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第2章 天辺の部屋 4

 部屋の隣には、専用の浴室が付いていた。

 小さな浴室だったが、天井にはやはりミニチュアサイズの宝石の形の天窓がはめられていて、入浴しながら空が見える仕組みになっている。

 壁も床も、白地に青の模様の高級タイルのような材質だった。

 七都はその浴室も気に入ったが、そこに取り付けられていた大きな羽根で包まれたようなデザインの浴槽には、埃がうずたかく積もっていた。

 簡単な掃除できれいになる、という程度ではない。やはり長期間使われていないせいなのだろう。


「これは……。ちょっと覚悟を決めて、掃除しなきゃならないね」


 七都は、うんざりして呟いた。

 正直、自分の家の浴室の掃除さえ、やったことがない。

 いつも当たり前のように、果林さんが済ませてくれているからだ。

 実のところ浴室どころか、自分の部屋の掃除も年末くらいにしかしない。

 帰宅すると、果林さんによって溜め息が出そうなくらいに整理整頓されている。


<自分でやるから>


 いつか果林さんに言おうとは思うのだが、そう言った途端果林さんがとても寂しそうな顔をして、その後もしばらく暗く落ち込みそうなので、なかなか言い出す勇気が出ないのだった。


「っていうか、このお風呂、使えるの?」

「どれどれ」


 ナチグロ=ロビンが、浴室の壁にあった機械のパネルのようなものに手を触れる。

 すぐに熱いお湯が、浴槽に勢いよく噴き出した。

 浴室は湯気で真っ白になる。けれども、それとは対照的などす黒いお湯が、浴槽に渦巻きながら溜まっていく。

 お湯自体は透明だが、浴槽が汚れているので、そういうとんでもない色になってしまっているのだ。


「うわ、もういいよ! とても入れない。掃除してからでないと!」


 七都が叫ぶと、ナチグロ=ロビンはお湯を止めた。湯気が、さあっと引いていく。


「じゃ、今日はお湯を軽くかぶるだけにすればいいさ。明日はしっかり掃除して、明日からはちゃんと湯船につかればいい」

「そうする。シャワーとかないの?」

「ないよ。そんな騒々しいもの。なんなら、今度七都さんの世界から持ってくれば?」


 ナチグロ=ロビンが、冷たく言った。

 そういえば、彼はシャワーが大嫌いだった。七都は、思い出して笑ってしまう。

 以前、浴室で猫の彼を洗おうとしたら、シャワーをかざしただけで逃走した。七都の腕に回し蹴りをくらわせて。

 あとで果林さんに訊いてみると、ナチグロにシャワーヘッドと掃除機ノズルを見せるのは厳禁とのことだった。死に物狂いで暴れるらしい。


「あ、そうだ。お風呂に入る前に、着るものの用意をしなくちゃ。寝る前には、ベッドメイキングもしなきゃいけないな。寝間着とかも準備しなきゃなんないし」


 言ってしまってから、七都は溜め息をつく。

 アーデリーズの屋敷では、全部、ラーディアや侍女たちがやってくれたのに。

 七都は何もせず、ただじっと待っていればよかった。

 そうすると、熱いお湯の入った清潔な浴槽が用意されたし、侍女たちが体を洗ってくれたし、髪にいい匂いのする香油を塗ってくれた。ドレスも着せてくれたし、アクセサリーも付けてくれた。

 ふかふかのベッドも用意されていて、目覚めれば、熱いカトゥースもセットで置かれていた。

 けれども、ここには侍女や小間使いはいない。すべて自分でするしかないのだ。

 ルーアンに自分のことは自分で出来るなどと言ってしまったものの、こうなってみると、やはりアーデリーズの屋敷が懐かしく思い出される。

 だめだ、だめだ。ここは地の都じゃないんだから。アーデリーズの屋敷じゃないんだから。

 七都は、ちやほやされてかしずかれることにどこか慣れてしまっていた自分を腹立たしく思う。


「じゃ、美羽さんの部屋に連れて行ってやるよ。そこで適当なの選べばいい」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「待って。この部屋に服は残ってないかな? ここを使っていた人のドレスとか?」

「あってもたぶん、ぼろぼろに劣化してるよ。何百年もたってるんだから。そんなの着るのかよ?」

「だって魔神族って、すぐれた科学力を持ってるじゃない。劣化していないかもしれないよ。一応、探してみる」


 七都は、浴室から出た。



「これだけの部屋だったら、絶対どこかにウォークインクローゼットとかあると思うんだよね。魔神族っておしゃれだし。王族の女性の部屋だったのなら、宝石だってなくちゃおかしい」


