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第1章 姫君の帰還 18

「なんか……。気が抜けた……」


 七都は、玉座にぐったりともたれたまま、呟いた。

 静かだ。

 天井のガラスのドームから、やわらかい光が太めの縞模様を描いて床に落ち、柱や壁の装飾も光で淡く包まれている。

 その広間にあるものはすべて、その光によって、気だるげで古びた雰囲気にトータルコーディネートされていた。

 足元の階段も、光の布が敷かれたように眩しいくらいの銀白色で満たされ、床へと真っ直ぐに伸びている。

 そして、玉座の真上には金色の冠が、相変わらず支えなしに空中に留め付けられていた。

 七都は、おそらく七都よりも強力な存在感を周囲に刻みながらそこに浮かんでいる冠を振り仰ぐ。

 それは、どこか得体の知れぬ宇宙人の円盤のようにも見えた。

 リュシフィンの冠……。

 この冠をかぶった風の魔王リュシフィンに会うために、ここまで来たのに。

 リュシフィンさまだと思っていた人はリュシフィンさまじゃなくて、玉座は空っぽで、おまけにリュシフィンがわたし自身だなんて……。

 笑うしかないよ、まったく……。

 それに、わたしの存在自体……わたしが生まれてきたことが、この冠の意図したものかもしれないだなんて――。


 七都は、ルーアンとナチグロ=ロビンが出て行った扉を見下ろした。

 今、その扉は固く閉じられている。

 もちろん二人が帰ってきたらすぐに開くのだろうし、七都が命令しても簡単に開くのだろうが、光の加減のせいか、どことなく化石っぽく見えた。

 ルーアン……。

 わたし、あなたがてっきりリュシフィンさまだと思ってた。

 あなたに会えることをずっと楽しみにしていたのに。

 なのに、違ったんだ。

 なぜあなたは、王族だったのに臣籍に下っているのだろう。

 なぜリュシフィンになる資格がない、なんて言うんだろう?

 彼もまた、七都の計り知れない何かを背負っているのだろうか。


「でも、わたし、ルーアンが苦手だな……」


 七都は、呟く。

 はっきりと声に出して言ってしまったことで、居心地のよくない罪悪感のようなものが、みぞおちのあたりにわだかまってしまう。


「キディアスも苦手だったけど、一応、彼とはじゃれあえたし……」


 キディアスはその態度にむかついたが、ルーアンには、存在自体にとっつきにくい苛立ちのようなものを感じてしまう。

 そして、あの圧倒されるような威圧感――。

 キディアスは、魔貴族として王族の姫君である七都に接してくれていたが、ルーアンは全く違う。

 常に上から七都を見る。表面上はとても穏やかだが、決して抵抗することは許しませんよ、という態度で。

 第一、敬語は使っているとはいうものの、彼は七都のことを『様』付けでは呼ばない。

 お母さんのこともミウゼリルって、呼び捨てだものね。

 いったいルーアンって、どういう人なんだろ。


「ルーアンには、さっきのスカートめくりが精一杯かもしれない。とてもじゃないけど、おちょくれないや……」


 あの近づきがたさは、何なのだろうか。

 彼は、無理やり七都を拒否しているようにも見える。


「だけど、ナイジェルもアーデリーズもジエルフォートさまも、みんな魔王さまたちはびっくりするかな。わたしがリュシフィンになるかもしれない立場だって知ったら」


 ナイジェルは、どういう反応を示すのだろう。あまり見当がつかない。

 アーデリーズとジエルフォートさまは、大歓迎だったりして。

 アーデリーズなんか、ナナト、何を迷ってるの、さっさとリュシフィンになりなさいよ、なんて言うかな。

 それとも、彼女は無理やりエルフルドにならされたわけだから、ものすごく同情されてしまって、そんなの断っちゃいなさい、あなたは元の世界に帰らなければならないんだから、って言われるかな。

