第一話「氷の継承者『冷泉柊夜』」
これは今とどこか違っていて、どこかが似ているただの物語である。
『継承者』。 この極東の国、敷島において、それは最も重く、
そして最も大事な役割であった。
役割、と言っても、それになるために努力する必要など一切ない。
なぜならそれは、過酷な宿命と共に「血族」によってのみ引き継がれるからだ。
最初の継承者が現れた約二百年前から、この法則が変わることはない。
継承者になりたくなくても、強制的にならされる。 抗うことのできない血の縛り。
これが、この世界の現実だった。
敷島の最北に位置する、一年中冷たい風が吹き荒れる地──北海洲。
その雪深い山奥に、
一般の人間は決して立ち入ることのできない隔絶された地域が存在する。
氷の一族の血を受け継いだ者だけが入山を許される聖域──『氷の隠れ里』。
里の人間を束ねる里長が見守るその地には、冷泉家の立派な屋敷が佇んでいた。
その縁側に、一人の青年が佇んでいる。 年齢は十七。
すっきりと通った鼻筋に、吸い込まれそうなほど美しい水縹色の瞳。
無造作に降りかかる雪と同じ、淡い灰色の髪。
紺色を基調とした上質な着物を端正に着こなす彼の名は──「冷泉 柊夜」。
この国において、絶対的な氷の力を司る「氷の継承者」その人であった。
「ふぅ……」
柊夜が小さく息を吐くと、それだけで白い吐息が目の前で微かに凍りつき、
キラキラと輝く氷晶となって宙に舞った。
時は瑞月五十八年。
空からはしんしんと雪が舞い降りている。
この最北の里では特に珍しくもない冬の光景だが、
柊夜はこの静寂に満ちた風景が嫌いではなかった。
冷たい美しさに囲まれながら、
柊夜がしばし物思いにふけっていると、背後の障子戸が静かに開き、厳かな声が響いた。
「冷泉様。間もなく移動を開始します。こちらへ」
振り返ると、そこにいたのは氷の従者だった。
柊夜は水縹色の目を向け、静かに問いかける。
「ああ。……すまないが、今日の予定をもう一度確認させてくれ。何が入っていた?」
「本日は各地方の継承者の皆様との会談に向けた移動ですね。
明日、国都にて緊急の会議が執り行われます」
「明日だったか? 確か来週の予定だったはずだが」
柊夜が少しだけ眉をひそめると、従者は表情を曇らせ、声を潜めて言った。
「……予定が早まったのです。先日、秋津洲の『花の隠れ里』周辺にて、
花の継承者様が謎の襲撃を受けました。
それを受け、政府が急遽、会議の前倒しを決定した次第です」
「なるほどな……」
花の継承者──「花菱 絢芽」の顔が脳裏に浮かぶ。
いつも自分に向かって天真爛漫に笑うあの少女が襲われたという事実に、
柊夜の瞳の奥で、冷徹な氷の光が僅かに鋭さを増した。
「幸いにも今週は他の公務が入っていませんでしたし、不幸中の幸いと言えましょう」
「ああ、そうだな。……よし、出発の前に氷雨をここに呼んできてくれ」
「了解いたしました」
頭を下げた従者が部屋を出ていく。
それから数分と経たないうちに、入れ替わるようにして一人の男が部屋へと入ってきた。
艶のある黒髪に、鋭利な刃物を思わせる灰色の瞳。
仕立ての良い黒のスーツを隙なく着こなしたその男は、部屋に入るなり、
柊夜へと親しげに話しかけた。
「柊夜、どうかしたか?」
彼の名は、「神楽坂 氷雨」。二十一歳。
冷泉家に仕える「氷の守護官」であり、柊夜の右腕とも言える存在だ。
年齢こそ主人の柊夜とは少し離れているが、
幼少期から共に過酷な訓練を乗り越えてきた二人の間には、
十人の継承者の中でも最も深い信頼関係が築かれていた。
「移動の件だ、氷雨。急な予定変更だが、準備はいいか?」
