第70話 皇宮来襲(3) 怒り
「はあっ……。はあっ……」
左肩から血がどくどくと流れ出していた。
イヴァルトは心臓を狙っていた。
エスペルは心臓を貫かれることはかろうじて回避し、結果、左肩で受け止めることになった。
心臓貫通は免れたとはいえ、手痛い負傷だった。
エスペルは立っていられず、床に手をつき焼けるような痛みに耐えた。
エスペルは霊眼でイヴァルトの残りの傀儡魂を見た。
残り、一つ。
あと一発の大破魂で破壊できるだろう。
が、痛みで集中力が完全に分断されてしまっていた。
霊眼がかすむ。傀儡魂の映像がぼやける。
魂攻撃には大変な集中力を必要とする。
こんな激痛では、とても撃てない。
エスペルは悔しさと焦りに、拳をぐっと握り締めた。
そして視線を、部屋の中央の立派な柱時計に走らせた。
霊体化は発動からおよそ七分で効果が切れる、と以前ライラが教えてくれた。
エスペルはイヴァルトが霊体化の術をかけるところを見ていない。
ということは、イヴァルトはヒルデに呪縛を解かれた直後、エスペルがこの部屋に入る直前に、霊体化を発動したということだ。
ならばそろそろ、霊体化が解ける頃である。
その瞬間を、好機とせねばならない。
※※※
左肩に杭を突き刺されたエスペルが顔を歪めうずくまり、ライラは叫んだ。
「よ、よくもエスペルに!ゆ、許さないわ、イヴァルトっ!」
イヴァルトがライラに振り向いた。
「許サナイ、ダト……?誰ニ向カッテ、口ヲ聞イテイル?出来損ナイノらいら……」
その赤い目に射抜かれたライラは、びくり、と凍りついた。
異形のイヴァルトが、ライラに近づく。
その赤い瞳を、わざとらしいほどの怒りに染めて。
まるで怒った顔を見せれば、ライラが何も出来なくなると知っているかのように。
「オ前ハ自分ガ誰カ、忘レテイルノカ?オ前ガ私ニ、歯向カエルト……?」
(震えちゃダメよ私、お願い震えないでっ!)
ライラは自分を叱咤しながら、イヴァルトに手を突き出した。
「ナンダ、ソノ手ハ?ドウスル気ダ?」
「ううっ……」
ライラは意思に反して震えだす自分の身体に、どうしようもない絶望感を抱く。
ライラの目にイヴァルトは、今まで自分を差別し虐げて来た全てのセラフィムの集合体のように見えていた。
ライラが常に恐れ、怯えて来た者たち。
その者たちが今、ライラの前に立ち、ライラへのむき出しの憎悪をさらけ出している。
ライラにはそのように見えた。
「ナゼ貴様ハ生キテイル?最初カラ生キル価値ナドナイオ前ガ!オ前ハ、存在シテハ、ナラナイイイイイイイ!!!」
言いながらイヴァルトは、自らの右目を貫通している杭をつかむと、すぽんと引き抜いた。
「つっ……」
脳裏に去来する、常に浴び続けて来た、嘲笑、罵倒、軽蔑……憎悪。
幼い頃からずっと、圧倒多数からの憎悪に支配されて生きてきた。
その圧倒多数の憎悪の集合体が今、目の前に具現化して立ちはだかっている。
そのような錯覚に、ライラは陥っていた。
ライラはただ恐ろしかった。
つー、と涙が流れ落ちる。
(私は生きる価値がない。みんな私のことが嫌い。私は存在してはならない、嫌われ者の醜いライラ。だからみんな、私に酷い事をいっぱいする……)
イヴァルトが、杭を振りかぶった。
その瞬間、
「特大電撃!!霊体化、時間切れだ!」
エスペルの放った電撃がイヴァルトを直撃し、その身が海老反りになって痙攣した。
イヴァルトは仰向けに倒れ……いや、倒れることはできなかった。杭のせいで。
足をつっぱり、身を弓なりに仰け反らせ、宙で固まった。
体中に突き刺さっている沢山の杭が、イヴァルトの体を宙で支えたのだ。
火の回りに突き立てられた串刺しの焼き魚を思い起こさせた。
いよいよ化け物じみた、滑稽で無様な姿だった。
イヴァルトは感電により全身の動きを封じられ、ピクピクと痙攣している。
その口から、虚ろな笑い声が聞こえてくる。
「ハッ、フハハハハ……痛クナイ……!魂も肉体も、モハヤ私ハ……一切ノ苦痛ヲ、感ジヌウウウウ!」
エスペルが左肩の激痛に歯を食いしばりながら、声を絞り出した。
「撃て、ライラっ!今、そいつに立ち向かわなきゃ、お前は一生、乗り越えられねえっ……!!」
ライラがはっと目を見開いた。
イヴァルトの恐ろしい唸り声が広間に響く。
「撃テルモノナラ、撃ッテミロオオオ!醜イ醜イ、半人間ノ、矮小羽エエエエエエエ!!!」
ライラは泣きながら叫んだ。
「私の羽は醜くなんかない!だってエスペルが……!エスペルが可愛いって言ってくれたもの!」
そして攻撃を放つ。
「大破魂!!」
魂攻撃。
相手の魂を打ち砕く、呪殺の念。
ライラの撃ったそれは、憎しみでも恐怖でもなく……ただ純粋な、怒りの念だった。
敵の魂を粉砕する、怒りの一撃。
今まで自分が支配されてきた、一切の恐怖を引きちぎるかのように、ライラは叫んだ。
「半人間の私より、あなたの方が、セラフィムの方がずっと醜い!私は半分でもセラフィムじゃなくて、よかった!!」
ライラの絶叫は、広間を揺るがすように反響した。
イヴァルトの虚ろな黒い口から、不気味な音が放たれる。それはおそらく断末魔の叫びであった。
「オオオオオオオオオ……」
イヴァルトの体が、砂のように崩れ去る。
白い煙となる。
部屋の中、白い煙が渦を巻きたゆたい、やがて霧散し消失した。
「勝った……」
胸を抑え、息をついたライラは、エスペルにさっと振り向いた。
必死の形相で駆け寄った。
左肩に杭を貫通させたエスペルは、床に座り苦悶の表情を浮かべていた。
「エスペルごめんなさい、私が動けなかったせい、私が役立たずだったせいよ。私のせいでこんな傷を負わせてしまった!」
エスペルは首を振った。
「違う、これは俺が油断したせいだ、大した傷じゃない。それよりライラ、よくやったな。イヴァルトに勝ったじゃないか」
ライラはぐっと眉を下げた。その目から大粒の涙が流れ出す。
ライラはエスペルの腰に両腕を回し抱きついた。
「あなたのおかげよ……!私一人じゃ、戦えなかった!」
エスペルは微笑んだ。
その髪を優しく撫でた。幼子を慰めるように。
「ああ、俺がいる。これからもお前は一人じゃない。俺が一緒に、戦い続けるからな」
ライラはその言葉に、下唇を食む。
目の奥からどんどん涙が溢れ出てきた。幸せそうにうなずく。
「うんっ……!」
2020年3月3日現在、ブクマ23です。
23名様ありがとうございます!




