい残像のとおり、彼らは地上にぶつかって、一緒に分解した――。

 あの子供は、誰だったのだろう。

 お母さんのあとに生まれてくるはずだった子供? お母さんの弟か妹。

 じゃあ、わたしの叔父さんか、叔母さんに当たる子供……?


「ルーアン。いつか話してくれるよね。その経緯……」


 ルーアンが頷くのが、背後から伝わってくる。

 彼にとっては、思い出すのもつらい記憶に違いなかった。

 あの二人は、ルーアンの目の前で落ちたのかもしれないのだ。

 彼の婚約者だった王妃テルレージアと、彼の主人である風の魔王リュシフィン……。

 安易に話が聞けるなどと期待すること自体、愚かなことだろう。

 七都は、ルーアンの腕をぎゅっと抱きしめた。

 そして、目を閉じる。


「ルーアン。おばあさまと同じだ」


 七都は、呟いた。


「え?」


 ルーアンの体が、微かにびくりと震えた。


「なんか……うまく表現出来ないけど、不思議な感じ。あったかくて、懐かしくて。今ね、おばあさまの残像を見たの。ここに刻み付けられている、過去のシーン。おばあさまに重なったときも、似たような感覚があったよ」

「そうですか……」


 ルーアンが言う。

 どことなく感情を押し殺したような声だった。


「でも、それ、お父さんにもそういう感覚があったんだけど。この間会社でお父さんにしがみついたときにも、同じような感覚が……」

「ヒロトに? ヒロトと同じだと言われると、複雑な心境です」

「そう?」

「しかし、会社で父上にしがみついてはいけませんよ。社会的な立場というものがあります。ヒロトの年齢では、部下も多いでしょうし」

「うん。ちょっと反省してる」


 七都は、くすっと笑った。

 それから七都は、ルーアンの腕をしっかりと捕まえたまま体の向きを変え、彼を見上げる。

 七都とルーアンは、恋人同士のように、抱き合う格好になった。


「おばあさまは……幸せじゃなかったんだね。ここに来て」


 ルーアンは、黙り込んだまま、七都を静かに見つめた。

 ワインレッドの透明な目が、暗く翳る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=735023674&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