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第3章 風の城の住人たち 13

 七都は、目を開ける。

 猫の姿のナチグロ=ロビンが、七都を覗き込んでいた。

 三角形の黒い猫耳と金色の目が、アップになって迫っている。

 七都は、起き上がった。

 もう夜ではなかった。部屋の中は明るく、金色の太陽の光で満ちている。

 窓は、月を宿した瑠璃色ではなく、輝く朝の太陽をかざした全く違う宝石に変化していた。

 窓のそばに立っていた姫君の姿は、もうどこにもない。


「夢……?」

「泣いてるの、七都さん?」


 ナチグロ=ロビンが訊ねる。


「え?」


 頬に触れてみると、手が透明な液体で濡れた。

 魔神族が流すはずのない涙。けれども、七都は流せる涙だった。

 七都は、明るすぎる部屋の中で、ただ自分の手のひらを眺める。


「夢か……。夢だったんだ、あれも……」

「夢を見たの?」

「うん。とても悲しくて悔しい夢だった……。自分がどうすることも出来ないのが、悔しかった。でもその前に見た夢は、素敵な夢だったのだけど」


 七都はベッドから抜け出て、窓のそばに立つ。

 夢の中で、リュシフィンらしき姫君がそうしていたように。

 彼女と同じポーズをして、窓ガラスに手を当ててみる。

 ガラスは、夢の中のように青黒い闇を映してはいなかった。

 その向こうにあるのは、朝の庭園。木々や花々の溢れる命で組み上げられた、偽りの地上だった。そしてそれを覆う、魔の領域のラベンダー色の空――。


「なんてきれい……」


 窓の下には、昨日とは別の庭園の光景が広がっていた。

 庭園は、白い靄で覆われている。

 まるで、半透明の薄いベールを丁寧にかけられたようだった。

 木々や花々の色は抜き取られ、すべて淡い灰色の輪郭になっている。不思議な風景だった。

 ルーアンが、靄に沈む庭園の中で動いていた。

 猫のトピアリーが群れをなしている場所だ。

 彼は大きな鋏で、振り返っているポーズの猫のトピアリーを刈っている。


「ルーアン……」

「ああ、猫形の木を仕上げているんだよ。ほら、ちゃんと地道に、手を使って刈ってるだろ。まあ、脚立の代わりに魔力は使うけど」


 いつのまにか少年の姿に変身して七都の隣に立ったナチグロ=ロビンが、解説する。


「あれは、ルーアンがわたしのために作ってるって……」

「そ。七都さんが突然来たから、計画が狂っちゃって、こんな時間から急いで仕上げてるんだ。もうすぐ出来上がるよ」


 七都は、何となく嬉しくなって、ルーアンを見下ろした。

 あんな夢を見たせいか、彼の姿を眺めていると、心が落ち着く。

 元王族の公爵なのに、庭師の仕事もこなしているのがとても庶民的で、素敵だと七都は思う。

 ただ、普通の庭師と違うのは、時々空中に浮かび上がって、緑の猫を刈っていることだった。


「ルーアンが庭でお仕事しているのを見ていると、なんかね、心が穏やかになる……」


 七都は、呟いた。


「美羽さんも、同じようなことを言ってたよ。長い間異世界にいて、たまに帰ってきても、ルーアンはやっぱりこの城にいて、ずっと変わらず庭いじりをしている。それがとても安心できるって」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「年取らないものね、ルーアン。ずうっと若くて、きれいなんだ」

「魔神族だからね。仕方ないじゃん」

「ルーアンがわたしのためにいろいろしてくれるのは、たったひとりの身内だからってあなたは言ったけど……」

「違うって?」

「やっぱり、昔の恋人の孫だから。それが一番の理由なんじゃないのかな。リュシフィンの後継者とか臣下とか、そういう理由よりもっと、ずっとね。わたしを通して、おばあさまを見てしまうんだ」

