誰もいない教室
魔術教室の生徒は、みな帰った。
茜色の光が教室の中に差し込んでいる。窓辺に吊るされたドライフラワーが、かすかに揺れた。
外から足音が近づいてきて、ドアの前で止まった。少しの静寂。
トントン。
ノックの音がする。中からは何の返事もない。
しばらくして、またノックがあった。
トントントン。
それでも、教室の中は静まり返ったままだ。
ドアの外で、男が直立していた。男はドアノブに手を掛ける。
ギイッ。
ドアが、少しだけ開いた。
「ソムナリア、いるかな?」
男は教室の中をのぞき込んだが、見えるのは机と椅子だけだった。
「……入るよ?」
返事を待つが、何も返ってこない。
ギイーッ。
ドアが開き、男が足を踏み入れる。
机の近くに、足とスカートが見えた。上半身は机の影に隠れて、よく見えない。
「ソムナリア……」
男は下を向いて声をかけた。しかし、女は動かない。
「ソムナリア……起きてるよね?」
影の中で、女がかすかに瞬きをしたようにも見えた。
風が吹き込み、机の上の書籍のページがめくれる。
ソムナリアが、ごく小さな声を漏らした。ゆっくりと上半身を起こす。顔、首、胸元が、少しずつ夕日に照らされていく。
男は言葉を探した。そして、小さく口を開く。
「……やあ」
「ソムナリア、こんにちは……」
ソムナリアは、その挨拶にうなずいて応えた。
沈黙。
男が、もう一度口を開く。
「こんにちは」
ソムナリアは首をかしげた。
「……そうだよね。挨拶、二回目だよね……」
男は視線を落とし、しばらく黙ったあと、また顔を上げた。
「ソムナリア……いや、なんでもない」
ソムナリアは、男の足元を見つめていた。
再び、沈黙が落ちる。
男は眉をしかめ、話し始めた。
「俺、ベルンハルトだよ」
ソムナリアは黙ってうなずいた。
「近くに寄ったからさ。魔術教室って、どんなところなのかなと思って」
ソムナリアは、また首をかしげる。
「……昼に来るべきだよね」
ベルンハルトは、うなだれた。
沈黙。
ベルンハルトは小さく息をつき、再び口を開いた。
「あのさ……手紙を運ばないといけないんだ……」
ソムナリアは、ぼんやりとベルンハルトを見ている。その視線に押されるように、ベルンハルトは言葉を継いだ。
「……関係ないと思うよね。でも、ソムナリア……君に同行してもらえたらなって……」
ソムナリアは、窓の外へ視線を遣る。
ベルンハルトは、少し上気した様子で言った。
「手紙を運ぶ任務なんだ。魔術士の同行が必要でさ」
ソムナリアが、急に顔を向けた。
「……手紙なのに?」
「そうなんだ。手紙を運ぶだけなら、俺一人で行ける。でも……魔術士なんだ」
ソムナリアは右の掌を顎に当てる。
「手紙と、魔術士……やっぱり、おかしい……」
ソムナリアはベルンハルトを一瞥し、すぐに壁へ視線を戻した。
「……おかしいと思うよね?」
ベルンハルトが尋ねると、ソムナリアは壁を見たまま、うなずいた。
しばらく、静寂が辺りを支配する。
ベルンハルトは、ソムナリアの様子をちらり、ちらりと何度か窺った。
「……どうしたの?」
ソムナリアは、首を横に振る。手を下ろし、視線を床に落とした。
ベルンハルトは少し間を置き、ゆっくりと話し始める。
「ファラリス年代記中巻というのが……」
その言葉に、ソムナリアはすぐ顔を上げた。目が大きく開かれている。
夕日が、ベルンハルトとソムナリアの影を引き伸ばし、教室の床に落としていた。