 だけど、とにかく、女性の魔王さまでも、冠が相手を気に入れば、子供は出来るかもしれないから……。

 わたしがリュシフィンだったお母さんから生まれたことが、そのことの証明なのだもの。

 それはいいニュースとして、彼女に伝えよう。

 アーデリーズ。もといエルフルドさま……。

 あなたは、ここにはわたしのこの世界での家族がいるって言ったけど……。結局、誰もいなかったよ。

 ナチグロはともかく、他には元王族の公爵さまがひとりだけで、王族はゼロだ。

 気持ちがいいくらい、誰もいない。


「……お母さん。見えないけど、もしかしてここにいたりする? 今、この玉座の横に立ってて、わたしを覗き込んでいたりする?」


 七都は、ふと訊ねてみる。

 返事はない。

 広間には音はなく、ただ白い光とそれを通す空気が、静かに溢れるだけだった。

 けれども、母は言ったのだ。魔の領域の中にいる限り、七都を見守ると。

 だから、七都の様子はわかっているはずだ。たとえ今ここにいなくても、何らかの方法で。

 やはり夢うつつとか、意識が朦朧としているときにしか、母とは会話は出来ないのだろうか。

 母のあの手のぬくもりを感じることは出来ないのだろうか。


「お母さん。わたし、リュシフィンにならなきゃならないの?」


 頭上の冠が、きらっと輝く。七都の質問に返事をしたかのように。

 七都は、玉座の肘掛に両腕を乗せた。そして、目を閉じる。


「お母さん、ここに座って、時々泣いてたの? そりゃあ、泣きたくなるよね。こんなだだっぴろい部屋の階段のてっぺんの椅子に、いつもたったひとりで座らされて。お父さんもお母さんも死んじゃってて、唯一の親戚で側近のルーアンは常に上から目線だし、きびしいし、怖いし。彼のこと、うんざりしてたんじゃないの?」


 違うよ……。

 わたしが泣いたのは、ナナトやヒロトに会えなくなっちゃうから、悲しかったの。

 ルーアンは私を愛してくれていたよ。私も彼を愛していたの。

 でも、それがわかったとき、彼とも会えなくなったの。愛してるよって、伝えることが出来なかったの……。


「え?」


 七都は目を開ける。

 小さな少女が、階段を駆け下りて行った。

 一瞬玉座を振り向いた彼女の目は、トルコ石のような鮮やかな不透明なブルー。髪は黒味がかった深い緑色。額には金の冠が輝いていた。


「誰、今の子……?」


 けれども、階段はそれまでと同じように静まり返り、そこにはドームのレース模様の影が薄く映っているだけだった。少女の姿はどこにもない。


「お母さん……?」


 過去の残留映像……?

 ここにも刻み付けられている……?

 それとも、これも夢?


 ぴと、と何かやわらかい弾力のあるものが、七都の頬に触れた。

 そして、ふわふわした毛のようなものの感触が続いて、すぐに遠ざかる。

 いつの間にか階段の下にナチグロ=ロビンが立っていて、玉座にいる七都を眩しそうに見上げていた。


「ナチグロ……」

「降りてきてよ。そんなところで目を開けたまま昼寝してないでさあ」


 彼が言った。


「今、魔法を使って私にさわった? 遠慮しないでここまで来たらいいのに?」

「ぼくは、七都さんのいるところに行くことは出来ない」

「え? なんで?」


 ナチグロ=ロビンは、緑が溶け込んだ金色の宝石のような目で、七都を睨んだ。<下級魔神族だからだよ>とその目は言っていた。


「七都さん、ここでいろんなことを訊きたくなるのはわからないでもないけどさ。その無邪気な質問が相手を結構傷つけてるってこと、知ってほしいんだけど」


 ナチグロ=ロビンが、ぼそっと言う。


「……ごめんなさい。傷つけたのなら、あやまるよ」

「ルーアンもね。質問攻めにするのはいいけど、ひやひやする質問も混じってる」

「そんなの、わかんないよ。どの質問がルーアンを傷つけて、どういう質問ならいいのかなんて。いちいち顔色を窺いながら質問しなきゃなんないの?」

「ま、だから、答えたくない質問には答えない。無視する。ルーアンも防御してるわけだけどね」


 防御……。防御だったの? 彼が答えなかったのは?

 答えなくてもいい質問だと判断したんじゃなくて……?

 七都は、質問を受けたときの、彼の無表情な顔を思い浮かべる。


「ロビン。ルーアンって、どういう人? やっぱり、わたしの大おじさまくらいに当たる? みいとこ大おじさまとか。よいとこ大おじさまくらいかな?」

「あの人は七都さんよりも、それから美羽さんよりも身分は上だよ。本当はリュシフィンさまになってなきゃいけない人なんだ。七都さんが間違えたのも無理はないんだよ」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「七都さんもリュシフィンさまの子供かもしれないけど、ルーアンもそうさ。ずううっと前のリュシフィンさまの、だけど。ルーアンは王太子だったらしいよ。七都さんには悪いけど、ぼくはリュシフィンさまには、七都さんよりもルーアンのほうが断然ふさわしいと思っている」


 ナチグロ=ロビンが臆することなく、玉座にすわっている七都をじっと見据えた。


「うん……。わたしもそう思うよ。わたしよりも、ルーアンが冠をかぶってこの玉座にすわったほうが、よっぽどはるかに似合う」


 王太子って……。

 次期リュシフィンが約束されていたってことなのに?

