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第2章 天辺の部屋 7

「でも、なんか、情けない……」


 浴室の隅で見つけた銀色の柄杓でお湯をかぶりながら、七都は呟いた。

 隣には、掃除をしないと使えない、年季の入った埃だらけの浴槽が、かなりのスペースを占めて、どんと横たわっていた。

 七都は浴室の隅で、遠慮がちに湯を浴びる。

 ここまでの旅の間、みんなが姫君扱いしてくれたから、当然、風の城でもそうだと思っていた。

 地の都のアーデリーズの屋敷以上の数の侍女たちにかしずかれ、優雅でリッチなお姫さま生活――。

 なのに風の城には、侍女や召使いどころか、王族さえいない。

 いや、魔王リュシフィン自体、存在しない。主のいない冠が玉座に浮いているだけだ。

 姫君が帰還したというのに、迎えもほとんどなく、姫君は部屋も自分で探さなければならないし、ベッドメーキングも掃除も、やはり自分でしなければならないのだ。


「現実は甘くないってことか」


 七都は浴槽にちらっと目をやり、それから頭上の宝石の形の窓を見上げた。

 明日は絶対ここをぴかぴかにして、浴槽にお湯を張って、あの窓を見ながらお風呂に入るんだから。

 しっかりと、心の中でそう決める。

 月が真上に来たりしたら、最高だろうな。

 まだ明るいうちに入って、ラベンダー色の空と白い雲を眺めるのもいいけど。

 ナチグロ=ロビンが持ってきてくれた瓶の一つから、中身を出して、体に塗ってみる。

 シルクのような白い泡が、たちまち肌をふわっと包みこんだ。


「いい香り。あまーい薔薇の香りだ。でも、これ、シャンプーなのかな。ま、いいや、きれいになればなんだって」


 七都はそれを髪にも付けて、全身を泡だらけにした。

 それから、ふと、竜のような動物の口から流れ出ているお湯を眺める。


「やっぱり、シャワーは欲しいんだけど」


 七都が泡だらけの手をかざすと、お湯は天井に向かって高く上がった。そして、幾筋もの弧を描いて、勢いよく落ちてくる。


「元の世界から、シャワーを持ってこなくてすみそうだ」


 七都は、魔力で作った即席のシャワーでお湯を浴び、泡を洗い流した。

 いい気持ち。

 しばらくこうやって、お湯を浴びていよう。

 だけど、考えてみれば、ここの掃除だけじゃなく、メインのお部屋の掃除もしなければならないってことだよね。あの大きな窓も磨かなくちゃ。

 ……ってことは、待って。

 もしかしてこの城、まるごと全部、わたしが掃除しなきゃならないわけ?

 何千もの部屋があるこの城を???

 とんてもない疑問が湧き上がってくる。


<この城は、あなたの城なのですからね。もちろん、掃除もあなたにやっていただきますよ>


 なんて、ルーアンならあの顔で言いかねない……かも。

 七都は、溜め息をついた。


「ルーアンは、どうやってこの城を掃除してるんだろ?」


 魔力で?

 七都は、いつかアニメで見た、勝手に掃除をする魔法のホウキやハタキを思い浮かべた。

 そして、たくさんの魔法のホウキやハタキをあやつって、城の掃除をする『魔法使いルーアン』の図。

 けれども、それは、頭の中から閉め出してしまう。

 違うよね。

 魔神族の魔力は、ああいう魔法とは少し違ってる。

 呪文とか、お鍋にいろんな妖しいものを煮込んで作る魔法の産物とか、そういう付属物はなくて。

 もう少しSF的というか。やっぱり超能力のたぐいだもの。

 とにかく、明日は、部屋とお風呂の掃除をメインにしよう。

 この後着替えたら、ナチグロにあの女の人たちのところへ連れて行ってもらって、お話して、他の住人たちにも会って。

 きょうはそれで終わりかな。それでベッドメーキングして、寝よう。

 全く、ここではお姫さまは、スケジュールも自分で決めなきゃなんないんだよね。

 あさって以降は――。

 そうだ、シィディアに会いに行かなくちゃ。

 それから、幽体離脱したときに入りそうになって、番人の魔王さまに止められた、あの扉のところにも、案内してもらおう。

 あ、でも、その前に、あの庭を散歩してみたいな。

 それより、あのレベル別対応してくれるオサカナさんで、剣のお稽古もしなくっちゃ。それを朝の運動にしてもいいかな。

 シャワーを心地よく全身に浴びながら、七都は、ここでやりたいことをいろいろとピックアップしてみる。

 

