最終話 ポイント・オブ・ノーリターン
部屋に戻ると恭子がドアを開けて迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
部屋の中は暖かかった。
久しぶりに自分の部屋で飲む珈琲は格別だった。
「ご苦労様でした」
「ありがとう。恭子も留守番ご苦労様でした」
夕方には佐久間の家を訪ねる予定だった。
明日明後日は休みなので後でかまわないのに、運び込んだ荷物の片付けを恭子が始めてしまった。
なぜかカッターを使わずにガムテープを綺麗に剥がそうと苦心している恭子を背中から抱きしめた。
俗に言う「あすなろ抱き」だ。
以前、真梨子に教わった『恭子さんをくらくらさせる必殺技』だ。
「な、な、な、なんですか?」
「淋しくなかった?」と、僕は訪ねた。
「それは、淋しかったですけど、手紙をもらえたから大丈夫です」
「だったら手紙は出さないほうが良かったのかもしれない」
「いじわるですね」
「大丈夫じゃなかったら飛んできてくれたのかなって思った」
カップルとは基本バカップルだ。それは僕と恭子も変わらない。
髪の臭いを胸一杯に吸い込んでみた。
懐かしい臭いだった。
「ただいま」
僕はこの言葉が好きだ。
*
その夜は佐久間の家で、例によってすき焼きをご馳走になった。
真梨子は玄関まで迎えに出てくれた。佐久間は初美さんを抱いたまま「よう」
とだけ声を掛けた。
初美さんは恥ずかしがって僕に近づこうとしなかった。
僕は忘れられてしまったと思った。
「こんばんは。お久しぶりですね、初美さん」
声を掛けると、初美さんは真梨子そっくりに笑って、僕の足に抱きついた。
何か懸命に喋り続けたが、僕には半分も意味が解らなかった。
「あなたに会えて嬉しいってことよ」真梨子が通訳してくれた。
食事の後、居間で珈琲を飲んでいると、初美さんがおやすみの挨拶に来た。
「ありがとう、おやすみなさい」と言った。
ありがとうは向こうから初美さん宛に出した手紙の事らしかった。
真梨子にも手紙のお礼を言われた。
「キョウちゃんのも見せてもろたで、読んどるこっちが恥ずかしなったわ」
佐久間はからかった。佐久間宛には一通も書かなかった事が不満なのかも知れない。
可愛い奴だ。
珈琲を飲み終えて帰り支度を始めたころ、真梨子が初美さんを寝かしつけて戻ってきた。
真梨子は不満そうだったが、恭子は明日も仕事であることを告げると引き留めなかった。
帰りの車中、僕は初美さんが急に大きくなっていて驚いた事を話した。
来年から幼稚園に通うことを恭子から教えられた。
春になれば恭子と出会って三年になる。
そろそろ良い頃だなと思った。
二月に入ってすぐ、僕は恭子に指輪のサイズを訊ねた。
「安いので良いですから」
答えた後に恭子は小さく付け加えた。
*
花を抱えて歩く恭子の後ろを、僕は水桶と箒を持ってついて歩いた。
道の脇には先日の雪が少し残っていた。寒い朝だった。
「お父さん、来てるかな?」
「夕方来るそうです」
「そう」
「はい」
小さなお墓だった。
僕は手早く墓石の周りを掃いて、集めた落ち葉を袋に詰めた。
袋を集積場に空けて戻ってみると、恭子がお墓に手を合わせていた。
僕は恭子が立つを待って、お墓の前で手を合わせた。
「はじめまして。
恭子さんから伺っておられると思います。
木立和彦と申します。恭子さんとお付き合いさせて戴いている者です。
今日は恭子さんを僕に戴きたくて、ご挨拶に伺いました。
恭子さんを見れば、あなた方がどれほど恭子さんを慈しみ大切に育ててこられたかは解ります。
僕も相応の覚悟を持って恭子さんと人生を共にしたいと願っています。
お許し戴けますか?」
「僕はあなたに一度お会いしたかった。きっと恭子さんに似ておら れたのでしょう。残念です」
最後に一度深くお辞儀をしてから、僕は立ち上がった。
その日の恭子は泣き虫だった。
「死んだ人の前で嘘は言えないから。君にも聞いてほしかったんだ」
「はい」
二人でもう一度だけお墓に向かって手を合わせた。
水桶を拾おうとした時に気付いた。
霊園の入り口に背の高い男の人が立って、僕を睨みつけていた。
恭子のお父さんだとすぐに解った。
僕は真っ直ぐに見つめ返した。怖そうな人だった。
じっと見つめ返してもその人は動かなかった。
もう少し近ければ気圧されてしまっていただろう。
僕は息を大きく吸い込んで深く頭を下げた。
息の続く間、頭を下げ続けた。
恭子のお父さんはすぐ傍に来ているか、 居なくなっているかのどちらかだと考えていた。
彼はその場に立ったままだった。
僕を睨み続けていた。
顎をしゃくって無言で「消えろ」と合図した。
「行こう」
僕はもう一度軽く頭を下げてその場を辞すことにした。
一度だけ振り返ってみた。恭子のお父さんは僕に向かって頭を深く下げていた。
僕と恭子はその場を立ち去った。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。何もあんな態度……」
