第二話
結衣が冒険を始めて一年。
彼女の名は、すでに近隣の村や町で知らぬ者のないほど広まっていた。
「火山の幼女」「最強の幼子」――呼び名はさまざまだが、誰もが一度は噂話にする存在だった。
そんなある日、結衣は山間の村で魔物討伐の依頼を受けることになった。
相手はオーガの群れ。普通の冒険者なら数十人がかりで挑むような難敵だ。
「わたし一人でいいよ!」
受付嬢が止める間もなく、結衣は飛び出そうとした――そのとき。
「待ちなさい!」
甲高い声が響いた。振り向くと、白衣をまとった少女が立っていた。顔色は悪く、杖に体を預けている。
「わ、わたしも行くわ……。治癒術師リアナ、ただいま参上!」
「でも、すごく体調悪そうだけど……大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないけど……! 人を助けるのは、わたしの役目だから!」
結衣はぱっと笑顔になり、リアナの手を取った。
「じゃあ、一緒にいこ!」
◇◇◇
オーガの住処へ向かう途中、二人はさらに二人の冒険者と出会う。
ごつい鎧を着た傭兵崩れの男・ガルドと、書物を抱えた魔導師の青年・エリオだ。
「おいおい、本気で子どもが行くのか?」
ガルドは呆れ顔で結衣を見下ろした。
「見てればわかるさ」
エリオは好奇心に目を輝かせる。「この子が噂の神子だろう?」
こうして四人は、半ば成り行きで共にオーガ討伐に挑むことになった。
◇◇◇
戦いは始まった瞬間に終わった。
結衣が拳を振るえば、オーガは宙を舞って地面に沈む。
一撃ごとに大地が震え、群れは恐怖に駆られて逃げ出した。
「な、なんだこの力は……」
ガルドは呆然とし、エリオは魔力探知の呪文を使ってさらに目を丸くした。
「信じられん……この子、魔力の器が人間の数百倍はあるぞ……!」
一方で、リアナは荒い息を吐きながらも結衣に駆け寄り、膝を擦りむいた彼女に回復魔法をかけた。
「ひゃっ……! ちょっと血が出ただけだよ?」
「いいの! あなたが傷つくのを見過ごせないの!」
その必死な様子に、結衣は胸の奥がじんと温かくなった。
◇◇◇
依頼を無事に終えた帰り道、ガルドがふと呟いた。
「結衣、おまえ一人で十分なのに、なんで俺たちを連れて行った?」
結衣はにっこり笑って答える。
「ひとりだとつまんないから!」
その言葉に三人は一瞬呆気にとられ、次の瞬間、思わず笑っていた。
こうして――結衣は初めての仲間を得た。
最強の力を持ちながらも、友と共に歩む旅を選ぶために。
◇◇◇
結衣が十二歳になった年、仲間と共に砂漠の街を訪れた。
そこは交易の拠点で、遠方から商人や旅人が集まる活気にあふれた場所だったが、その空気はどこか不穏だった。
「砂漠の魔物が群れを成して移動しているらしい。次に狙われるのはこの街だ」
ギルドでそう告げられると、冒険者たちはざわついた。
百を超える砂獅子やサソリ型の魔物――普通なら軍隊でも苦戦する相手だ。
結衣は迷わず名乗り出た。
「わたしがやっつける!」
街の人々は安堵しつつも、不安げに少女を見守った。
まだ十二歳の子どもに街の命運を預けることなど、本来ならありえないのだから。
◇◇◇
群れは夜に現れた。
砂嵐の中、獣たちの咆哮が響く。
結衣は拳を握りしめ、仲間に振り返る。
「みんなは街を守ってて! わたし、行ってくる!」
彼女は風より速く駆け、次々と魔物を打ち倒した。
一撃で砂地に大穴を穿ち、数体をまとめて吹き飛ばす。
炎を吐きかけてくる怪物も、掌で軽く弾けば霧散する。
夜明けまでに群れは壊滅した。
◇◇◇
勝利の歓声が街に響いたとき、結衣は胸を張って戻ってきた。
「みんな、安心していいよ! もう大丈夫!」
だが、歓声の中にすすり泣きが混じっていた。
街の外れの家々は魔物に襲われ、結衣が駆けつける前に数人の命が奪われていたのだ。
小さな子が母の亡骸にすがって泣いている姿を見た瞬間、結衣は立ち尽くした。
「……わたし、全部守れたと思ったのに」
ガルドが肩に手を置いた。
「結衣。おまえは十分すぎるほどやったんだ」
「でも……助けられなかった人がいる。わたし、最強なのに……」
リアナが彼女の手を握り、優しく微笑んだ。
「だから私たちがいるの。あなた一人で全部を背負わなくていい。結衣は、人間なんだもの」
