第7章 新しい扉 19
客間を開けると、カトゥースのいい香りとあたたかい湯気が、二人を包んだ。
加えて、賑やかで明るい会話が、七都に被さってくる。
シャルディンにカーラジルト、ナチグロ=ロビンが、それぞれ思い思いの格好で椅子に腰掛け、くつろいでいた。
話が盛り上がっている最中だったようだ。
ゼフィーアは、席をはずしている。
「おお、ナナトさま。お帰りなさい。セレウスさんも」
シャルディンが、七都たちに笑いかける。
「また何か、わたしをネタにしてたんでしょう」
七都は、シャルディンを睨んだ。
「ぼくたちが話せる共通の話題といったら、天気のことと七都さんのことしかないからね。当然の流れだろ」
ナチグロ=ロビンが、悪びれずに言う。
「私は単に、ナナトさまの胸に包帯を巻き直して差し上げたと言ったまでです」
カーラジルトが、相変わらずの無表情で呟いた。
「そうするとシャルディンが……」
「私は、ナナトさまの服を脱がして、体を拭いて差し上げたと。伯爵さまは上半身だけですからね。でも、私は全身ですから」
シャルディンが、にやっと笑う。
「ぼくは、七都さんのオールヌードなら、七都さんが生まれた頃から見慣れてるって言ったわけさ。今だって猫の姿になってると、そういうあられもない無防備な姿で、ぼくの前を通って行くってね」
「あ、あなたたちっ! 他に話題ないの。三人揃って情けないっ!!!」
七都が叫ぶと、三人はひそひそと声を落として顔を近づけた。
「怒られたじゃないか」
「そういう話は、お嫌いなんだぞ。いや、苦手というべきか」
「経験不足による嫌悪感だ」
「ま、ああいう年代の人間の女性特有の潔癖性みたいなものだね」
「もう少し成長されたら、笑って話に参加して下さるかな」
「成長しても、やっぱり、クソ真面目は変わらないだろうな」
全く、このじいさまたちは!
七都は、呆れ果てて、溜め息をついた。
「セレウスさん。あなたはナナトさまに関しては、そういう?」
シャルディンが、つつつ、とセレウスのそばに寄って来る。
「い、いえ、そういう経験はありませんが……」
セレウスは、顔を赤らめた。
「ナナトさまの御髪なら、持っています。いつもここに」
そう言ってセレウスは、先ほど七都に対してやったように、胸を軽く押さえて見せる。
「ナナトさまの髪をか? ほう。それは羨ましい」
カーラジルトが言った。
「私も欲しいです」
と、シャルディンが指をくわえる。
「七都さんが眠っているときに、気づかれないよう、そうっと人数分切り取っちゃえばいい。わかりゃしないさ」
ナチグロ=ロビンが提案した。
「あなたたちぃぃっ!!!」
七都は、再び声を荒げて叫んだ。
熱いカトュースを二杯飲んだ後、七都は立ち上がった。側近たちも、一斉に七都にならう。
いよいよ帰るのだ。自分の世界に。そして、自分の家に。
改めてそう思うと、張り詰めた緊張感が、眩暈のようにこみあげてくる。
「ナナトさま」
席をはずしていたゼフィーアが、部屋に戻って来た。
ゼフィーアの後ろには、金色の髪の少女が、隠れるようにして立っている。
ゼフィーアやセレウスによく似た緑の目が、遠慮がちに七都を見つめていた。
「セージ!」
七都が呼ぶと、セージは恥ずかしそうに、さらにゼフィーアの影に隠れてしまった。
「呼んでまいりました。あれ以来、いつも悔やんでおりましたから」
ゼフィーアが言う。
「ナナトさまに失礼なことをしてしまったって、それはそれは、うるさかったのですよ」
「失礼だなんて……。私がとんでもないことをしようとしたから……」
「魔神族ならば、当然のことです。ナナトさまがあやまられる必要など、なかったこと。しかもセージはアヌヴィムになりたいなどと恐れ気もなく公言していたのですから」
と、ゼフィーア。
