第一話
とある世界のある場所にドラゴンというその世界最強格の生物が住む火山があった。
その火山には人間どころか、魔物までもよほどのことがない限り近づかない場所だった。
そんな場所に一人の神子が捨てられた。
まだ産声をあげたばかりの赤子――
火山の洞窟で偶然彼女を見つけたのは、群れの中でもひときわ巨大で威厳を放つ蒼鱗のドラゴンだった。
彼の名は ヴァルゼル。
「……人間の子か。だがただの人間ではないな。この力……神の残滓が宿っている」
本来ならば人間の赤子など、瞬きひとつで灰にできる存在だった。
だがヴァルゼルは直感した。――この子を殺すのは、世界の均衡を損なうことになる、と。
そして彼は決断する。
自らの里へ連れ帰り、育て上げることを。
「…この子の名前を古代語での守り切るという意味を使って……結衣と名付けよう」
◇ ◇ ◇
結衣が五歳になったころ。
火山のドラゴンの里では、すでに彼女は群れの一員として認められていた。
火を吐く訓練を真似してみたり、鱗に触れて絵を描いたり、毎日が新しい挑戦だった。
ある日、ヴァルゼルの末子であり、人化の術を身につけていた少年姿のドラゴン――リュオスが挑発するように言った。
「おい、結衣!おまえ、里の一員ならば力を示せ! 俺と勝負だ!」
結衣は小さな拳を握りしめ、瞳を輝かせる。
「いいよ! 負けないから!」
次の瞬間、炎と石が舞う洞窟の広場で、幼き神子と人化したドラゴンの取っ組み合いが始まった。
結果は――圧倒的だった。
結衣の身体能力は常識外れで、リュオスを何度も地面に投げ飛ばしたのだ。
「ぐっ……! なんだおまえ、人間じゃないのか!?」
「人間だよ!…《《ドラゴンに育てられた》》、ね?」
その笑顔に、ドラゴンたちは大きな咆哮を上げて笑った。
こうして結衣は、幼いながらも「ドラゴンの里の戦士」として皆に受け入れられていく。
◇ ◇ ◇
やがて十歳。
結衣は人の姿をしたままでもドラゴンを凌ぐほどの力を身につけ、ヴァルゼルから麓の人間の世界に降りるよう告げられる。
「結衣。お前はただ我らと共にいるだけでは済まぬ。人の世に出よ。そして己の運命を知るのだ」
火山の里を発って間もなく、結衣は人間の暮らす麓の村に辿り着いた。
小さな村の中央にある酒場兼ギルドに足を踏み入れると、視線が一斉に集まる。
「……子ども?」
「まさか、迷子じゃないだろうな」
結衣は胸を張って言った。
「わたし、冒険がしたいの!」
笑いが広がった。剣を腰に下げた男も、魔法使い風の女も、誰もが冗談だと思ったのだ。だが受付嬢は困ったように眉をひそめつつ、試しに一番簡単な依頼を差し出した。
「ゴブリン退治。……まあ、村の畑を荒らす程度の小物だ。危なくなったらすぐ逃げなさい」
結衣は笑顔で頷くと、ひとり森に向かった。
そこには、十数体のゴブリンがいた。
結衣は小石を拾い、ぽいと投げる。――その石は音を立ててゴブリンの頭を砕いた。
「きゃはっ! 楽しい!」
彼女は駆け、拳を振るい、時に地を蹴っただけで衝撃を走らせる。
畑を荒らしていた魔物たちは、数分と経たずに全滅した。
◇◇◇
「……ば、馬鹿な……」
依頼を見届けていた冒険者たちの顔は蒼白になった。
子どもどころか、王国の勇者でもこんな芸当はできない。
受付嬢は震える声で告げた。
「あなた……いったい、何者なの?」
「わたし、結衣! 火山から来たよ!」
笑顔で答える少女に、酒場は静まり返った。
火山――そこはドラゴンの住処。人ならざる魔境。
そこから現れたという時点で、彼女がただ者ではないことを皆が理解する。
その夜、村人たちは結衣を祝福した。
ゴブリンの脅威が去ったこと、そして村に新たな守護者が現れたことを。
小さな宴の席で、結衣はお腹いっぱいにご馳走を食べ、笑顔で歌う村人たちに囲まれながら思った。
――人間の世界って、あったかい。
その日から、結衣の冒険は本格的に始まった。
最強の神子でありながら、まだ何も知らぬ幼い旅人として。