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第2章 天辺の部屋 3

 その部屋の扉を開けた七都は、歓声をあげた。

 何てきれいな部屋なのだろう。

 壁の色はごく淡いクリーム色、床は淡いオレンジを基調にした、百合のような花と葉の流れるような模様。天井にも薄い青をベースに、星の形をした沢山の花が描かれている。

 正面の空間いっぱいに、そしてそこから天井にかけて広がる窓の白い枠は、宝石のカットをかたどったような形をしていた。

 部屋に置かれている家具は、籐で出来たような、白い軽やかな品で統一されている。

 それらは古いものではあったが、まだ充分に使える家具たちだということを七都はすぐに見て取った。


「素敵! 何だか妖精が乗る宇宙船の中にいるみたい!」


 七都は、広いベッドにジャンプして、寝転がる。

 ベッドは少し軋んだが、しっかりと七都を受け止めた。

 ナチグロ=ロビンがあきれたように腕組みをして、七都を見守る。<ガキかよ……>と言いたげに。


「窓が天井まで来てるから、頭上にずうっと空が見える。朝も昼も夜も」

「まあ、そういうことになるね」


 と、ナチグロ=ロビンが同意した。


「この部屋、とても気に入っちゃった。わたしの部屋、ここにしようかな」


 七都は、ベッドの上でうつ伏せになってみる。

 ベッドの広さと程よい硬さのクッションが心地いい。ここなら、ぐっすり眠れそうだ。

 部屋はそれほど広くはなかったが、それでも、七都の家の二階全部を合わせたよりも、はるかにスペースがあった。

 おそらく階下にはもっと広い部屋がたくさんあるのだろうが、あまりにも広い部屋というのも、たぶん落ち着かない。ここぐらいがちょうどいいかもしれない。

 家具も装飾も、七都の好みに合う。窓のデザインなどは、ハートをきゅんと鷲づかみだ。


「てっぺんの部屋に来た途端、いきなり決めるのかよ」


 ナチグロ=ロビンが、さらにあきれ果てて呟いた。


「ま、いいけど。どっちにしろ、そのベッドの毛布やらは、新しいのと取り替えたほうがいいと思うけどね。結構古そうだし」

「うん……」


 七都は、起き上がる。

 ベッドのヘッドボードには、豪華な蝶のレリーフが刻まれていた。

 古いベッド――。

 確かに昔、このベッドで寝ていた人物がいるのだ。

 ここに横たわり、就寝前に、宝石の内側のようなガラスの窓から天を見上げ、何かを考えていた人物が。

 そして、寝起きに白い蝶のレリーフをぼんやりと眺めて、そこに舞う蝶の数を数えていた人物が。

 この部屋の雰囲気からすると、女性に違いない。


「ここ誰の部屋だったの? ペントハウスみたいな場所なんでしょ? 他とは違う特別な部屋って感じ。王族?」

「知らない。ここには来たことないよ。いつも庭から眺めてはいたけど。開かずの部屋ってイメージだった。ルーアンからは、ここには入るなっていう無言の圧力みたいなものを感じた」