「ナナトさまは、いったいあの少女に何をしようと……?」
シャルディンが、隣にいたセレウスにささやき声で訊ねた。
「それは……つまり……」
セレウスが口ごもる。
「言わずもがな、だな。風の都への旅の途中、きみが私にしょっちゅうされていたことだ」
カーラジルトが、シャルディンに言った。
「何だ……」
シャルディンが、途端に興味をなくしたように呟く。
セージはゼフィーアの後ろから移動して、一人で立った。
そして、ぎこちなくはあるが、丁寧にお辞儀をする。
もちろん、ゼフィーア仕込みのお辞儀だった。
ゼフィーアに教えてもらって、覚えたのだろう。
ちょこんとあどけなく腰を折る所作は、少女らしくてかわいらしいものだった。
「ナナトさま。ごめんなさい。私、もっと魔神族のことを勉強します。これからも、時々お話してもいいですか?」
お辞儀のあと、セージが言った。
「もちろん、いいよ。ありがとう」
七都は、にっこりと笑う。
セージは、この前別れたときのように怯えてはいない。
きちんと七都の目を見て、話してくれる。
そのことが、七都は嬉しかった。
もちろん彼女の態度には、以前ほどの親しさと近しさはなかった。
けれども、きっとそのほうがいいのだろう。
セージは人間。七都がいつまた、彼女への魔神族としての衝動を抑えられなくなる状況になってしまわないとは限らない。
自戒も含め、距離を置いて接しなければならないのだ。
「ナナトさま。私ね。私、やっぱりアヌヴィムの魔女になりたいんです」
セージが言った。そして、緑色のきれいな目で、七都をじっと見上げる。
「あんなに怖い思いをしたのに? わたしに襲われそうになって、泣いていたじゃない」
七都があきれて訊ねると、彼女は恥ずかしそうに笑った。
「だって、初めてだったから……。でも、もう大丈夫です。いえ、本当は大丈夫じゃないけど、きっと慣れると思います」
「慣れるとか、そういう問題じゃないと思うんだけど」
「いえ、そういう問題です。でね、私、やっぱり、やっぱりナナトさまのアヌヴィムになりたいんです!」
セージが、続けて明るく言う。
背後で、セレウスが複雑な表情をしていた。
何の遠慮もなく、七都に明け透けにそう言えてしまえる、小さな従妹。
彼女が羨ましく、妬ましく、そして悔しくてならない。
そういう幾つもの感情を押し殺した顔つきだった。
「あなたが成長して大人になったとき、今と同じ考えのままなら、ナナトさまに考えていただきなさい」
ゼフィーアが言った。
そうだ。その頃セージは恋をしていたり、もしかしたら既に嫁いでいて、魔神族以外のことで頭がいっぱいになっているかもしれない。そしてもちろん、そのほうがいいのだ。
セージはまだ子供。
子供が持つ漠然とした淡い夢は、いつか色褪せ、笑い話になって行く。
ゼフィーアもそう思ったのだろう。
七都は、ゼフィーアがセージにそう言ってくれたことに感謝する。
「はいっ。きっと同じ考えのままだと思いますっ」
けれども、セージは屈託なく答えた。それから、いきなり神妙な表情になる。
「でも、ナナトさま、魔王さまにおなりなのでしょう? リュシフィンさまに……。私なんか気安く近づけなくなっちゃいますね」
セージが、ぼそぼそと呟いた。
ここに来るまでの短い時間に、いろいろとゼフィーアから聞かされたらしい。
「これっ」
ゼフィーアが、姪を睨んだ。
「だいじょうぶ。今のところ、魔王さまになるつもりはないから」
「また、あんなこと言ってる……」
七都の後ろで、ナチグロ=ロビンが呟いた。
「皆でピクニックに行かなくちゃね。遺跡も案内してくれるのでしょう? 埋もれている宝物を探さなくちゃ」
七都が言うと、セージは、ぱっと顔を輝かせた。
「はいっ。絶対ですよ、ナナトさまっ!」




