第2章 天辺の部屋 2
「だって、七都さん、大きくなったら、その本に見向きもしなくなったじゃん」
絵本だけではなかった。
絵本の下に重ねられていた他の本。そして、部屋のあちこちに、うず高く積まれている本。
それらは、七都が小学生の頃に読んでいたマンガであったし、果林さんが読んでいた恋愛小説だったし、央人が読んでいた政治経済の本でもあった。
そして、隅のほうに置かれている灰色の平べったいものは、確か昔、央人が使っていたワープロ。
その隣にあるのは、やはり昔、居間にいつもあったCDラジカセだった。
粗大ゴミの日に出したはずのビデオデッキやテレビなどもあった。さらには、膨大な数のビデオテープとCD、そして古い新聞や雑誌の束。
部屋の真ん中に飾るように置かれた妙に明るいオレンジ色をしたものは、陶器で出来たカボチャのランプだ。
それは、七都がカーラジルトに剣を教えてもらったときに出現した、あのジャック・オー・ランタンだった。
もちろんジャックは、けたけたと笑ったり、かみついてきたりしようとはせず、ただの無機的な雑貨のランプとして、おとなしくそこに置かれていた。
「カボチャ大魔王だ。物置にしまってあるとばかり思ってたのに……」
「それも電気が壊れて捨てられようとしていたから、いただいてきた」
ナチグロ=ロビンが言った。
「じゃあ、これ、全部あなたが集めたの? あなたがわたしの家から、ここへ持ってきたってこと?」
ナチグロ=ロビンは、大きく頷く。
「ルーアンのリクエストでね。もっとも、ぼくが勝手に厳選して持ってきたものも多いけど。言っとくけど、全部七都さんの家では不用品って烙印を押されたものばかりだよ」
七都はあきれながら、ガラクタの宝庫を眺めた。
それらは、七都の家では役目を終えたもの、いらないものばかりだったが、そのどれもが、家族の誰かが関わり、使ったものなのだ。
捨てられたはずのそれらが、異世界に集まっている。魔物の都市の、雲の上に浮かぶ城の一室に。
七都は、それらのものたちに、不思議な懐かしさを感じたが、同時に拒絶されているようなよそよそしさも感じた。
自分たちのものであったものが、ここではもう自分たちのものではない。
それは心がぴりぴりと痺れるような、奇妙な寂しさでもあった。
「確かにこれだけの資料を使って勉強したら、わたしの世界のこと、よくわかるよね。日本語も喋れちゃうかも……」
「だろ? もしかしたら、ルーアン、ジャンルによっては、七都さんよりも詳しいかもしれないよ」
ナチグロ=ロビンが、得意げに言った。
「ジャンルによっては?」
七都は、無造作に積まれていたものの中から、四角い箱を拾い上げる。
カラフルな色をした昔のロボットのイラストが、箱の表面に描かれていた。
ロボットのことについては、それがどういうものなのか、どういった意味があるのか、七都には全くわからないが、その箱には確かに見覚えがある。
「このプラモデル……。お父さんが、四個買ったはずなのに三個しかないって騒いでたプラモデルだ」
七都は、ちらとナチグロ=ロビンを横目で見た。
「これも厳選した不用品なわけ? お父さんの部屋から、ネコババしてきたものなんじゃないの?」
ナチグロ=ロビンは、眉を上げる。
「なぜに、全く同じ品物が三つも四つもいる? 理解不能だ。央人さん、とち狂ったとしか思えん」
「一つは組み立てるため。一つは眺めてさわって楽しむため。一つは開封厳禁の永久保存用。最後の一つは誰かに譲る用、もしくはオークション出品用」
七都は、果林さんが同じ質問を央人にして返ってきたというその答えを、ナチグロ=ロビンに向かって、呪文のように唱えた。
「やっぱり、理解不能。せめて二つにしておけば、残りの二つは別の人たちに行き渡る。もしかして、その限定生産・スペシャルパーツ付きモデルが手に入らなくて、悔しい思いをした人がいたかもしれないんだぞ。何事も独り占めはいけない」
と、ナチグロ=ロビン。
「まあ、いわゆるマニアだから、お父さん」
七都は、プラモデルの箱を開けてみた。