「えー。そんな部屋をわたしが使っちゃっていいのかな」


 七都は、戸惑った。

 彼に、ここに決めたって報告して、あの顔でしかめっ面をされてもな……。


「いいんじゃない? ルーアンはどこを選んでもいいって言ってたんだし。この城は一応、隅々まで七都さんのものなんだからね」

「そうだよね。じゃ、使おう。ところで、庭って……? ここから庭が見える?」

「もちろん、いい眺めだよ」


 窓のそばに立っていたナチグロ=ロビンが、振り返って答えた。

 七都は、彼の隣に瞬間移動した。そして、二回目の歓声を上げる。

 窓の下には、見事な庭園が広がっていた。

 何枚もの大皿を重ね合わせたような形の平たい地面に、さまざまな木々や花々が溢れる。

 木々の高さや花の色、種類は、その細部まで考え抜かれたようにバランスよく配置され、色や形の対比も見事なものだった。

 賑やかに色取られた大皿の地面の縁からは、白い小花を咲かせた蔓のような植物が、花柄のカーテンのように長く下にこぼれて、それぞれの皿を繋いでいた。

 薄緑の芝生のような草の上で濃い緑のアクセントになっているのは、いろんなポーズをした猫の形に刈られたトピアリー。

 薄紅色の絨毯のように見えるとても低い丈の花が、一面に咲いている場所もある。

 七都が幽体離脱して訪れたときに見た、四角く刈り込まれた緑の壁。それは上から見ると、その壁を幾つも組み合わせて作られた迷路になっていた。

 他にも、見覚えのある建物が点在している。

 庭園には銀色に光る小道が付けられ、それはいちばん端にある建物に続いていた。

 その建物は幾つかのアーチで繋がれ、下には石の床があった。

 そこからは低い階段が伸びていたが、階段の下には何もなく、白い雲がそこに渦巻いているのだった。


「素敵、素敵! あの道を散歩してみたい! あの白い花の絨毯の上でお茶会をして、寝転がってみたい! あの迷路の中にも入ってみたいし、あの猫の形の木を近くで見たい! それから、あの階段のある出っ張ったテラスにも行きたい! あそこからなら、下の景色が見えるよね」

「雲の切れ間からなら、かすかにね。どうぞ、ご自由に」


 ナチグロ=ロビンが言ったが、最後にぼそっと付け足した。


「でも、七都さん。あそこから落ちるなよ」


 七都は、庭園で何かがゆっくりと動いているのを見つけた。

 ルーアンとストーフィだった。

 ルーアンは庭園を散策するように移動し、彼の少し後ろからストーフィが、とことことついていく。

 空のラベンダー色を全身に映したストーフィの耳には、傾いていく太陽のかけらが、星の飾りのように輝いていた。


「ルーアンだ……」


 七都は、彼を眺めた。

 庭園をただ歩いているだけでも、ルーアンは絵になっていた。

 チャコールグレーの長い髪とマントが風でゆらゆらとなびく。

 七都と同じワインレッドはいえ、彼の目は七都よりもずっと神秘的で麗しく見える。どこか物憂げな表情も、かえって魅惑的だ。

 周囲の花々は、どれも彼に勝つことは出来ない。完璧に引き立て役に回っている。

 七都は両手の指で四角を作り、中にルーアンを捉えてみる。

 これは、やはり一枚の絵だ。

 片目をつぶって四角の中を覗きこみながら、七都は思う。

 彼の額にあの金の冠が輝いていたら、この絵はもっと豪華ですばらしい完成品になる。


(やっぱり、リュシフィンさまになるべきだよ、あなたは……)


 七都は心の中で、彼に向かって呟いた。


「ルーアンは、散歩してるのかな?」


 七都が訊ねると、ナチグロ=ロビンが首を振る。


「庭の見回りだよ。花や木がちゃんと育っているかどうか」

「ルーアン、庭の手入れもしているの? 公爵さまなのに?」


 七都は、突然立ち止まって後ろを振り返ったルーアンを、まじまじと眺めた。


「この庭をつくったのは、ルーアンなんだよ。長い時間をかけて、こんな見事な庭園にした。ルーアンは、昔は家族のために。それから少し前は、美羽さんのために。そして今は七都さんのために、庭の手入れをしている」

「え? やっぱり、わたしのため?」


 ルーアンは立ち止まったまま、じっとストーフィを見下ろした。ストーフィは、固まっている。


「そう。七都さんがこの庭を見て、なごんでくれるように。あの緑の迷路も、猫のトピアリーも、最近作ったものだ。七都さん、そういうの好きだろ?」


 ナチグロ=ロビンに訊かれて、七都は頷く。

 果林さんがイギリスの草花や庭園が好きなので、そういう本や雑誌がたくさん七都の家にはあった。

 その影響で、七都自身も庭園に興味を持っていた。

 果林さんと一緒に本を見ながら、確かに呟いたことがある。

 <猫のトピアリーってないのかな>とか、<この迷路、入ってみたい!>とか……。

 もちろん猫のナチグロ=ロビンはそばにいて、それを聞いていた。

 だとしたら、彼がルーアンにそのことを伝えたのかもしれない。そしてルーアンは、それを実際に作った。七都のために。


「七都さんがここに来る直前まで、ルーアンは猫のトピアリーを刈っていたよ」

「なんか想像つかない。植木を刈るルーアンも、プラモデルを作るルーアンも……。あの、全部の指に指輪をはめた手でやったんだよね……」

「トピアリーは未完成だから、彼はまた明日も刈ると思う。それを見たら納得出来るんじゃない?」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「魔力を使って、ささっとやっちゃうんじゃないんだ……」