その言葉に、結衣の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
自分が泣くのは弱さではなく、人の痛みを知った証なのだと。
◇◇◇
その夜、仲間たちは焚き火を囲んで黙って結衣のそばにいた。
彼女は小さな体を震わせながらも、涙を流しきったあと、またいつものように笑顔を見せた。
「ねえ、次はもっと、みんなで守ろうね」
砂漠の星空に、その声は小さくも力強く響いた。
――十二歳の神子は、この日初めて「涙」を覚え、人としての成長を刻んだのだった。
◇◇◇
結衣が十三歳になった年、旅の仲間と共に王都へ足を踏み入れた。
高い城壁、石畳の大通り、そして市場にあふれる人々。これまで訪れた街のどこよりも華やかで壮麗な光景に、結衣は目を輝かせた。
「わあ……すごい! こんなに人がいっぱい!」
「はしゃぎすぎるな」ガルドが苦笑する。「ここは田舎の村と違って、厄介な連中も多いんだ」
その言葉はすぐに現実となった。
王都に入って三日目、結衣は宮廷からの召喚を受ける。
「其方よ、国王陛下がお呼びだ」
◇◇◇
玉座の間で、王は結衣を前にして威厳を示した。
「おぬしの力はすでに国中に知れ渡っておる。我が王国に仕えよ。さすれば栄誉と富を与えよう」
結衣は小首を傾げて答える。
「わたし、誰かのものになりたくないよ。みんなと一緒に旅してるのが楽しいんだ」
ざわめきが広がった。王は眉をひそめ、低く告げる。
「ならば――力ずくででも従わせるまで」
その夜、結衣と仲間たちが泊まる宿を暗殺者が襲った。
黒装束の影が幾十も窓から飛び込み、刃が一斉に閃く。
だが結衣は一歩も動かず、ただ指を鳴らした。
――次の瞬間、暗殺者たちは床に倒れ伏し、武器は粉々に砕けていた。
「もう、どうしてみんなすぐに戦おうとするのかな」
結衣は呆れ顔で呟き、仲間の方へ振り返る。
◇◇◇
事件は隠しきれず、王都に噂が広がった。
「神子が暗殺を受けた」「国王が黒幕だ」――人々は囁き、抑え込まれていた不満が一気に表へ噴き出した。
結衣は混乱の渦中で、怯える民衆を守り、腐敗した貴族の横暴を暴いた。
やがて王の権威は失墜し、民衆は彼女を「真の守護者」と呼ぶようになる。
◇◇◇
夜、城壁の上で風に吹かれながら、エリオがぽつりと呟いた。
「結衣。君は人の国をも揺るがせてしまう存在だ。……恐ろしくはないのか?」
結衣は首を振り、満天の星を見上げて笑った。
「わたしは、ただのみんなの仲間だよ。強いだけの結衣じゃなくて、リアナやガルドやエリオと一緒にいる結衣なの」
その無邪気な答えに、エリオは言葉を失った。
同時に確信する――彼女こそ、この世界の行く末を左右する存在だと。
こうして十三歳の神子は、王都に嵐を巻き起こし、権力に抗う象徴となった。
だがその背中はまだ幼く、ただ仲間と笑い合う旅人でしかなかった。
◇◇◇
結衣が十四歳になった年、仲間たちと北方の地へ向かった。
雪に閉ざされたその大地には古代の遺跡が眠り、王都で拾った古文書にはこう記されていた。
――そこに「神の残滓」が封じられている。
結衣は胸の奥に小さなざわめきを覚えていた。
「神子」という自分の正体に繋がる何かを、この遺跡が教えてくれるような気がしたのだ。
◇◇◇
遺跡の奥は氷の迷宮のようだった。
青白い光が壁を走り、足音が幾重にも反響する。
やがて中央の広間に辿り着いた瞬間、空気が震えた。
『来たか……神子よ』
声が響いた。
そこに立っていたのは、人の形をしていながら輪郭が定まらない影。
光と闇が渦を巻き、見る者の心に畏怖を植えつける存在。
「あなたが……神の残滓?」
結衣が問いかけると、影は笑うように揺れた。
『お前は人ではない。神でもない。されど、この世界を繋ぐ楔となる』
『いずれ、選ばねばならぬ。神と共に歩むか、人と共に歩むか――』
その声は結衣の胸を深く抉った。
◇◇◇
「ふざけるな!」
ガルドが剣を抜き、影に斬りかかる。
だが刃は虚空を裂くだけで、手応えはなかった。
エリオは震える声で呪文を唱えるが、魔力が霧散していく。
『人の力では我を傷つけられぬ。神子よ、お前だけが――』
結衣は拳を握った。
その力なら影をも打ち砕ける気がした。
だが同時に、胸の奥から得体の知れない恐怖が湧き上がる。
――もし本当に自分が神と人の狭間の存在なら?
