第1章 姫君の帰還 17
一瞬黙ったルーアンは、全く別のことを七都に言った。
「あなたも、なかなか頑固な方ですね」
質問を完璧に無視している。
七都の問いは、先程彼が言った『答えなくてもいいと彼が判断する質問』に、分類されてしまったのだろう。
いいよ。教えてくれなくても。今度お母さんに会ったら、訊くから。
七都は、両方の手の甲でごしごしと目をこすって、涙のかけらを完璧に押さえ込んだ。
そして、彼の自分の性格に関して発せられたその感想に、コメントを付け加える。
「お母さんも、誰に似たのかしらって笑ってたよ。きっと母方のおじいさまか、でなければ、おばあさまだ」
ルーアンの顔がわずかに引きつったような気が、七都にはした。
「では、どうしても魔王になるのがおいやだと?」
彼が訊ねる。
「いやだ」
「あなたが拒否なさるのでしたら、あなたのお子様かお孫様に期待するしかなくなってしまいますね。あなたは、ご自分の子孫にそれを先延ばしされるのですか?」
ルーアンが訊ねた。
冗談じゃない。
まだ生んでもいない子孫にそんなことを予約されたら、たまったものじゃない。
「まあ、それもよろしいですけれどね。あなたのお子様かお孫様が登場して成長されるまで、早ければたった十数年、遅くともあと百年もかかりませんから。それくらいなら充分待てますし」
「あのね、ルーアン。わたしの子孫がどうこう言う前に、ちょっと訊くけど。もしお母さんがわたしを生んでなかったら、あなたはどうしてたの? お母さんがわたしを生まないまま冠を置いて、時の魔王さまのところに行ってしまってたら? 王族はあなたしか残らないじゃない。やっぱり、あなたがリュシフィンさまになるしかなかったんじゃないの?」
「その場合はその場合で、他に方法はありますとも。ご心配には及びません」
ルーアンが平然と答えた。
「しかし、魔王であるミウゼリルはあなたを身ごもり、あなたは生まれてしまいました。風の魔王リュシフィンの後継者の資格を持つ者として。ならば今、あなたの頭に冠を載せ、空いた玉座にあなたを座らせようとする行為は、間違っておりますでしょうか?」
七都は彼の質問には答えず、彼を見つめたまま黙り込む。
最初――母が魔王だったという話を聞いたときから、感じていた違和感。疑問。
それが、今のルーアンの言葉で、急激に膨れ上がってくる。
自分が魔王の娘だとしたら、つまりそういうことになる。
女性の魔王であった母は、子供……つまり、七都を生んだ。冠を身に付けたまま。
<子供は出来ないかもしれないの……>
別れ際に見た、アーデリーズの寂しそうな微笑み……。
あのあきらめきったような微笑みを、期待と希望に満ちた明るい笑顔に変えられるとしたら……?
「ルーアン。お母さんは、なぜわたしを生めたの? 女性の魔王さまは子供を生むのが難しいって、エルフルドさまが言ってたよ。そういう例はほとんどないって。なのに、何でわたしは生まれたの?」
七都は、ルーアンに訊ねた。
「それは、あなたが冠の申し子だからです」
ルーアンが答える。
「申し子? なに、それ」
「あなたは冠に愛されているのです。あなたが生まれたこと、そしてあなたの存在自体が、冠の意図するものであったのかもしれません。とにかく冠は、あなたの父上を受け入れ、ミウゼリルはあなたを宿した。あなたはミウゼリルの胎内にいる間、ミウゼリルが被っていた冠と一緒に過ごしたのです。冠は常にあなたのとても近いところにあり、あなたを慈しみ、おそらくあなたに影響を与えながら育てました。それだからこそ、あなたの魔力は途方もなく強いはずです。使いようによっては、魔王さま方と同じレベルにさえ到達できるかもしれないくらいに」
「だから……なの? わたしが他の魔王さまの冠にさわれる理由。そして、その形を変えられる理由……」
七都は、呟いた。
「七つの冠は、元はひとつのもの。ならば当然、他の魔王さま方の冠も、あなたを慈しむでしょう。あなたには心を許し、その力を使わせることもいとわないでしょう。あなたはとても貴重な存在なのですよ。言わば、あなたの真の正体はそれかもしれません。次期リュシフィンさまというだけではなく」
ルーアンが言う。
「わたしの正体……。風の魔王リュシフィンの娘で、リュシフィンの後継者で、そして、魔王の冠の申し子……。それが?」
ルーアンは微笑み、玉座に座っている七都に深々と頭を下げた。
