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第3章 風の城の住人たち 3

「扉を開けて、堂々と部屋の中に入って行くなんてさ。あいつらの楽しいゲームを止めてしまった」

「は?」

「もう充分わかっただろ」


 ナチグロ=ロビンが、ふうっと溜め息まじりに言った。少し怒ったような口調だった。


「わかったって……何がだよ?」

「今の部屋にいたやつらの正体。さっきの醜く変貌していた元少女の正体。それから、彼女を含む、あのへんちくりんな貴婦人の集団の正体さ」

「……アヌヴィム……なの?」


 七都は、彼に訊ねた。


「あの人たち、アヌヴィム……?」


 それは、ここで最初にあの女性たちに会ったときに感じた疑問だった。だが、それにしても……。


「ピンポーン。ご明解。わかってんじゃん」


 ナチグロ=ロビンが少し嫌味っぽく、節を付けて答える。


「この城に人間が意味もなくいるわけがないってことさ」


 確かに魔の領域の中であるここにアヌヴィムがいないはずもなかった。いないほうが不自然というものだ。なぜなら――。


「つまりあの人たちは、この城の魔神族の食料ってこと……」


 七都は、うんざり気味に呟いた。


「そ。今のところはルーアンの。それからぼくの。七都さんは人間のエディシルは食べないんだから、彼らと接触する必要もないわけだろ」

「でも、お酒飲んでたよ。アヌヴィムは、お酒は飲めないんでしょう?」

「あれはお酒じゃない。ノンアルコールの健康的な飲み物だ。どこかの酒を未練がましく忘れられないアヌヴィムが作った、バッタもんのお酒っぽい液体さ」

「あの人たち……。ああやって、いつもニセモノのお酒を飲みながら、ゲームしてるの?」

「そう。来る日も来る日もね。もう何十年も。何百年も、かな。それが彼らの望んだことだから」

「望んだって……?」


 廊下の奥から、誰かが近づいてくる。

 質素な身なりをした、中年の男性と女性だった。

 手には、色とりどりの豪華な料理が乗せられた皿を持っている。

 彼らには、アヌヴィムたちのような、どこかに魔力のかけらを感じさせるような雰囲気は全くない。完全に人間だった。

 二人は七都とナチグロ=ロビンに頭を下げ、そそくさと通り過ぎて行く。


「彼らは? どう見ても、召使いっぽいけど……人間の」


 七都は振り返って、彼らの後ろ姿を眺めた。


「うん。召使いだよ。フツーの人間」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「でも、この城に召使いはいないんでしょ」

「アヌヴィムの、だよ。姫君である七都さんの召使いはいないけど、アヌヴィムたちの世話をする召使いはいる。そういうことさ。彼らは、ただひたすらアヌヴィムの世話をしていればいい。魔の領域の中にいても、魔神族から何か危険なことをされる怖れもない。お金もたんまり稼げる。ってことで、アヌヴィムの世話係という職業は、人間の間では意外と人気があるんだよ」

