※ 七月十一日(三)
後白河方でご活躍なさった清盛公は、此度の恩賞として播磨守(後の兵庫県南西部の国司)に任命された。
「殿は、右馬権頭に任命されました」
従五位下・右馬助からの昇進だった。
「権頭とは、次位長官のことだな」
本来、助(次官)からの昇進ならば頭(長官)だが定員が決まっており、空席になることはほとんどない。よって臨時除目のように予定外の任官の折には『権』という仮の官職が与えられる。定員枠のないこの官職は、ほぼすべての部署・官位において適用されている。
「はい。政権の視点から言えば、『権』と言えども昇進は昇進ですから」
「たしかにな」
小助の吐き捨てるような物言いに内心首を捻りつつ、私は頷いた。
武官として佩刀を許される、左馬寮・右馬寮の職に憧れる武士は多いと聞く。次位長官となられた父上には、ますます羨望の眼差しが向けられることだろう。
小助の申す〝政権の視点〟から言えば、
『羨望の的となる職で昇進させておけば、やすやすと裏切るまい』
ということだろうが。
父上も複雑な心境でいらっしゃるだろう。ご自身の出世が、お祖父様の命の上にあるゆえに。
……お祖父様……
「……お祖父様は、戦場にてどのような……」
一の武士でいらした方だ。数も兵力も圧倒的な差であったとはいえ、たやすく諦められたとは思えぬ。
「……大殿は、戦に慣れない私兵団の分まで、懸命に刀を振るわれていましたよ。……後白河方の負傷は、ほぼ大殿の手によるものです」
「……左様か」
鍛錬の時の、豪快だが道理にかなった太刀筋が目に浮かぶ──虚空を切り裂く音は、魔をも切り裂くような迫力があった。私は稽古の最中ということを忘れ、よく見惚れたものだ。その度に、お祖父様は、
『そなたは戦鬼にはなれぬな』
と、やさしくお笑いになっていた──
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