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第夜話

 鬱蒼と生い茂る木々に囲まれ、まだ陽が高いにも関わらず薄暗闇が支配する森の中を、一人の男が歩んでいた。

 顎の先には顔から流れ出た汗が溜まり、一歩進む毎に振動で溜まった水滴を地面に落としている。

 村からそう遠く離れていないにも関わらず、さながら亜熱帯のジャングルを想わせる森に、男はさっさと用件を終わらせて水風呂に入りたいと切に思った。


「遅かったな」


 唐突に男へ声がかかる。前からでも後ろからでも右でも左でもない。木々に反響して全方位から聞こえてくる。

 ようやくおでましか。自分の方から出向けよな。

 と男は思いつつも、これ以上森の中を歩き回らなくて済むと安堵した。


「早速報告してもらおうか」

「残った村人は約130人。内半数以上が子供や高齢者で、実際に戦力としてカウントできるのは半数程度ですね。御三家は村人を四箇所に集め振り分けるそうですよ。妹尾邸に40前後、難波神社に25前後、氷上邸に30前後、そして公民館に15前後。中には自宅に篭って移動を拒否する者もいるらしく数は目安ですが」

「公民館だけ人数が少ないのは何故だ」

「収容可能人数の関係です。それと御三家を含めたその身内が籠城するそうです」

「誘っているな」

「まあ、そうでしょうね」

「モンティ・ホール問題を知ってるか?」

「いえ、知りませんが。それがなにか?」


「A・B・C三つのドアがあり、一つのドアの向こうには財宝が、二つのドアの向こうには罠がある。Aのドアを選択した後、残りのドアB・Cの中から罠のドアCを開けて見せた。このタイミングで最初に選んだドアAを開けられていないドアBに変更しても良いと言われた場合、お前はどうする? 最初に選んだドアAを開けるか? それとも残ったドアBを開けるか?」


 男は首を傾げて即答した。なにを迷う必要がある? どっちを選んだって確率は同じだろうに。


「変えませんね。だって確率は1/2でしょう? それに、わざわざ選んだ後に開けたってことは、選択を変えさせたいのかもしれませんし」

「そうだな。出題側の思惑はともかくとして、確率はどう考えても1/2だ――一見するとな。実は違う」

「そうなんですか?」

「Aが当たりの確率は1/3、B・Cのいずれかが当たりの確率は合わせて2/3だった。Cがハズレだと判ったので、Bが当たりの確率は2/3になった。従ってBのほうがAを選ぶよりも当たる確率が二倍高い」


 男はますます首を傾げた。問題の答えもよくわからないが、それ以上にわからないのは人狼の思考だ。なぜ今この瞬間にこんな問題を?


「それで、その問題がなにか役に立つので?」

「真と見せかける偽、偽と見せかける真。モンティ・ホールが確率問題ならば、今回の分散籠城は心理問題だ」

「はぁ」

「一見すると考えるまでもない選択、答え。恐らく御三家はコチラの対応をみたいのだろう。看破され犠牲が出ると承知しつつもな」

「はぁ……それで、結局はどうしたらよろしいので?」

「彼奴等に思い知らせてやろう。極限状況での代償を伴う行動が、如何な結末を呼び起こすのかをな。夜を待て。追って指示する」


 人狼の言葉で村へ戻ろうと背を向けた男は、ふと浮かんだ疑問を口にした。


「あぁ、そうだ。一つ聞いても? どうして山に? 村には空家が溢れていますが」

「……とおりゃんせとおりゃんせ、ここはどこのほそみちじゃ。てんじんさまのほそみちじゃ」

「……? 懐かしい、とでも言った方が?」

「山は異界で幽世かくりょと呼べる。人に仇成し毒す存在である人狼は、妖怪と蔑むに相応しい。なればこそ、闇を求め光を拒むべきだろう?」

「はぁ」


 訳の分からんことを言う奴だ。と辟易しながらも、合いも変わらず気の抜けた生返事で男は応えた。


「何故四ツ辻に原田太助の首を置いたと思う?」

「さあ? 私にはなんとも」

「古くから道が交わる十字路は得体の知れないモノが潜む場所とされてきた。此方の世界と彼方の世界とを結ぶ境界と云うわけだ。これは日本だけでなく世界中で口伝されている」