「かもね」


 ナチグロ=ロビンは、軽く肩をすくめた。そして、ぼそりと呟く。


「でも、ほんとは、別のメインの理由があるんだけどさ」

「何か言った?」

「べつに」


 ナチグロ=ロビンは、猫の仕草で、ぺろりと手の甲を舐めた。


 ルーアンのそばには、やはり昨日と同じように、ストーフィがいた。

 いつも鏡のような体の表面は、靄のせいで、曇った鈍い銀色に見える。

 ストーフィは、本物の猫のようにうずくまり、じっとルーアンの作業を眺めていた。


「ストーフィったら。ずっとルーアンと一緒にいたのかな」

「七都さん、嫉妬してんの? で、どっちに? ルーアン? あの猫ロボット野郎?」


 ナチグロ=ロビンが訊ねる。


「嫉妬なんかしていませんから、どっちにも!」


 七都は、ナチグロ=ロビンを睨んだ。


 七都がルーアンを見つめていると、彼はふと顔を上げ、七都が立っている窓を眺めた。

 七都は、どきりとする。

 昨日と同じようなシチュエーションだ。七都の視線を敏感に感じ取ったのだろうか。

 ルーアンは、七都に向かって会釈をした。

 七都は、自然と片手を上げる。

 けれども、彼に無意識に手を振ってしまったことに自分で気づいて、その手をさっと背中に隠してしまう。

 まずい。気軽に手なんか振ってしまった。

 彼は、わたしに無理やり冠をかぶせようとしたし、ゆっくりと外堀を埋めさせていただきます、なんて宣戦布告をしてきたのに。

 けれどもルーアンは、七都が手を振ったことが、とても嬉しかったようだ。

 笑顔がこぼれそうなくらいに広がった。

 七都も、そんな彼の笑顔を見て、やはり嬉しくなる。

 手を振った決まり悪さが、たちまち消滅した。

 やっぱりルーアンって素直で正直なんだよね。

 感情がこんな感じで、顔にすぐ出る。

 それは、わたしも同じみたいなんだけど。

 わたしも、あんな笑顔が出来たらいいな……。


<眠れましたか?>


 ルーアンの声が頭の中に届いてくる。


「眠れたけど……。なんだか変わったリアルな夢を見たよ」


<夢?>


「あなたも出てきた。うちのリビングにいたの」


<それは、光栄ですね>


 彼が穏やかに微笑んだ。


<あの薬草のお茶を飲むと、ぐっすり眠れるはずなのですが。薬草の量が足りなかったのでしょうか>


「わたしには、魔神族と同じ量では、ちゃんと効かないのかも」


 七都は、血止めの薬が時間よりも早く切れてしまったことを思い出す。


<では、今夜の分には、薬草多めでお作りしましょう>


「うん。お願い」


 あの二つの夢のことは、とても気になるが――特に、あとのほうの夢は。

 夢なんか見ないで、朝までぐっすりと眠れるなら、もちろんそのほうがいいに決まっている。


<ナナト。朝のお茶をご一緒にいかがですか?>


 七都の頭の中で、ルーアンが言った。


<私はこれから食事を取るのですが、そのあとはお茶を飲みます。よろしかったら……>


「朝のお茶?」

「魔神族は、食事はそれぞれ個人で取るけど、お茶はみんなで飲むんだ」


 ナチグロ=ロビンが解説してくれる。


「うん。いいよ」


 七都が答えると、ルーアンは、にっこりと魅力的に笑った。


<では、お待ちしております。お茶を飲んだら、シイディアのところに出かけましょう>


「こんな朝から? 迷惑じゃない? 午後からとか、せめてもう少し遅い時間にしたほうが……」


<たとえもっと早朝でも、深夜でも、彼女はきっと迷惑には思わないでしょう>


 ルーアンが、妙なことを言った。


「ふうん? そうなの? ならいいけど……」


<では、後ほど。ナナト、着替えてくださいね>


 くすっとルーアンが微笑んで、軽くお辞儀をした。


「は……っ!」


 七都は、ルーアンのその言葉で、自分が寝間着のまま、窓際に立っていたことに気づいた。

 元はレースがたっぷり入ったドレスのような寝間着は、起き抜けで、とても人には見せられない悲惨な状態になっている。ついでに髪もぼさぼさだ。


「しまった。見られた!」


 けれども、七都は思い直す。

 だいじょうぶ。

 ここからルーアンのいる庭まで、相当距離があるのだもの。

 ここからだって、ルーアンはとても小さくしか見えていない。

 絶対わかんない。どんな格好をしているかなんて、細かいことまで。

 それでも七都は気になって、ナチグロ=ロビンに訊ねた。


「魔神族って、目いいんだっけ?」

「個人差があるなあ。すごく見える人は、すごく見えちゃう。なんで?」


 ナチグロ=ロビンが無邪気に言う。


「あっそ……。やっぱ、見られたかも……」


 七都は溜め息をついて、頭を抱えた。

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