中には、きっちりと組み立てられたロボットが、白いポリエチレンの梱包材に包まれて、夢見るように眠っていた。
「組み立ててある……。塗料もきれいに塗ってある……。ルーアンが作ったの?」
「他に誰がやるって?」
ナチグロ=ロビンが、大げさに肩をすくめた。
七都は、プラモデルを作っているルーアンを想像して、はーっと頭を抱えたくなる。
「ルーアンとお父さんって……意外と話が合ったりして……」
七都は、呟いた。
「でも、ほんとにルーアンは、わたしとコミュニケーションを取りたくて、これだけ集めたの? 自分の趣味も入ってたりして……」
「いーや。大部分は七都さんのためだ。七都さんに親しみを持ってもらうために、七都さんの生まれて育った世界を研究したかった。そりゃま、多少の好みとか暇つぶしとかが混じってることは否定しないけど」
ナチグロ=ロビンが言った。
「暇つぶしって……」
七都は、憮然とその言葉を繰り返す。
「変なふうに聞こえるかもしれないけどね。人間よりずうっと長生きをする魔神族にとっては、すべてのことが暇つぶしさ。遊びだって、勉強だって、芸術だって。自分のために費やせる時間が山ほどあるからね」
「そんなもんなのかな」
そういえば、ジエルフォートさまも似たようなことを口にしていたけれど。
人間は、そんな悠長なことをしていたら、すぐに年老いてしまう。
果林さんが言っていた。
この間まで、高校生だったはずのに。ふと気がつくと三十代。今度ふと気がついたら、七十代くらいのおばあさんになってるかもしれないわ……。
だからナナちゃんは、今の時間を大切にしてね。
高校生でいられるのは、ほんの一瞬なのよ……。
とはいえ、今の七都には、果林さんの言ったことにあまり実感はない。
数学の授業なんて、ものごくのろのろと時間が流れるし、とにかく夕方になるまでがとても長い。
一日がうんざりするくらいに、ゆっくりと流れて行く。
次に何をしようか、どうやって過ごそうか、迷うくらいだ。
魔神族の暇つぶし云々も、全然わからないわけではなかった。
「ルーアンは、この世界での、七都さんのたった一人の身内だよ」
ナチグロ=ロビンが、真面目な顔をして、七都に言った。
「七都さんの世界では、七都さんの保護者は央人さんと果林さんだけど、ここではルーアンが保護者になる。ついでにルーアンは、七都さんのたった一人の臣下で側近でもある」
「保護者に側近か。そういうことになっちゃうんだ」
七都は、短めの溜め息をつく。
「でも、親戚かもしれないけど、彼は家族じゃない……」
ぽつりと七都が呟いた言葉に、ナチグロ=ロビンが眉を寄せた。
何か言いたそうな仕草を、唇をきゅっと噛むことでごまかしながら。
「ルーアンって、カーラジルトと仲悪いんだよね? 目の仇にされてたって、カーラジルトが言ってたよ。あれ、ルーアンのことだと思うんだけど。二人揃って仲良くわたしの側近、なんてちょっと無理かもしれないかな」
「あの伯爵は、いつも美羽さんと一緒にいたからね。ルーアンは、何か間違いが起きやしないかって警戒したんだよ。でも、結果的にはルーアンが警戒しなきゃならなかったのは、異世界の人間だったってわけだけど」
「それ、お父さんのことだよね」
七都が言うと、ナチグロ=ロビンは、チェシャ猫のように、にやっと笑った。
「あの二人、そんなに仲が悪いわけじゃないと思うよ。二人を上手にまとめるのは、七都さんの手腕だってこと」
「そんなこと言われると、プレッシャーだ。ルーアンひとりだけで、既にいっぱいいっぱいなのに」
ナチグロ=ロビンは、顔に軽くにやにやをくっつけたまま、七都に手を差し出す。
一瞬その手が、先程の猫の手であることを七都は期待したが、やはりそれはスマートな少年の手だった。
「じゃあ、ここはこのくらいにして、上の階に行こう。部屋を探すんだろ?」
「うん。いちばんてっぺんの部屋に連れてってよ」
「了解!」
ナチグロ=ロビンはアニメの登場人物のように、もう片方の手で敬礼のポーズをして見せた。