「私は、これにて下がらせていただきます、ナナト」
ルーアンが言った。
彼が『リュシフィンさま』と呼ばなかったことに、七都は、ほっとする。
「今ここで、あなたにその冠を被っていただけなかったことは誠に残念ですが、それはまた、別の機会に致しましょう。あなたには、まず旅の疲れを癒していただき、ごゆるりと過ごしていただかなければなりませぬゆえ」
七都は、ますます安堵する。
緊張が解けて、体から力が抜けた。
取りあえず、彼はこの場からは開放してくれるようだ。
実際、彼とのやりとりはとても疲れた。どこかゆっくり出来るところで少し休みたい。
「しかし残念ながら、この城には召使いのたぐいはおりません。かつてはミウゼリルの侍女たちがいましたが、彼女がいなくなったので、暇を出してしまいました。そして、あなたがあまりにも突然にこちらに来られたので、人選を行う間もありませんでした。侍女も教育係も、全く準備できておりません。言い訳がましいようですが、なかなかこの風の城で召使いをしようなどという勇気のある魔神族は見つかりませんので」
ルーアンが言う。
「なんとなく気持ちはわかる……。やっぱり幽霊都市で働くのはいやだよね、たとえ魔神族でも」
七都は、呟いた。
「いいよ。自分のことは自分でするから。元の世界には召使いも侍女もいないし。いないほうが、かえって気を使わなくていい」
「しかし……。やはり必要ですよね。侍女も教育係も」
ルーアンが、玉座にだらりと座っている七都を見下ろした。
「適当に見繕って、さらってきましょうか?」
「……」
七都は、思わず、猫パンチの体勢を整える。
この公爵、超ナチュラルに何てことを言う!?
やっぱり、別の意味で確実にこわい。
「ルーアン。わたし、お母さんがこの城にわたしを預けないで、お父さんに託して人間として育つようにしてくれたことに感謝するよ。ここで育ってたら、きっと、おっそろしい姫さまになってる!」
七都が言うと、ルーアンが微笑んだ。
「ミウゼリルはここで育ちましたからね。では、あなたの母君は、きっとおっそろしい姫さまなのでしょうね」
あんぐりと口を開けている七都を無視して、ルーアンは続けた。
「では、ご自分のことはご自分でやっていただくとして。まず、お部屋を選んでいただかねばなりませんね。どの部屋にも浴室は付いていますから、湯浴みをしていただいて……」
「ドレスは?」
七都は訊ねた。ずっと旅の少年の格好、というわけにもいかない。
やはりここの姫君なのだから、それなりの衣装を身につけたい。
「あなたの母君のものが残っていますから、取りあえずはそれをお使い下さればよろしいでしょう。ドレスや宝石は、またおいおい新調致します」
「嬉しい。お母さんのドレスが着られるんだ」
「後ほどロビーディアンに、母君が使っていた部屋へ案内させます」
ルーアンが、階段の下でずっと息を潜めて固まっていたナチグロ=ロビンをちらりと見下ろした。
「でも、この城の部屋って何千もあるんでしょう? そこから一つ選べばいいの?」
ルーアンが、あきれたように肩をすくめる。
「ナナト。この城は、あなたの城なのですよ。ご主人はあなたです。どの部屋をどれだけ使おうと、それはあなたのお望みのままに。何なら、毎日違う部屋を取り替えて使われてもいい」
「それはやめとくよ。毎日替えていたら落ちつかないし、第一、掃除が大変だ。自分でしなきゃなんないわけだもん」
ルーアンは、笑いを飲み込んだような、困った顔をした。
「では、いちばんお気に召した部屋をひとつ、ご自分のお部屋にされるとよろしい。ただ、この城の住人たちが既に使用している部屋もありますので、それらは避けられますように。彼らの生活をおびやかしてはなりません」
「おびやかしたりなんかしないったら」
七都は、口をとがらせる。
気がつくと、ルーアンは、いつの間にか、階段の下に降りていた。
ナチグロ=ロビンが、さりげなく、彼に寄り沿うように近づく。
「ルーアン!」
七都は彼に声をかける。ルーアンは、七都を見上げた。
「わたし、絶対にリュシフィンにはならないからね!」
七都が叫ぶと、ルーアンは、にっこりと笑う。
「玉座にすわって、冠を頭上に据えたままそういうことをおっしゃられては、まるっきり説得力はありませんよ、ナナト」
「う……」
七都は、言葉に詰まった。
ルーアンは、満足げに頷く。
