ろくでもない夢
「っだらあ! クソガキゃ!」
まんまとしてやられたと悟ったケイトが憤怒もあらわに壁に飛び付く。
「なにやってんだケーイチ! 押せっ、押せっ!」
と、言われて慌てて恵一はケイトの尻……を押そうとして、咄嗟に足の裏に手を置いて持ち上げた。
転がるように壁の向こうにケイトが消え、恵一も壁に飛び付き乗り越えて後を追った。
ケイトが右の方へと消えたので、左の方へと行った。
しばらく道なりに進んでいると、前からケイトが来て鉢合わせた。どうやら、少女は別の道を行ってしまったようだ。
「あー、こりゃ、ちょっともう無理だなあ」
息を切らしながら、ケイトは言った。確かに、この状況で探し出すのはかなり難しいだろう。
「ケーイチが油断すっから」
事実なので、返す言葉も無い。
しかし、さすがにあそこであのように抵抗してくるとは思わなかったのだ。もう完全に少女は知っていることを話すつもりになっているものだと思い込んでいた。
「あー、でも、こりゃあ、アレだな」
「アレ?」
「おう、ケーイチ、記憶を失う前はけっこうやらかしてたんじゃねえのか」
「や、やらかす、って……」
「だって、顔見て驚いて声かけられたら逃げて、とっ捕まえてあたしはともかくケーイチは優しく話しかけてたのに、アレだろ?」
ケイトにしてみたら、あの少女の行動は恵一を恐れてのこととしか思えない。となると記憶を失う前の恵一の仕業に違いないのだ。
「そんなことは、無いよ」
「無いって、記憶喪失だろ」
「うん、そうなんだけども」
言い訳として記憶喪失というのは、それ以外無い、という理由で最善の手段だという気持ちは揺るぎ無いが、こういう時はやはりあんなこと言わなきゃよかったかな、と思ってしまう。
「記憶ってさ、今の状態のまんまで忘れてたことを思い出すこともあるけど、逆に昔の記憶が戻った瞬間に、それまでの間のことを忘れちゃうこともあるらしいぜ」
「そ、そうなんだ」
「ケーイチが、記憶戻ってあたしたちのこと忘れちゃって、んで、ろくでもねえ奴になるのなんて嫌だなあ。もう記憶戻らなくていいんじゃねえの」
「あー、いや、それでもやっぱり自分がどこの何者なのかは知りたいよ」
ケイトが今の恵一に対して好意を持っているゆえの発言なのだというのはわかるが、そうですねと頷くわけにもいかぬ。
宿に戻って食事をし、落ち着いたところでケイトが一連の話を披露した。
「あー、そりゃ、やらかしてるわね。なんだケーイチ、ろくでもない奴だったのね」
リーンが、何がそんなに楽しいのかと言いたくなるような笑顔で言った。
「……てっきり、アマモトさんは騎士の家の出かと思っていましたが……」
と、言うのはエリスだ。そう言えば、そういうことになっていたのだった。
「おう、あたしもそう思ってたけどさあ。小さな可愛い女の子がさあ、こう串を挟んでパンチしてまで逃げようとしてたからなあ」
「そりゃ、あれね。そういう小さな女の子をさらう類のアレでしょ。うん、記憶戻らない方がいいんじゃない」
「おお、リーンもやっぱそう思うか? あたしもそうなんかなあ、って」
「だとしたらゴミですね。記憶戻らない方がいいんじゃないですか」
なんかもう、反論のしようが無いうちに、どんどんアレに仕立て上げられている。
そんなことは無い、といくら言っても記憶喪失なんだろうが、と返されるだけである。救いは、そのろくでもねえアレである記憶を失くしている現在の恵一には三者三様に好意――エリスは幾分怪しいけど――を抱いているという点だ。
「まあ、もう第二の人生を歩んだ方がいいぜ。あんな小さな女の子に逃げられるような人生は諦めろよ」
そりゃ本当だったらそんな人生うっちゃってしまいたいが、あくまでもケイトたちの想像である以前に記憶喪失というのは嘘なんだからありえん話である。
「つか、みんな、怖くないの?」
「あ? なにが?」
「いや、おれがその記憶が突然戻ってさ、最近のこと全部忘れて、横を見たら女の子が寝てて……」
当然そんなことはありえないことなのだが、ケイトたちの認識ではそれは十分にありえることなのだから、それを想定し警戒しないのだろうか。いや、警戒なんぞされて一人だけ部屋追い出されたりしたら嫌だけど。
「お、なんだ、あたしらを襲おうってか」
「あくまで、おれがそういう奴だったら、って話ね」
ケイトは、カラカラと笑って言った。
「そんなもん、ちんこ切っちまえばいいじゃねえか」
「そうよそうよ、切っちゃえばいいのよ」
リーンも全く同意見であるらしい。
恐ろしいことを軽く言うが、二人ともけっこう可愛いんだからそういう危機意識が薄いのはよくないなあ、と思う。
「エリスもそう思うだろ」
「私を襲おうなどという物好きがいるとは思えませんが……」
「わかんねえぞ。記憶戻ったらケーイチのモロ好みかもしれないぜ」
正直、暗がりの中であどけないと言っていい寝顔をじっくりと見て以来、ちょっとエリスに対して以前とは違う想いもあったりするのだが、もちろんそれは黙っておく。
「まあ、そんな物好きだったとしたら、切除するなり叩き潰すなりするでしょうね」
「潰す! その発想は無かったぜよ」
「そういえばさ、アレって折れんの?」
「どーなんだろ。固くなるって話だからな、勢いよく力加えたら折れんじゃねえ?」
「折れたらどうなんのかしらね。治るのかな」
「さあ? ……ケーイチ、どうなんだよ」
「いや、知らんし、考えたくもないよ」
「そうかあ……」