――もし自分が人と違うなら、仲間と共に歩む資格はあるの?
「わたしは……」
影は答えを待つように沈黙し、やがて溶けるように消えていった。
『時が来れば、再び会おう。選択の刻は必ず訪れる』
◇◇◇
残されたのは静寂だけ。
結衣は膝をつき、胸を押さえた。
リアナがそっと抱きしめ、耳元で囁く。
「結衣は結衣よ。神でも人でもなく、わたしたちの大切な仲間」
仲間の温もりに包まれても、不安は消えなかった。
けれどその夜、結衣は焚き火を見つめながら静かに誓った。
――わたしはわたしの答えを見つける。
――神でも人でもなく、結衣として。
◇◇◇
十五歳の春。
結衣は仲間たちと長い旅路を終え、再び火山の方角を見つめていた。
熱気を帯びた赤黒い峰は遠くからでも威圧感を放ち、そこに眠る竜たちの気配が空気を震わせる。
「結衣、本当に戻るのか?」
ガルドが問いかける。
「おまえが人の世界に残れば、誰も逆らえない英雄として生きられるんだぞ」
結衣は首を振った。
「英雄とかじゃないよ。ただ……あの影に言われたんだ。わたしは神子で、いつか選ばなきゃいけないって。答えを見つけるには、やっぱり火山に戻らなきゃ」
◇◇◇
道中、彼女の心は揺れていた。
仲間と笑い合う日々は何にも代えがたい宝物だった。
けれど同時に、自分が人でも神でもない「楔」だと告げられた言葉は、胸に棘のように残り続けていた。
「もし……わたしが人じゃなかったら、みんなはどうする?」
夜の焚き火で結衣が尋ねたとき、リアナは迷わず答えた。
「結衣は結衣。それだけで十分」
エリオも眼鏡の奥で微笑み、ガルドは大きな手で頭を撫でた。
「何を今さら。おまえが誰であろうと、俺たちの仲間だ」
その言葉に救われながらも、結衣は決意を固めた。
――だからこそ、真実を知らなければならない。
◇◇◇
数日後、火山の山道に差し掛かると、懐かしい咆哮が空を揺るがした。
蒼鱗の巨竜ヴァルゼルが翼を広げ、炎を背に舞い降りてきたのだ。
「……よくぞ戻ったな、我が娘よ」
「ただいま、父さま!」
結衣は駆け寄り、その巨大な鱗に抱きついた。
仲間たちはその光景に言葉を失った。
神話に語られる存在が、少女を家族のように迎えているのだから。
◇◇◇
火山の里は昔と変わらず、竜たちの咆哮と炎に包まれていた。
だが結衣の心には、以前にはなかった影がある。
ヴァルゼルの前に立ち、彼女は真正面から問いかけた。
「父さま。ねえ、わたしは本当に人間なの? それとも……神なの?」
蒼き巨竜はしばし瞳を閉じ、やがてゆっくりと答えた。
「結衣。お前は神でも人でもない。だが、どちらの道をも選べる者だ。
――その選択が、世界の行く末を決める」
結衣は拳を握りしめ、真剣な表情で頷いた。
「なら、わたしは自分の答えを探すよ。わたしとして、結衣として」
◇◇◇
こうして十五歳の神子は火山に帰還し、真の運命へ歩み始める。
仲間の絆を胸に抱き、竜の里で再び学び、いつか訪れる「選択の刻」に備えるために。
――結衣の物語は、ここから本当の意味で始まるのだった。