「よくお似合いですよ、ナナト。あなたにはやはり、その場所がふさわしい。お気が向かれたら、その頭の上の冠をご自分でかぶられてもよろしいですが?」
「かぶりません! わたしは魔王になんかならないったら!」
ルーアンは、僅かに眉を寄せ、七都を真っ直ぐ見つめた。
「では、ナナト。私は、あなたが風の魔王リュシフィンにならざるを得ないように、仕向けて行きますからね。ゆっくりと外堀を埋めさせていただきます」
「う、受けて立とうじゃないの!」
七都が叫ぶと、ナチグロ=ロビンが、はあっという感じで額に手を置く。
<彼に勝てるわけがないじゃないか>と、明らかにその動作は主張していた。
七都は、ナチグロ=ロビンをぎろっと睨む。
ルーアンは、もう一度七都に丁寧に挨拶をし、開いた扉を通り抜けて、玉座の間を静かに出て行った。
ナチグロ=ロビンが、ストーフィを抱いたまま、ぱたぱたと彼を追いかける。
扉が閉まり、七都は玉座にたった一人残された。
廊下に出たルーアンは、ナチグロ=ロビンを振り返った。
そして、ストーフィを抱きしめたまま突っ立っている彼に、穏やかな表情で話しかける。
「きみの選択は間違ってはいなかったようだね。少し荒療治だったが。ナナトは無事にここまでたどり着いた。彼女の資質に対する不安もなくなったし、納得も出来たと思う。お互いにね。ではきみは、ナナトのそばにいてくれるね?」
ナチグロ=ロビンは頷き、深く頭を垂れた。それからすぐに顔を上げて、彼に言う。
「でも、ルーアン。あなたは七都さんを抱きしめてあげるべきだったかもしれない」
「私がナナトを?」
「七都さん、リュシフィンさまに会うことを楽しみにしてたみたいだよ。会ったら、よく来たねって抱きしめてもらって、頭を撫でてもらうんだって」
ルーアンは黙り込み、ナチグロ=ロビンを見つめる。
「子供じみてる? でもたぶん、七都さん、かなりつらい目をしてここまで来たんだと思うよ。だから、ここで待っててくれるはずのリュシフィンさまに、そうやってやさしくねぎらってほしかったんだよ」
ルーアンは、自分の両手を広げて、見下ろした。
「私もそうしたかったよ。どれだけ彼女を抱きしめたかったか。どれだけいとおしく思ったか……」
「だったら、なんで……」
「私は、リュシフィンじゃないよ」
ルーアンが言った。
「リュシフィンは彼女の祖父で、その後は彼女の母で、今は存在しない。次は、彼女がリュシフィンだ」
「ルーアン……」
ナチグロ=ロビンはきゅっと唇を噛み、悲しげに彼を見つめた。
「それに、私には彼女を抱きしめることなど、許されるはずもない。私は、あの子の母親を殺そうとしたのだから。あの時、もしそうなっていたら、ナナトは今この場所には存在しない。そうだろう?」
「でも、ルーアン。だって、あなたは……」
「ロビーディアン。ナナトにこの城を案内してあげなさい。それが今のきみの仕事だよ」
ルーアンは、ナチグロ=ロビンの言葉を遮って、言った。
「はい……」
ナチグロ=ロビンは、再び頭を下げる。
ストーフィがナチグロ=ロビンの腕から滑り降りて、床にぽんと立った。
そして、ルーアンに近づき、彼の服の裾をぐいと引っ張る。
「あ、こいつ……。あなたになつこうとしている?」
「……この機械の猫は?」
ルーアンは眉を寄せ、ストーフィを見下ろした。
「それ、ジエルフォートさまがつくったロボットらしいよ。エルフルドさまが七都さんにくれたんだって」
ルーアンとストーフィは、しばし見つめあった。
ストーフィの目の表面に、青い光がふわりと渡って行く。
それは、どこかはずかしがっているようにも見えた。
「ジエルフォートさまとは、まだ魔王さまになられていない少年の頃、一度お会いしたが……。機械いじりがお好きだと聞いた。今も、さまざまな機械をつくられているそうだ。これもそのひとつか」
「じゃあ、ルーアン。ぼくは七都さんにこの城を案内するから、その間、こいつを見ててもらってもいい?」
ナチグロ=ロビンが言うと、ストーフィはルーアンの膝を両手でがしっと抱きしめた。
ルーアンはストーフィをひょいとつまんで、片手で抱え上げる。
ナチグロ=ロビンは、ストーフィを肩に乗せて遠ざかって行く彼の後ろ姿を、しばらく見つめた。
「ルーアン。あなたはそうやって……ずっと、ずうっと、永遠に自分を責め続けるんですか……?」
彼は、小さく呟いた。
そして白いマントをふわりとなびかせて百八十度方向転換をし、彼は再び七都がいる玉座の間へと向かう。