恭子は狼狽えていた。
「解ってるよ。別に気にすることじゃないよ。さすが恭子の
お父さんだって思った。立派な人だと思ったよ」
恭子には意味が解らないようだ。僕が皮肉を言っているのでないことは
解っているだろう。
「いいんだ」
「はい」
恭子は賢明だ。よく解らない時には取り敢えず納得する。
僕たちは無言で寺の境内を廻って駐車場に歩いた。
僕の父もあんな人だったのかもしれないと考えていた。
*
恭子は二十代最後のバレンタインデートに並々ならぬ情熱を燃やしていた。
去年、僕の突然の出向で空振りに終わった無念もあるに違いない。
僕も恭子の望むとおりにしてあげたかった。
二人が出会ったティーラウンジで待ち合わせの約束をした。
待ち合わせは十一時だった。僕も勿論休暇を取っていたが、急な仕事上の
トラブルで会社に呼び出された。
何とか会社を脱出し約束のティーラウンジに辿り着いた時には、十一時をとっくに過ぎていた。
僕には恭子に内緒の計画があった。
恭子に見つからないように店に入った僕は、年輩のウエイトレスを捕まえて
頼みごとをした。彼女とは顔見知りだったのですぐに話しが通じた。
「すみません。先に連れが来ているはずです。背が高い女の子です」
「はい。もう一時間もお待ちですよ」
「はい。あの、今から彼女に指輪を渡すんです。協力してもらえませんか?」
ウエイトレスさんは嬉しそうに頷いた。
「これ予約してた下のフロアのアイスクリームです。花火も一緒です」
「あぁ。はい伺ってます」
「彼女が指輪を受け取ったらこれをテーブルに持ってきて欲しいんです」
僕は発泡スチロール製の箱を手渡した。
「はい。かしこまりました、でも」
ウエイトレスさんは悪戯っぽく笑いながら言った。
「万が一受け取ってくれなかったら如何いたしましょう?」
「たぶん大丈夫です。でも、もしもの時は店のみなさんでどうぞ」
「かしこまりました」
礼をのべて歩きだすと後ろから「がんばってね」と声を掛けられた。
僕が恭子のいるテーブルに近づくと、隣の席のカップルがじろじろ見ていた。
無理もない。バレンタインデーに待ち惚けの女の子。絵になる光景だ。
男が遅刻して現れたら気になるのは当然だろう。
恭子も僕に気付いた。
「ごめん。一時間も待ってたんだって?」
「いえ、早めにきてしまっただけですから」
「本当にごめんね」
「必ず来てくれる相手を待つ時間って楽しいですから」
「良かった。泣いてるんじゃないかって心配してたんだ」
「これくらいで泣かないですよ」
「僕なら泣くかもしれない」
恭子は笑ったが、僕はわりと本気だった。
僕がテーブルにつくと先ほどのウエイトレスさんが注文を取りに来た。
目で「まだなの?」と訊ねていた。
取り敢えず珈琲を頼んで追い払った。
恭子がラッピングした瓶詰めをテーブルに置いた。
「栗の甘露煮」だった。真梨子がバレンタインに毎年くれる物を
僕が絶賛していたので対抗意識を持ったのだろう。
「頑張って作りました。受け取って下さい」
頭を下げて両手で僕に捧げるように渡した。
僕は「ありがとう。よろこんで」と言って受け取った。
隣のカップルの女の子が口笛を吹く真似をした。
カウンターに目をやると、先ほどのウエイトレスさんだけでなく、
他のウエイトレスや、厨房からマスターまで出てきて僕の動向を見守っていた。
大変な事になったなと思った。
真梨子に「恭子さんのために特別な日にしてあげて」と言われて、その気になってサプライズを計画したのだが少し後悔し始めていた。
恭子の前に指輪を差し出した。
「リボンをひいて」
恭子は頷いた。
震える指先がリボンの端をつまんですうと解いてゆく。
ダンスを申し込むように恭子の左手を導き、そっと薬指に指輪をとおした。
「君の人生に責任を持ちたい。僕にその立場を許してほしい」
野暮な言い回しだという自覚はあった。でもこれが本当の気持ちだ。
恭子はうつむき、でもはっきりと「はい」と応えた。
いきなり拍手が起こった。
僕以外の客は全員驚いて、店のカウンターを振り返った。
花火のはぜるアイスクリームを大きなお盆に載せて、例のウエイトレスさんが近づいてきた。
僕らのテーブルにお盆ごとアイスクリームを置くと一歩下がって芝居がかったお辞儀をした。
「ご婚約おめでとうございます!」
一際大きな声で言われてしまった。
店中から拍手が起こった。
ウエイトレスさんが恭子と僕を立たせると、拍手はいっそう大きくなった。
口々に「おめでとう」と言われた。
僕らはその度に「ありがとうございます」と答えた。
僕はやりすぎを後悔したが、恭子の笑顔は輝いていた。
「もう、この店には来られないな……」
僕の溜息を、恭子は笑顔で吹き飛ばした。
* おしまい
完結までお読みいただきありがとうございました。
これにて完結となります。
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また次の物語でお会いしましょう。




