※ 七月十一日(一)
「深夜。十一日へと日付が変わって、まもなくのことでした──」
篝火と松明に浮かび上がる京の都にて、両軍が対峙した。
後白河方を率いたのは、関白・藤原忠通卿。指揮官は七名、兵は約六〇〇騎。指揮官は、平清盛公を始めとする名だたる武士の方々だった。
「我ら源氏からは、殿と頼政公、殿の相婿(妻同士が姉妹)でいらっしゃる義康様のお三方が、指揮官として名を連ねました」
清盛公のご嫡男・十八歳の重盛様は、兵として参戦なさった。
「義平様や朝長様も同じく、兵として参戦なさいました」
対する崇徳方を率いたのは、左大臣であり藤原氏長者でもある頼長卿。
「指揮官は、大殿を始めとする四名。兵は……約一五〇騎でした」
「……一五〇……」
私は、信西殿の巧妙な手口と執念深さにゾッとした。
崇徳方の大将は崇徳上皇陛下にはなりえぬ。いくら敵方とて、皇祖神の御後裔でいらっしゃる方を戦場に立たせるなど恐れ多いことはできぬのだ。なれば残るは共犯者とされた頼長卿。だがいくら藤原氏長者とはいえ、人望もなく、ましてや家宅捜索されるような方を大将と崇めることなどできぬだろう。現に指揮官となられた四名も、崇徳上皇陛下の御ためにと立ち上がられた方々だった。
「指揮官には平氏の方々もいらっしゃいましたが、勅命や綸旨でことごとく手足を削がれた後では、兵を集めるのは至難の業だったようです」
「……だろうな……」
おそらく源のお祖父様を慕う方々が大半だったと推察する。……とすると討たれた大半が、我が一族の……
私は、腿に押しつけるように手を握り締めた。
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