「はぁ」

「首は要石と成り、それを境に村は異界へと踏み入った。やがては腑海ふかいに飲まれ闇へと沈む。村へ降りるはそれからでよい」

「はぁ」

「……面白くない奴。もう帰っていいよ。というかむしろ早く帰れば? じゃないと怪しまれちゃうぜ」


 男の反応が気に召さなかったのか、人狼は子供が拗ねて玩具を放り投げるように、男へ帰還を命じた。


「はぁ……ではまた夜に」


 暑さと疲労と不躾な態度に男は苛立ちを感じたものの、それをおくびにも見せず来た道を辿り戻る。


「いきはよいよい、かえりはこわい。こわいながらもとおりゃんせとおりゃんせ」


 男が戻る森の中へ、人狼の唄が滔々《とうとう》と木霊した。




 死体を土葬し村民に招集をかけ会合を行い夜に備える。

 以上の段取りがすべて終わったのは午後三時を過ぎた頃だった。

 御三家が提案した四箇所での篭城戦は、一部を除いた村人全員の参加で決定した。

 概要は以下の通り。

 ・妹尾、難波、氷上の三家に加え、公民館を足した四箇所に籠城し襲撃に備える。

 ・人員の配置は御三家の指示により分配。

 ・午後六時以降の外出は禁止する。

 ・緊急時は妹尾家より貸し出された無線を使用すること。

 以上の四点が取り決めであり、村人すべてに伝えられたルールである。

 補足として、籠城場所によって内容が変わる追加ルールが存在する。


 夜に備えるための行動を始めた武志や千鶴とは別に、銀次は自宅に篭もりきりの桃子を連れ出すため、赤枝邸を訪れた。

 家族の死を、妹の一部をあのような形で見せつけられたのだ。殻に篭りたくなる気持ちは銀次にもわかる。

 だが状況が状況だ。夜になれば殺人鬼が彷徨くこの村で、一人篭るなど自殺行為としか言いようがない。

 自殺行為――桃子は自殺しようとしているのかもしれない。

 そう頭に浮かんだ瞬間、言い様のない怒りが銀次に込み上げた。

 死を懇願する桃子にではない。それを諌めようと考えた自分にだ。

 諌める? 村人に死を背負わせて人狼を阻もうとする外道が? 生の大切さを説くのか?

 瞬間、銀次の右頬に鈍痛が走った。

 右手で自分を諌め、桃子に合わせる面目を取り戻すと、銀次は深呼吸をして心身を落ち着かせた。

 村の代表たる存在は、弱さを見せてはならない。そう自身に言い聞かせながら、インターホンへと手を伸ばす。

 一回、二回。

 機械的な呼出音が鳴り響くものの、赤枝邸から人が出てくる気配はない。

 仕方ないと玄関のドアノブに右手を伸ばした銀次は、


「はいはいどちら様ですか」


 と桃子が勢い良くドアを開けたため、


「あれ、銀ちゃん? なんで右手を抑えて悶えてるの?」


 ――幸いなことに突き指は免れたものの、相当な痛みが銀次を襲った。


「桃子……玄関を開ける時は、覗き穴から誰かいるか確認してから開けてくれ……」

「あー、まぁ確かに今は物騒な時だしね。うん、注意する」


 空元気と見てわかる桃子を前に、銀次は心を痛めつつも事の次第を説明した。


「というわけで、桃子は僕と一緒に公民館で泊まることになったから」

「銀ちゃんと一緒に泊まれるのは嬉しいけど、いいの? 家にいなくて。他の人たちは銀ちゃんの家に止まるんでしょ?」

「僕だけじゃない。村長や千鶴さんも同じだ。公民館に籠城するのは御三家の面々なんだよ。つまり、僕らは人狼を誘い出す餌だ」

「私は御三家と関わり合いがないけど、一緒に泊まってもいいの?」


 視線を伏せ、眉を歪ませ銀次は応えた。


「僕が選んだんだ。御三家の中で氷上だけ身内がいないから、贔屓にならないようにって」

「人質ってこと?」

「そうじゃない、そうじゃないんだ。僕は――」

「ううん、いいの。嬉しいの」

「――嬉しい?」

「だって、銀ちゃんは私を選んでくれたんでしょ? 命の危険があるのに、他の誰でもない私を。だから私嬉しいの」


 桃子の笑顔に、銀次は何も言えず、家の中へ支度に戻る桃子を見送ることしかできなかった。

 支度を終えた桃子を連れ添い公民館へ赴くと、銀次は残された備えを済ませるため、公民館を後にした。


 時刻は午後五時。まもなく夜の帳が下り始める。

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