「なんか……。なんか、変……」


 ふと気がつくと七都の周囲に、何かがたくさん詰まった棚が現れていた。

 棚は天井の高いその部屋に、仕切られた壁のようにそそり立っている。

 上部に白い光を宿した窓が並んでいたが、部屋全体は薄暗かった。見覚えのある光景だ。


「ここは……さっきの?」

「図書館だよ。あの少年にも会うって言ってただろ」


 七都は、近くの棚から、中味を一つだけ取り出してみた。

 プラスチックのような感触の本を開けると、未知の文字がぎっしりと模様のように凝縮されて固まっている。

 七都は、顔をしかめた。


「やっぱり、読めない……」

「ほら、こういうのなら読めるって」


 ナチグロ=ロビンが別の棚から本を抜き出して、七都に手渡した。

 金属の感触のその本を開けると、ページの表面に映像が立ち上がる。

 見たことのない異世界の風景だった。変わった形の建物がひしめく街があり、その上空には、三つの月がかかっている。


「すごい。飛び出す絵本……じゃなくて、飛び出す写真集……かな」


 ぴくり、と誰かが、本の棚で支配されたその広い空間の隅で動いた。

 七都でもナチグロ=ロビンでもない、別の第三者だ。

 その気配を感じて、七都は本から顔を上げる。


「彼だ。もちろん会うよね?」


 ナチグロ=ロビンが、七都から本を取り上げて言った。


「待って。じゃあ、あの子も、アヌヴィム?」

「当然。その棚の裏の、奥のほうにいるよ」


 ナチグロ=ロビンが、右斜めの棚を指差した。

 七都は、迷路のような本棚の間を縫ってその場所まで歩いて行こうとしたが、思い直して魔力を使い、本棚を直接通り抜ける。


 本棚に挟まれた空間の奥に、その少年は座っていた。

 脚立のてっぺんに座るための台をくっつけたような背の高い椅子に、無造作に足を絡めながら。

 彼は本を手にしたまま、真っ直ぐ七都を見下ろした。


「こんにちは」


 七都は一応、にこやかに挨拶する。

 彼は愛想が悪い、とナチグロ=ロビンは言っていた。

 さっきのゲームをしていたアヌヴィムたちも、あまり友好的ではなかったが、さらに彼らの上を行くのかもしれない。ある程度そう覚悟しながら。

 案の定その少年は、ただ七都を一瞥しただけだった。それから、仕方なくという感じで、手にしていた本をパタンと閉じた。


「仕事か……」


 彼は呟き、背の高い椅子からゆっくりと降りてくる。

 床に足を付けた少年は、改めて七都を見つめた。

 淡いグリーンの目が薄暗い空間の中で、光を通したソーダ水のように妙に光って見えた。

 髪はこげ茶色。天然パーマなのか、くるくると渦巻いている。

 身につけている衣装はラフな感じだったが、その素材は上質なものであることが一目でわかる。

 近づいてきた彼は、七都のそばで立ち止まった。

 ナチグロ=ロビンと同じような歳の少年だったが、彼よりも背が高かった。もちろん、七都よりも高い。


「どうぞ。早く済ませていただけると、ありがたい」


 彼が、少し腰をかがめるような姿勢を取って言った。

 恋人に、ごく軽いキスを要求するかのようなポーズだ。

 彼の物言いは穏やかだったが、どこかにわずかながら怒りが込められている。読書を邪魔されて、あまり機嫌はよくないらしい。

 七都は、後ずさった。

 つまり……さっさとエディシルを召し上がれ。そういう意味だ。


「あの……。わたしが誰か、とか訊いたりしないの?」


 七都は、彼に訊ねてみた。

 少年は、質問されたことに幾分驚いたように、薄緑の目をゆっくりと七都に注いだ。


「誰かって? ミウゼリルさまの姫君でしょう? 最後にミウゼリルさまがここに来られたとき、身ごもっておられましたから。それに、ミウゼリルさまに、とてもよく似ておられますしね」


 少年が言った。


 ミウゼリル……。お母さんが……。

 別に落ち込むことでもない。

 母は魔神族なのだ。この城でアヌヴィムのエディシルを糧にして、生活をしていた。

 ならば、母がこの少年のエディシルを常に食べていたとしても、それは当然というべきだろう。

 それはわかってはいるが、やはり、そういう話は七都にとって、あまりいい気分のものではなかった。

 それに、身ごもっていた母がここに来ていたということは、お腹の中にいた七都自身も、彼のエディシルを糧に成長していたということにもなる。


「お母さんは、ここにはよく?」

「美羽さんは、どういうわけかこの子が気に入ってたのさ。まあ、美羽さんは図書館に入り浸ってたから、ペットみたいな感覚だったのかもね」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「そう……。でも、わたしはお母さんのように、あなたのエディシルは食べないから。安心して」


 少年は、七都をじっと見つめた。

 それから、明らかに気分を害したように眉を寄せ、くるりと方向転換をしてしまった。


「では、御用はないわけですね。ごきげんよう、姫さま」


 彼は、再び椅子の上に移動する。

 その緩慢な動きは、少年というよりも老人のものだった。


「あ、そうだ。申し上げておきますけど」


 七都を見下ろして、彼が言った。


「ミウゼリルさまは魔王さまでしたから、ぼくのエディシルは召し上がられませんでしたよ。そんなことをしたら、ぼくは耐えられなくて、死んでしまいますからね」


 アヌヴィムの少年は、薄暗い本棚の間で読書を再開させる。

 それ以後彼は、まるで椅子の上で彫像になってしまったかのように、微動だにしなかった。


「自分の世界に入っちゃった。面会は終わりだよ。気が済んだ、お姫さま?」


 ナチグロ=ロビンが言った。

 七都はナチグロ=ロビンの腕をつかみ、彼の誘導で、本棚をいくつも通り抜けて図書館を出る。


「彼は……ああやって、いつも本を読んでいるの?」


 明るい廊下に戻ったところで、七都はナチグロ=ロビンに訊ねた。


「そう。食事や入浴なんかの時間を除いてはね。ただ本を読む生活。彼は、そうしたいがためにアヌヴィムになった」

「そうしたいがためって……?」

「つまり、取引さ。彼も、さっきのゲームをしていたやつらも、あのニセ貴婦人たちも」

「それ……魔神族にエディシルを与える代償ってこと?」


 ナチグロ=ロビンは、大きく頷く。


「魔神族にエディシルを与える代わりに、彼らは彼らのやりたいことをする。図書館で膨大な本に囲まれて、その本を自分のペースで好きなように読んで行く生活。ゲームをしながら、おいしいものを食べて、楽しく騒いで暮らす生活。きれいな服を着て、宝石をまとって、庭園を散歩して、お喋りをして、優雅に暮らす生活。酒は飲めないけど、お金の心配も仕事のストレスもないのんびりした時間が、ここで半永久的に続く。歳を取ることもない。病気になることもない。永遠に若く、美しいまま。普通の人間よりもはるかに延ばされた寿命を終えるまで、ずっとね」