 だから彼は、わたしやお母さんの名前に敬称は付けないのかな。

 元王太子さまの、せめてもの残されたプライドで……?


「ルーアン、王太子だったのに、リュシフィンさまにならずに、何でまた臣籍なんかに下っちゃってるの?」


 七都は、ナチグロ=ロビンに訊ねた。


「何かあったんだろうよ。七都さんにもぼくにもわからない、何かが。それがあの人を縛ってる」

「でも、ルーアンがリュシフィンさまになって、わたしに側近を期待されてもすごく困るわけなんだけどね。だけど、あなただっているし……」

「ぼくは、どうせただの下級魔神族だからね。側近なんて無理だよ」


 ナチグロ=ロビンが言った。


「あなたはもう充分、側近っぽいことやってるじゃないよ」


 七都は玉座から立ち上がった。

 そして、ルーアンがやったように魔力を使い、ナチグロ=ロビンのそばに瞬間移動する。

 彼は少し居心地が悪そうに、ごく間近な位置に現れた七都を見上げた。


「ね。お母さんの目って、子供の時はワインレッドじゃなかったの? 今、お母さんの子供の頃っぽい残留映像みたいなのが見えたんだけど、その子、目が青かったの」


 七都は、彼に訊ねた。


「ああ、魔神族の小さな子供は、みんな目が青いんだよ。猫と一緒さ」


 ナチグロ=ロビンが、めんどうくさそうに言った。


「キトンブルーってこと? トルコ石っぽい、はっとするような青色だったよ。膜がかかったような……」

「そりゃま、色は猫とは違う」

「じゃあ、魔神族って、ある年齢になったら、みんな銀色の髪と銀色の目になったりする?」


 あの宮殿での母の姿を思い出して、七都は聞いてみる。


「ならないよ。魔力で自分の好きな色に変えちゃう人は多いけど」

「好きな色……か。お母さんの好きな色って、銀なのかな。だったら、わたしも好きな色に変えられる?」

「もっと魔力が使えるようになったらね。それじゃ七都さん、部屋を探しに行こうか」


 ナチグロ=ロビンが、扉を指差した。

 が、その指先を見て、七都は目が点になる。

 彼の右手の先は、猫の手になっていたのだ。

 猫の姿をしているときの彼の手。すなわち、手の先だけが白色の黒猫の手だ。内側に薄いピンクのぷにぷにの肉球がついている。

 もちろん猫サイズではなく、人間サイズの特大の猫の手だった。

 七都は、ナチグロ=ロビンのその猫の手を素早くつかんだ。


「し、しまった。さっき魔法で七都さんのほっぺを触ったあと、元に戻すのを忘れてた!」


 ナチグロ=ロビンが、きまり悪そうに、且つあせりまくって呟く。


「あは。ナチグロ、リクエストに答えてくれたんだ。かーわいい」

「違うっ! かわいいなんて言うなっ!!」


 ナチグロ=ロビンが叫ぶと、ぽてぽてっとした指の間から、鋭い爪がにょきと出て引っ込んだ。

 ナチグロ=ロビンは、ぶるぶると手を振った。猫の手は、あっという間に少年の華奢な手に変わってしまう。


「なんだ、もう終わり? つまんないの。せっかくかわいかったのに。猫の手の手袋してたみたいで」

「かわいくなくてもいいの! じゃ、七都さん、城の中を案内してやるから!」


 ナチグロ=ロビンが言う。


「うん。お願いね」


 ナチグロ=ロビンは手を離そうとしたが、七都がしっかりとその手をつかんだままだったので、あきらめたようだった。


「ところで、ロビン。ストーフィは?」


 七都は、手ぶらで身軽になっているナチグロ=ロビンにたずねた。


「ああ、ルーアンに預けた。あれを抱えたまま、城の中を案内するってわけにもいかないだろ」

「ルーアンにストーフィ? うわ。絶対に似合わない。キディよりも似合わないっ!」

「キディって誰さ? 猫の名前?」


 ナチグロ=ロビンは、子猫のように首をかしげる。


「水の魔貴族だよ。超ドSの伯爵さま。シルヴェリスさまの側近」

「げ」


 それから七都とナチグロ=ロビンは、手をつないだまま――というより、七都がナチグロ=ロビンの手を無理やりつかんだまま、自動的に開いた扉を通り抜けて、廊下へと出た。

 扉が閉まる前に、ちらっと玉座を振り返ると、そこに浮かぶリュシフィンの冠は、まるで七都とナチグロ=ロビンのやり取りを楽しんでいるかのように、きらきらと輝いていた。

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