表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
222/230

【221】冒険者試験編㉓ 〜理想と現実〜


「……学生が、アビス・ハウンドを倒すとはな」


 ネプチューンは椅子に腰掛けたまま、低く呟いた。


「よっ」

 魔獣の背から軽やかに飛び降り、アーシスは笑いながら剣を肩に担ぐ。

「ウォーミングアップにはちょうどよかったよ。この“弱い方”のやつ」


 ──ギロリ。

 一瞬だけ向けられた冷たい視線。

 だが次の瞬間、ネプチューンはふっと口元を緩めた。


「貴様は……なぜ冒険者になる?」

 タバコを咥え、煙を吐きながら問う。


 アーシスは剣を構え直し、迷いのない目で答えた。

「決まってるだろ。“この世界を守るため”だ!」


「…………なるほどな」

 その声に、怒りはなかった。

 ネプチューンは、ゆっくりと立ち上がる。

「第三層は越えたか。──だが」


 グッ──杖を、今度は確かに握り締める。

「そんなに焦ってどうする?……絶望を味わうだけだぞ」


 空気が、沈んだ。

 魔導照明が一斉に明滅し、観客席から悲鳴が上がる。


 ネプチューンの声が、低く響く。

「《契約位階・第五層》」


 その言葉を聞いた瞬間、ギルド席の魔術師たちの顔色が変わる。

「ま、待て……第五層だと!?」

「ここは試験だぞ……!」


 だが、ネプチューンは構わない。

「安心しろ。殺しはしねぇ」

 杖を、地面ではなく──己の胸へ向ける。

「……ただ、現実を教えるだけだ」


 次の瞬間。

 アーシスの足元から、世界が崩れ落ちた。


 空間が歪み、色が剥がれ、音が遠ざかる。

 そして、そこに“立っていた”。

 人の形をした、何か。


 顔は定まらず、見る角度によって変わる。

 背には無数の半透明の腕。

 胸には、ぽっかりと空いた虚ろな穴。

 祈るような布を纏い、地面に触れず、静かに浮かぶ存在。


 ──深淵守護獣アビス・レクイエム


 それが現れた瞬間、アーシスの心臓が、嫌な音を立てた。


「アーシス!」

 声がした。

 振り向いた瞬間、息が止まる。

 アップルが、黒い影に拘束され、宙に吊るされていた。


 背後では──

「はぁっ……くっ……!」

 シルティが、血を流しながら剣を振るっている。

 別の方向では、マルミィが魔力切れ寸前で膝をついていた。


「アーシス……助けて……」

「お願い……来て……くださ、い」


 胸が、締め付けられる。

 足が、動かない。

 アビス・レクイエムの気配が、空間そのものを縫い止めていた。


 ネプチューンの声が、静かに落ちる。

「──いいか、坊主」


 杖の先が、三人を指す。

「全部は無理だ」


 次に、アーシスを指す。

「どんなに強くたって、どんなに願ったって」


 低く、突き刺すように。

「──いきがっても、すべては救えねぇ」



「アーシス!こっち……!」

 アップルが叫ぶ。


「……早く……もう、限界……」

 シルティが、苦しげに笑う。


「一緒に……戦うって……約束……」

 マルミィが、震える声で呟く。


 呼吸が乱れる。

 行かなきゃいけない。


 でも──行けない。

 この場を離れれば、アビス・レクイエムがすべてを呑み込む。


 剣を握る手が、震えた。

 ネプチューンは、その様子を黙って見ている。


(……選べ)


 そう言っている。

 助けるか。

 捨てるか。


 その瞬間。

 アーシスは、歯を食いしばった。

 ゆっくりと、剣を握り直す。

 仲間の声を、振り払うようにではない──受け止めたまま。


「……俺は」

 小さく、しかし揺るがない声。

 アーシスは、顔を上げ、前を向く。


「俺は、助けに行かない。……でも、捨てもしない!」

 ネプチューンの目が、わずかに見開かれる。

「……なにを言ってるんだお前は?状況をわかってるのか?」


「わかってるよ。……でも、俺の答えはひとつだ」

 アーシスの瞳に、強い炎が宿る。


「俺は──仲間を信じてる!」


「シルティは、立ち上がる」

「マルミィは、魔法を諦めない」

「アップルは……負けない」


 一歩。

「だから俺は──」

 二歩。

「俺にしかできないことを、やる」


 アーシスは、剣をアビス・レクイエムへ向ける。

 ──その瞬間。

 幻影の悲鳴が、ひび割れるように歪んだ。


 アップルの拘束が、霧散する。

 シルティとマルミィの敵が、掻き消える。

 アビス・レクイエムの背後の腕が、次々と崩れ落ちた。


「……な」

 ネプチューンが、低く息を漏らす。


「幻影が……消えた?」

 アーシスの心が、折れなかったからじゃない。

 現実を否定せず、それでも進んだからだ。


「貴様の答えは──理想だ。……現実はそんなに甘くない」

 ネプチューンはアーシスを睨みつけた。


「……そうかもしれない」

 少し俯いた後、アーシスはまっすぐにネプチューンを見据える。

「……それでも……それでも俺は、すべてを救いたい」


 沈黙。

 ネプチューンは、杖を強く握りしめた。


 ──その目が、過去の記憶を甦らせる。

 そのまっすぐな瞳が、ネプチューンの愛した"弟"の瞳と重なる。


(つづく)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