 七都は、クリーム色の壁を注意深く眺めた。そして壁に手を置き、さわりながら歩いてみる。


「あるとしたら、わたしの感覚では、この辺。ここらあたりがいちばん便利」


 七都は、壁を軽くたたく。

 壁のクリーム色が、いきなり曇りガラスのような長方形に変わった。


「当たりだ!」


 シュンという微かな音がして、長方形はそのまま右側に滑り、その奥に広い空間が現れる。

 そこには、さまざまな色の衣装や小物が、ブティックの陳列台のように並んでいた。

 宝石専用の棚もあって、豪華な宝石たちが競うようにきらめいている。


「やっぱり、ここ、お姫様の部屋だったんだ」


 七都は踊るようにステップを踏みながら、広いクローゼットの中に入った。

 浴室や寝室とは違うぴりりとした感触の空気が、七都をふわりと包み込む。

 壁には、宝石の標本のような機械のパネルがはめこまれていた。


「機械でコントロールされてる。たぶん、全部昔のままの状態で保管されてるよ、ロビン!」


 ナチグロ=ロビンは、ぽっかりと開いた長方形の入り口の前に、呆然と立ち尽くした。


「こんなところに……。なんで……。七都さん、知ってたの?」

「カンだよ、カン。魔神族の女性としてのカンだと思う」


 そう答えてから七都は、クローゼットの中をぐるりと見渡した。

 カンって言うより……。

 わたし、ここに入ったことなかったっけ?

 ここで、こうやってうきうきしながら、衣装やアクセサリーを選んだことなかったっけ?

 誰かとデートするために……。

 誰と……?


 七都は、クローゼットの中から、その向こう側の景色――自分の部屋に決めたばかりの部屋の景色を眺めた。

 クローゼットだけじゃない……。

 たとえば、あのベッドで泣きたいくらいに打ちのめされて、宝石の形の窓から見える空を仰ぎながら眠りについたのは、わたしなのでは?

 起きがけに蝶のレリーフを何度もぼんやりと見つめていたのは、わたしだとしたら……?

 デジャブだ……。単なる既視感ってやつ。

 だって、そんなはずないもの。ここに来たのは初めてなんだし。

 でも、泣きたいくらいに打ちのめされてって……。

 なんでそういうふうに思ったのだろう……。

 七都は、クローゼットの中に視線を戻した。そして、ずらりと並んだドレスに触れてみる。


「充分着られそうだよ、これ」


 どこかのセレブ御用達の高級ブティックで売られていても、おかしくないかもしれないドレスたちだった。

 何百年も前の服だとは思えない。

 このクローゼットに付けられた機械がすぐれているのか、それとも素材が特殊なのか。

 とにかく魔神族の科学力は、やっぱり相当なものかもしれない。

 七都は、ぎっしりと詰まったドレスの中から、何着かを取り出してみる。

 真紅の豪華なドレス。空の青のようなシンプルなドレス。真っ白の泡のような、ふわふわのドレス……。

 デザインも、そんなに古いという感じではない。アーデリーズが出してくれてもおかしくはないくらいの、洗練されたセンスだ。

 サイズも、小柄な七都に合いそうだった。ここを使っていた姫君は、七都と同じような背格好だったのだろう。

 しかし、何という量。あまりにも多すぎて、目移りしてしまう。


「これ、素敵。でも、あれもいいな。これも着てみたい」


 けれども、ドレスを選んだあとは、当然それに見合うアクセサリーも選ばなければならない。

 ネックレス、イヤリング、ブレスレット。髪飾りや額にはめる美しい輪など、棚には膨大な量のアクセサリーが置かれていた。

 どこにどれだけ、どういう色の組み合わせでどんなものを付ければいいのか――。

 七都は、途方に暮れてしまう。

 この後、城の住人たちとやらにも、会わなければならない。もちろん、あの女性たちの集団にも。

 彼女たちからは、おもいっきりチェックが入りそうだ。

 姫君としては、後ろ指をさされるような的外れで妙な格好もしたくはなかった。

 ここにアーデリーズがいれば……。すぐに、ぱぱっと決めてくれるだろうに。


「あれ?」


 七都は、ドレスの下――壁の隅のほうに、ひっそりと立てかけられるようにして置かれている、厚みのある板のようなものを見つけた。

 華やかなドレスや宝石が溢れている空間には、場違いで地味な荷物だ。


「なんだろ、あれ」


 それを引っ張り出すためには、並んだドレスを掻き分けて、無理やりその場所まで入らなければならない。

 いくら七都が小柄でも、それはちょっときつそうだ。


「こういうときには、魔力を使わなくちゃ」


 七都は、それに向かって手を伸ばす。

 ずず、とその板が動いた。

 カタツムリよりもゆっくりと、その物体は床を移動する。


「遅っ……。七都さん、日が暮れる」


 ナチグロ=ロビンが、冷ややかに呟いた。


「確かに。ごもっとも」


 めんどくなった七都は、それを瞬間移動させて、目の前に出現させた。


「で、なんだよ、それ」


 ナチグロ=ロビンが、その荷物を観察しながら、顔をしかめる。


「わかんない。でも、もしかして、これ……」


 その厚みのある板のようなものは、チョコレート色の薄い布で丁寧に包まれていた。

 そのシルエット、ラインには見覚えがある。アーデリーズの部屋で見たものだ。

 七都は、その布を取ってみる。


「やっぱり。絵だよ、これ」

「絵?」

「あ……」


 布が取り外され、全体像があらわになる。

 人物画だった。おそらく肖像画。

 宝石のカットのあの窓と、その向こうに広がるラベンダー色の空。 

 それを背景にして、立っている人物が二人……。

 七都は、その絵の中に描かれた人物たちを見て、うめくような声をあげる。


「ああ……」


「誰? 知ってる人?」


 ナチグロ=ロビンが首をかしげて、訊ねた。

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