賽は投げられた
十二月九日。
ついに、あらゆる道を断たれた信西殿が動いた。
清盛公から、熊野へ着いたと文をいただいた日の、夜のことだった。
後白河上皇陛下がお住まいの三条殿。そこを警護する兵の中に、小助を紛れ込ませていた。
御所の宿直とつながりがある父上と、検非違使とつながりがある定綱従兄様のおかげだ。
小助の報告では、上皇陛下はこの夜も今様歌を熱唱されていた。自身の住まいで何をはばかることがあるのか、というように。
小助を含む警護の方々は、ひそかに耳栓をしていたとのこと。
「一曲を唄い収め、今様歌集をめくって次の選曲をしていらした上皇陛下に、信西殿が膝を寄せたのです」
「そなたは、耳栓をしていたのではないのか? よくわかったな」
「長(親衡)を始めとする皆様に鍛えられていますからね。耳栓などあろうとなかろうと、動作を気配で察するくらいは造作もないことですよ。そう……たとえ、目を塞がれ、身動きひとつできなくされようとも……」
小助は、どこか遠い目をしていた。それほど訓練が過酷なのだと、私は察した。
以前、厨へ赴いた時、親衡殿が『連中は耳が良い』と言っていたことを思い出した。厨丁(雑用係)の少年が『精神の訓練はイヤです!』と訴えていたことも。
「すまなかったな」
「急にどうしたんですか?」
「耳が良いそなたには、さぞ辛かっただろうと思ってな」
「いや、まぁ、あれがずっとの任務だったら考えますけど、清盛公が不在の間のみですからね」
苦笑した小助には、だいぶ疲労の色が見えた。
肉体的でなく、精神的な疲労だ。
「すまぬ」
「そんなに謝らなくていいですよ。若様のお役に立てたんですから。それに……」
小助が表情を改めた。
「事が起こりましたし」
「……そうだな」
私の室に、ひそめた声が落とされた。
小助は話を続けた。
「周りの方々とともに、一度耳栓を外しました」
そこへ、信西殿が上皇陛下にささやく声が聞こえた。
『その御手に、陽を乗せる気はございませぬか?』
信西殿は遠回しに実権を握れと伝えた。だが相手が悪かった。
『信西! そちは、この手に火を乗せろと! 火傷をせよと申すのか!?』
上皇陛下は、信西殿を罵られた。
外の警護の方々がざわつくほどの大声だった。
『そのようなっ! そのようなことは……っ』
青ざめた信西殿が取り乱しながら弁解しようとしたが。
『信西殿、謀反でございます!』
警護の方々の中から、よく通る声が上がった。誰か発したかわからぬよう、人々に紛れて小助が上げた声だった。
『謀反……!』
『謀反とな……!』
騒然となる三条殿。
小助はさらに、
『……〝陽〟とは、御上のことでは……』
と呟いた。やはり人々に紛れて。
『何と……!』
『上皇陛下に、ふたたび実権を握れと……!』
後は、警護の方々が思うように騒いでくださり、信西殿を捕縛……という話に発展したところで──
「逃げられました」
「周到な御仁だな……」
小助とともに、ため息をついた。
まだまだ、私の詰めが甘かったということだ。
信西殿は、三条殿の警護に回された方々が、内心嫌々だったのを知っていたのだろう。ゆえに、上皇陛下の今様歌を止めなかった。
心身が疲弊すれば、隙が生まれる。
警護の穴を見つけ出した信西殿は、万が一のための通路を確保した。政に関心のない上皇陛下が実権を握ろうと考えるなど、よほどのことが起こらぬ限りないはずゆえ。
信西殿は、賭けたのではないか。
二人目の奥方は、かつて上皇陛下が親王でいらした頃の乳母。信西殿もその頃から上皇陛下のお世話をしてきた。
少しでも情があるなら、信西殿の話に乗る素振りを見せるのでは、と。
話に乗らねば、信西殿はただの謀反人となる。
よって、清盛公が不在の時。
少しでも朝廷が手薄になった時を狙い、上皇陛下にささやいたのだ。
結果は……惨敗だったが。
信西殿は逃亡しつつ、絶望と無力感に苛まれていることだろう。
私は父上、頼政公、清盛公に文を出しつつ、これからのことを考えた。
賽は投げられた。
信西殿と同じく、私ももう後戻りはできぬ。
いまだに非力な私は、武力では役に立たぬ。
攻撃のための霊力は、いまだに制御ができぬゆえ、せめてもと防護壁の訓練を重ねた。いざという時の備えだが、東国へ静かに隠居するためには、できれば使いたくない。
清盛公へ花を持たせるためには、目立たず騒がず。
平氏の威光で、事を収めたように見せるには……
灯明皿の灯りを見つめて考え込む私は、小助に退出の許可を与えるのを忘れていた。
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