「ああ、いつでもいける。……花の里が襲われた件を聞いたんだな」
「ああ」
柊夜は立ち上がり、壁に掛けられた愛刀「氷河」を引き寄せ、腰に帯びた。
「いつどこで、あの『灰燼』の奴らに襲われるかわからないからな。
あの『花』の強力な結界をかいくぐって襲撃を仕掛けてくる連中だ。
警戒をしておいて損はない」
『灰燼』──それは、現行の政府と継承者のシステムを憎み、
彼らを暗殺しようと暗躍する謎の賊たちの組織である。
組織の規模や、奴らの真の目的は、未だに多くの謎に包まれていた。
「ふっ、お前がそこまで警戒を強めるのは珍しいな。
……いや、絢芽殿の身が心配なだけか?」
「……氷雨、拳を入れてほしいのか?」
「冗談だ。だが、お前の言う通りだな。
ちなみに、明日の会議は今世紀に入って
『第三百五十回目』の継承者会議になるらしい。
この百年足らずの間にそれほどの頻度で開かれること自体、
奴らの暗躍で時代がいかに激動の最中にあるかを物語っている。
隠れ里を一歩出れば、道中も油断はできないな」
氷雨は不敵に微笑むと、自身の愛刀「吹雪」の柄に手を添えた。
「よし、では行こうか。秋津洲にある国都へ」
生まれ育った氷の隠れ里を後にした氷の一行は、里長の送り出しを受け、
物々しい警備が敷かれた専用の飛行機へと乗り込み、
敷島の政治の中心地──国都がある秋津洲へと向かって飛び立った。
雲海を突き抜ける機内の中、柊夜は窓の外を見つめながら、
ただ静かに、冷たい刃のような闘志を研ぎ澄ませていた。
一方、舞台は変わり──秋津洲の某所に佇む、
四季の美しさが咲き乱れる『花の隠れ里』。
ここもまた、花の一族の血を引く者以外は決して入ることのできない秘境である。
その本殿の一室、豪奢な調度品に囲まれた部屋に、一人の少女がいた。
桃色の瞳を大きく見開き、信じられないといった様子で、
目の前の守護官を見つめている。
「柊夜様が、こちらへいらっしゃるそうです。絢芽様」
花の守護官である「神崎 鏡花」が、落ち着いた声で「絢芽」と呼んだ少女こそ──
この敷島の華を司る「花の継承者」、花菱絢芽であった。 年は柊夜と同じ十七歳。
ふわりと広がる薄桜色の美しい長髪に、感情が豊かに動く綺麗な桃色の瞳。
普段は凛とした佇まいの彼女だったが──。
「えっ! 柊夜様が……っ!? 氷の隠れ里からわざわざ!?」
『柊夜』というその高潔な名を耳にした瞬間、絢芽は過剰なまでに反応した。
勢いよく椅子から立ち上がり、両手を胸の前でギュッと握りしめる。
「鏡花! 柊夜様はあとどれくらいでここに到着されるの!?」
鏡花は、主人のそのあまりにも分かりやすい態度に、クスリと優しく微笑んだ。
「ええ、先方からの連絡によりますと、あと一時間ほどでしょうか。大丈夫ですよ、
絢芽様。そんなに血相を変えて急がれなくても、柊夜様は逃げたりなさいませんから」
「うっ……! そ、それはそうなのだけど……っ」
図星を突かれ、絢芽は薄桜色の髪を揺らしながら顔を赤くする。
「まあ、お会いするのも半年ぶりですしね。
せっかくですから、いつもより少しお洒落をされてもよろしいかと存じますよ?」
「うん……っ! ありがとう、鏡花! さっそく一番綺麗なお着物に着替えなきゃ!」
絢芽は、先ほどまでの緊張が嘘のような、あどけない満面の笑みを鏡花に向けた。
「ええ。気長にお待ちしておりますね」
鏡花が深々と一礼する。
そして時は進み──春の香りが心地よく漂う花の隠れ里の正門へ、
ついに氷の一行が到着したのだった。
どうでしたか?
感想など書いてくれると嬉しいです。
今後も書いてゆく予定です。