 浴室から出ると、ベッドの上に小柄な黒猫が一匹、お腹を上にして、万歳をするような感じで、転がっていた。両方の前足と尻尾の先が、雪のように白い。


「ナチグロ!」


 嬉しくなって、思わず七都は呼んでしまう。 

 やはり、少年よりはこの姿のほうが見慣れているし、懐かしい。

 そしてその姿は、この異世界と七都が住んでいる世界との貴重な接点でもあるのだ。

 猫のナチグロ=ロビンは、新しいベッドカバーの上に寝ていた。

 前のものとは模様が違うが、同じような色合いの花柄で、この部屋の雰囲気に合わせて選んだようだった。

 枕も毛布もシーツも、新しいものに取り替えられている。


「ありがとう。ベッドメーキングしてくれたんだ。あ、それから、もしかして、部屋の掃除もしてくれたの? きれいになってる……」


 埃っぽかったその古い部屋は、明らかに七都が浴室に入る前とは様子が異なっていた。

 空気が澄んでいるし、窓も透明度が増している。

 博物館の展示品のようだった雰囲気が消えていた。

 ベッドの上には、やわらかい布がたたんで置かれている。タオルのようだ。

 七都はそれを取り上げて、体に巻きつけた。

 お湯の水分が、あっという間に吸収されていく。けれどもタオルは、濡れたり湿ったりすることはなく、乾いたさらさらの状態を保っていた。


「魔法のタオルだ。ナチグロ、気が利く。きみ、生意気だけど、やさしくて親切なところもあるんだよね。で、案外やり手かも」


 七都は呟いて、ナチグロ=ロビンの顔をそっと覗き込んでみる。


「掃除したので、疲れたのかな。よく寝て……」


 万歳をしたナチグロ=ロビンは、しっかりと目を見開いて、ぎろっと七都を睨んだ。


「寝てないっ!」

「あっち向いてろって言ったくせに。自分からぼくの視界に入って来てるじゃん」


 彼が猫のまま、七都に話しかけてくる。


「うわ。猫がしゃべった」

「何を今さら」


 猫のナチグロ=ロビンは起き上がり、長い伸びをした。そして、あくびも一つ付け加える。

 彼は、いつもの宝石のような金の目で、いつもと同じように、少しだけ首をかしげて七都をじっと見た。

 七都の家のリビングのソファで、いつもそうしているように。

 七都は、猫の彼のどこか向こう側に、元の世界を垣間見ているような気がして、言い知れぬせつなさと懐かしさを感じる。

 タオル一枚という姿だったが、猫に変身した彼に見られても、特にはずかしさも決まり悪さもなかった。

 たぶんそれくらい、猫である彼は、七都の感覚になじんでしまっている。

 猫の彼が普通に喋っていることに対して、違和感が少しあるくらいだ。


「ベッドはともかく、部屋の掃除はどうやってしたの? 魔法じゃないよね?」


 七都は、素早く魔法のホウキやハタキを探したが、もちろんそんなものは見つからなかった。


「あれ」


 ナチグロ=ロビンが天井を指差す。肉球の付いた猫の前足で。


「え?」 


 天井には、銀色の平たいものが、いくつも折り重なるように、うごめいていた。

 楕円形に切り取られた、銀色をした金属の板。

 それが重なっているように見える。

 けれどもよく観察すると、その楕円形の金属の端から、これも関節付きの金属の細い足が、わさっとはえていた。

 銀色の巨大な機械のゴキブリの群れ――だ。

 正確には、ゴキブリよりも足の長さは短く、けれども本数は多めの、不恰好な機械の虫だった。

 大きな銀色の小判に、針金の細い足をたくさんくっつけたような。

 七都は、悲鳴を飲み込んだ。

 たとえ銀色だろうが、機械だろうが、嫌いなものは嫌いだ。

 あの輪郭、あの平たさ。それにあの足たち。


「あ、あれ、なに……?」


 七都は、悲鳴をどうにかこうにか質問に転換する。


「そーじき」


 ナチグロ=ロビンが、事も無げに答えた。


「そ、掃除機?」


 七都は、ひきつった笑いを無理やり口元に浮かべて、天井を再び見上げた。


「あのゴキちゃんが、掃除機?」

「そ。部屋に放っておくだけで、勝手に掃除して、きれいにしてくれる。便利な機械だよ。掃除機であり、モップであり、窓拭きもやってくれるのさ」


 確かに便利だけど。

 なに、あの趣味の悪さ。

 なんでわざわざ、気持ちの悪い虫の形にするわけ?


「もしかして、あれもオサカナと同じように、光の都で買ってきたの?」

「たぶんね。機械は大体そうだから」


 やっぱりあれも、ジエルフォートさまがつくったもの……かも。

 七都は、思ってしまう。

 あの白い研究室に、似たような機械の虫がいたもの。あれも掃除機だったのかも。

 またどこかでジエルフォートが、濡れ衣だ、と叫びそうだったが。


「なんだよ。気に入らないの?」


 猫のナチグロ=ロビンが、相変わらず両手をお手上げ状態にしたまま、訊ねる。


「わたしがああいうのが大嫌いなの、知ってるでしょ」

「ぼくには、かなり魅力的な形の掃除機に思えるけどね。胸がときめくよ」


 ナチグロ=ロビンはそう言って、天井の機械の虫の動きを目で追いかける。


「つまり、猫さん仕様か」

「一石二鳥。部屋はきれいになるし、遊べるし。あれは単なる機械だから。そう毛嫌いすることもないさ」

「うん。ゴキちゃんじゃなくて、機械の掃除機だよね。見た目の趣味が悪いだけだもんね。そうだ、じゃあ、あれでお風呂も掃除すればいいわけじゃない。あの虫さんたちを全員お風呂にしばらく閉じ込めておけば、相当きれいになるよ」