「さっきの変わり果てた女の人は?」

「ああ、たぶん、ルーアンにエディシルを食べられたとこ。彼女は、数百歳にもなるベテランのアヌヴィムだからね。あれが彼女の本当の姿さ。エディシルを取られたら、元の姿に戻ってしまうんだ。アヌヴィムの魔法使いだったら、魔法を使って、そういうことは防げるんだけどね。彼らは魔法使いじゃないから、修復するには半日以上かかってしまう。安静にして、栄養のある物を食べて、やっと元に戻るのさ」

「エディシルと引き換えに、そんな生活をしてるの? そんなのって……」


 七都は、手を握りしめた。


「お気に召さない? でも、彼らが望んだことなんだよ。彼らはそのためにアヌヴィムになり、ここで暮らすことを選んだ。与えられた膨大な時間をどう使うかは、彼らの自由。魔神族側がどうこう言うことじゃない。とにかく彼らが健康で、必要なときにいつでもエディシルを提供してくれれば、それでいい。特に何も騒がしい事件を起こさず、ここで穏やかに暮らしてくれてれば、問題はない。ぼくらの食事のときだって、彼らの生活を乱さず、その時選んだ彼らの中の誰かに背後から静かに忍び寄って、エディシルをいただく。体力を失った彼らは、回復するまで、その場から離れる。回復したら、また彼らの集団に戻る。何事もなかったかのようにね。周りのアヌヴィムは、見て見ぬ振り。それがルール」


「ルール違反って、さっき……」


「そう。だから、さっきのゲーム部屋での七都さんの行動は、ルール違反だって言ったんだ。魔神族とアヌヴィムである彼らの関係を、露骨に彼らに示すことになるからね。しかも、彼らの生活を中断して。彼らにしては、いやーな気分だろうね。図書館の少年には、食事のときは、ま、本を読むのはやめてもらわなきゃなんないわけだけどね」

「でも、でも……。何か間違ってるよ。そんな生活、おかしい……」

「真面目でお堅いナナト姫。魔神族は、人間の生体エネルギーを糧にしなければ、生きていけないんだよ。妥当な手段だと思うけど? 七都さんの世界の吸血鬼みたいに、一方的に血を取るために、人間を殺しまくってるわけじゃないぞ。ギブアンドテイクだ」


 ナチグロ=ロビンが、意地悪っぽく言う。

 アヌヴィムは、魔神族と取引をする人間たち。

 エディシルを提供する代償として、魔神族から魔法や宝石や武器を与えられる。

 そして、七都が会ったこの城のアヌヴィムたちは、そういうものの代わりに、この城での生活を望んだのだ。


「でも、あの人たち、わたしが今まで会ってきたアヌヴィムとは、全然違う……」

「ふうん? どう違う?」

「なんて言うか……うまく表現できないけど……。ちゃんと生きていない。わたしが会ったアヌヴィムさんたちは、みんな自分でしっかりと生きてたよ。普通に人間として感情が豊かだったし、親切にわたしに接してくれたし、心配してくれたし、悩んでたし、アヌヴィムらしからぬ行動を取ってたし、アヌヴィムとしてのプライドも持ってた。自分のことだけじゃなく、他人のことも考えてた。自分の世界に閉じこもって、鍵をかけてなんていなかった」

「アヌヴィムにも、いろいろいるからね。じゃあ、最後にあのニセ貴婦人たちに会いに行こうか。彼女たちに会えば、この城の住人全員と会うことになる。昔はもっといたんだけどね。ずううっと下手な絵を描き続けるアヌヴィムとか、決して上達しない楽器を演奏し続けるアヌヴィムとか」

「その人たちは、寿命を全うしたの?」

「自分で、自分の長すぎる生活を断ち切った。この城の敷地の端っこから下に飛び降りるってパターンが多かったかな」


 ナチグロ=ロビンが、何の感慨もなく、答える。


「やーっぱり、七都さんの言うように、どこか間違っているそんな生活に我慢できなくなった……ってことかもしれないねえ?」


 七都は、間延びした口調でのんびりと話すナチグロ=ロビンを睨んだ。

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