 七都が呟くと、ナチグロ=ロビンは頭を抱えるポーズを取る。


「あのね。魔神族は、そういうことに魔力は使わないの。創造的、芸術的なことにはね。この庭はルーアンのアート作品なんだよ」


 そう言われて七都は、改めて眼下の素晴らしい庭園を眺めてみる。

 何度見ても魅了される。見るたびに、何か発見してしまう。


「でも……。ルーアンがそうやってわたしのためにいろいろしてくれるのは、やっぱり、わたしがリュシフィンの後継者だから? ここの王族の姫だから? 彼がわたしの臣下だから?」


 七都は、ナチグロ=ロビンに訊ねた。


「七都さんはルーアンの、たったひとり残った大切な身内だから。他にも理由はいろいろあるだろうけどね」


 たったひとりの身内か……。

 そうだね。わたしには、お父さんも果林さんも、父方の祖父母も親戚もたくさんいるけど、ルーアンには誰もいないんだ……。

 たとえ薄い血の繋がりの親戚とはいえ、身内はわたしだけしかいない……。

 ルーアンは、ストーフィのそばに近寄った。そして、うずくまり、首をかしげてストーフィをじいっと観察する。

 そのポーズも、意外性があって、さらに麗しい。

 女性なら、誰だってうっとりしてしまうかもしれない。

 ストーフィは、彼に見据えられて、さらに固まった。銀色の金属の体から、同じ色の汗の玉がぱらぱらと落ちそうだった。


「ストーフィったら、ルーアンになついちゃってる……?」

「ああ。何か気に入ったらしいね」

「あなたもたぶん、ストーフィに気に入られてるよね」


 七都が指摘すると、ナチグロ=ロビンは顔をしかめた。


「機械に気に入られても、嬉しくないね」


 その時、ルーアンが、七都たちが張り付いている巨大ブリリアントカットの窓を見上げた。

 二人分の熱心な視線に気づいたのかもしれない。

 彼の暗めの赤い瞳が、七都にまっすぐ届いてくる。

 七都はその目の力に負けぬよう、冷静に彼の瞳を見つめ返した。

 本来ならこういう場合、にこやかに手を振ったりするものなのだろうが、さっき彼に無理やりああいうことをされた手前、さすがにそんな気にもならない。


<その部屋に決められたのですか?>


 ルーアンの声が、頭のどこかでした。


「うん。ここ、とても気に入ったの。ここにする。いい?」


<もちろんです。どうぞ>


 彼が微笑んだ。

 しかめっ面ではなかったことに、七都はほっとする。


「でも、ここ、開かずの部屋だったんでしょ?」


 七都は、ナチグロ=ロビンから仕入れた情報を元に、質問してみる。

 ルーアンがちらっとナチグロ=ロビンに視線を移したので、ナチグロ=ロビンは額に手を置いて、決まり悪そうにうつむいた。


<そういうわけではありませんが……。長い間、誰にも使われなかった部屋です>


「呪われた部屋、とかじゃないよね?」


 七都が訊ねると、ルーアンが一瞬真顔になる。


(え? 呪われてるの、この部屋?)


<おもしろいことをおっしゃいますね。ホラー映画の見すぎですよ。呪われてなどいません>


 ルーアンが、七都の頭の中で言った。はるか下の庭園で、再び微笑みながら。


「そう。安心した」


<きっとその部屋も、あなたに使われて嬉しいと思いますよ>


「ならいいけど。あ、それから言っとくけどね、わたし、ホラー映画なんて見ませんから。苦手なの」


 ルーアンが、くすっと笑う。

 あなたは魔神の姫君なのに? かわいらしいですね――。

 そう言われたような気がして、七都は少しむくれた。

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