 見てくれはともかく、あの機械を使えば、どうやら明日のお風呂掃除からは開放されそうだ。

 七都は期待を込めて提案したが、ナチグロ=ロビンはそれをばっさりと切って捨てた。


「甘いね、七都さん。残念ながら、あれには防水機能はないんだ。風呂になんて入れたら、即壊れるぞ。粗大ゴミの山が、あっという間に出来ちまう」


 天井にわんさか固まっている機械の巨大ゴキブリもいやだったが、床に山のようになっている壊れた残骸は、もっといやかもしれない。


「えー。なんで防水機能、ないんだよー?」

「風呂掃除用はあったけど、ことごとく壊れた。以来、風呂は地道にアナログ、とどのつまり、手作業で掃除してるのさ」

「修理とかに出さないの?」

「ルーアンは、あまり外には出ないからね。ここの人たちも。ぼくも光の都には行かない。光の都どころか、他の都にもね。かろうじて地の都を通り道にしているくらいかな」

「閉鎖的だね。他の都と交流したりしないんだ?」

「美羽さんがいなくなってからは、それが日常的になってしまっている。寂しいけれど、静かで穏やかな、ここのいつもの景色だよ。でも、本当はその景色を日常化するのはよくないんだ。ますますこの都はさびれていく。何なら、七都さんがその景色を破壊して、光の都に掃除機を持って行って修理に出すとか、新しいのを買ってくるとかしてくれてもいいんだけどな。ついでに、他のいろんな便利な機械なんかも、買ってきてもらったりして」

「それは構わないけど。お金は? 機械はただで売ってくれないでしょ?」

「魔神族のお金は宝石だよ。蔵にたくさんあるから、適当に持ってたらいいさ」

「うん……。じゃあ、適当に宝石を持ってって、ジエルフォートさまに掃除機くださいって言ったら、売ってくれるかなあ」


 七都が光の魔王の名前を出すと、途端にナチグロ=ロビンはぐるりとひっくり返り、慌てて起き直る。


「光の魔王さまから、掃除機を直で買うのかよっ!」

「もっと趣味の悪い掃除機を売りつけられるかな。ゴキちゃんじゃなくて、ゲジゲジとか」

「ぼくはそのほうがいいけど。じゃれがいがある」

「でも、その蔵の宝石ってどこから補充するの? 使ったらなくなっちゃうよね」

「異世界だよ」


 と、ナチグロ=ロビン。


「魔神族は魔力を駆使して、異世界で宝石を探す。いろんな異世界で、さまざまな珍しい宝石をね。それで取引を行う」

「人間とも、だよね。それが経済の源か。じゃ、わたしも宝石を探さなきゃならないね」

「そうだね。だけど、この都の住人を当分まかなえるくらいの宝石はあるよ。人口が極端に少ないしね。七都さんが宝石を探さなきゃならなくなるなんてことは、まだないと思うよ」


 それからナチグロ=ロビンは、何げなく付け加える。


「それに風の都には、他の都にはない特産物もあるしさ。みんな、とても高い値段で買ってくれるから」

「なに、その特産物って?」


 七都が訊ねるとナチグロ=ロビンは、しまったという顔をした。そして、あわてて取り繕う。


「そ、そのうちルーアンが話してくれるよ」

「ふうん? ほんっと隠し事が多いよね、ここは」


 七都はベッドのそばで腕を組み、ナチグロ=ロビンを見下ろした。


「やめろよ、仁王立ちなんて。猫に化けてると物が大きく見えるんだぞ。七都さん、迫力ありすぎだ」


 ナチグロ=ロビンが、金色の猫の目で七都を見上げて、呟く。


「わたしは魔神の姫君ですから。しかも前の風の魔王リュシフィンの娘で、次期リュシフィン候補。となると、多少の迫力は持っとかなきゃ」

「しかもお姫様は、タオル一枚のあられもない姿」


 七都はナチグロ=ロビンを軽く睨み、ベッドに広げていたドレスを取り上げる。


「さて、では、お姫様はお姫様の衣装に着替えますので。あっち向いててよ、ナチグロ」

「わかったよ。……ったく。その名前で呼ぶなって、何度も言ってるだろ」


 ナチグロ=ロビンは、再び万歳の格好をして足を伸ばし、頭をベッドに沈めてしまった。

 顎が無防備に上を向いている。お腹のふわふわの毛に豆のような肉球。長い尻尾。

 元の世界で見飽きるくらいに見慣れたナチグロの姿だった。

 七都は口元に笑みを浮かべ、姫君としての身支度をゆっくりと始めた。

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