心底残念そうに言われても、知らんし考えたくもないのは動かない。
「切る、潰す、折る。……他になんか無いの?」
「うーん……」
そういう話だっけ、という方向に果てしなく迷走する話だが、二人とも妙に真剣だ。
「エリス、他に無いか?」
「さあ、焼いたらいいんじゃないですか」
ケイトの問いかけに、寝入ろうとしていたエリスはいかにも眠そうに、適当な感じで答えた。
「焼く!」
「焼いたらどうなんだろうな。ケー」
「いや、知らんからね」
全くもって知らんし、知りたくもなし。
「まあ、とにかく四つあれば困ることはあんめえ」
「そうね」
別にちんこへの加虐行為の種類を取り揃える必要は無いと思うのだが、二人とも凄く満足げである。
「おし、寝んべ寝んべ、この時間にまだ出発の触れが無いってことは、明日の朝出るってことはあんめえ」
ケイトがあくびをしながら言った。リーンもそれに同意し、それぞれベッドにて就寝する。
そもそも、ありえない事態について彼女らのことをなぜか心配している自分に馬鹿馬鹿しさを覚えて、恵一も寝ることにした。
ケイトが言うように、この時間に何も言ってこないということは、明日一日はこの街に留まるのだろう。
それならば、またあの少女を探しに街に出たいところだが、あれほどあからさまに接触を嫌って逃亡したのだ。今日のようにその辺で買い食いなどしているとは思えないし、早くも明朝にはこの街を発ってしまうかもしれない。
それを思うと、今更ながらに取り逃がしたことが悔やまれるが、あの時はケイトに対して隠すべき秘密を共有しているという感覚が、妙な共犯感覚ともなって彼女への警戒心を著しく下げてしまったのだ。
この街にも、エリスが使っていたような調査業者はいるのだろうかと、ふと思うが、エリスの時は相手の名前も住んでいた場所もわかっていた上に、逃亡者の自覚なしに飲み歩いていてくれたから割とあっさり見つかったのであって、今回は外見の特徴しか情報が無く、どれほど腕がよかろうと難しいだろう。
そんなことを考えながらも、まどろみ、眠りに落ちて行ったが、朝日によって明るくなった部屋で目覚める前に、一幕が恵一を待っていた。
夢だな、とはすぐに知覚した。
宿屋の一室で、ケイトたちと一緒に寝た、というのが最後の記憶であることを恵一はしっかりと覚えており、突如、他の連中もベッドなどの家具調度も、いや床や壁や天井すら消失して、見渡す限り何もない空間に立っているという状態をそれ以外には解釈しようが無かった。
立っている、と述べたが床も地面も無いのに、そう感じられた。透明の床がある、というと正確ではないと思われた。
足の裏に感触が無いのに、落下もせずにそこに停止していることを不思議に思い、これは立っているのではなく、浮いているんだな、と認識を修正した。
しかし、浮遊感は無いのだ。なんとも言い得ぬ状態であるが、それもこれも夢であると思えば不思議でもあるまい。
それらのことは、どうでもよくなった。
理由は一つだ。一人の少女が目の前に現れたからだ。
ずっと先まで何も無いところへ、気付いた時にはそこにいたのだから、なんの前触れもなくその場に出現したということになる。
輝くような金髪に、一瞬、あの少女――昼間出会い、逃げられたあの子かな、と思ったがそうではなかった。
それは、本来のお目当てであった少女であった。この世界に飛ばされる直前に、魔王がどうの選ばれし者がどうのと話していた少女だ。
記憶と寸分違わぬ美しい少女だ。
だが、やはりこうして改めて見ると、整い過ぎていることが却って作り物めいた感じを醸し出してしまっているという印象は拭えない。
昼間会った少女の、肉を頬張り忙しなく口を動かしながら浮かべていたこの上もなく嬉しげな笑顔と比べることで、それはより顕著となった。
「選ばれし者よ……」
声に、思考は中断される。これは夢なのかと思いながらも、会いたくて会いたくてしょうがなかった人物が目の前にいるのだ。色々と話を交わさない手は無かろう。
「よくぞ……」
「魔王を倒せば、おれを元の世界に戻してくれるのか?」
恵一の鋭い問いかけに、少女は何か言おうとしていたのを遮られた格好となり、一瞬沈黙した。
「よくそ、ここまで辿り着きました」
で、沈黙を破ったのは、先に言おうとしたことの続きであった。
つまり、恵一の質問は完全に無視である。
「ちょっと……」
「これまでの働きに、満足しています。あなたを選んだのは間違いではなかった」
話聞けよ、と思いつつ、一方的に言ってくる内容にも、納得し難いものがある。
こっちの世界に来てから、成り行きから色々と世話になってしまったケイトが、借金のカタに身売りするかしないかという瀬戸際にあったのでこれを助けて働いてきた。
一応それなりに苦労はしてきたが、やったことはクマ退治に男爵令嬢の護衛に男爵令嬢との決闘、それと盗賊退治に契約破りの片棒を担いだ魔術師への制裁の手伝いである。
魔王を倒すために選ばれし者――に相応しい仕事は全くやっていないな、という自覚は大いにある。
「さて……」
「いや、まずこっちの質問に答えてくれ!」
一方的に自分の言いたいことだけを、まるで独り言のように浴びせて来る少女に対し、いい加減に腹が立ってきた。
そもそも、ことと次第によっては超絶美少女と言えどぶん殴ってやる、と決めていたのだ。可愛ければなんでも許されるわけではない。大概のことは許すけど、限度というものがある。
「君がおれをこっちの世界に召喚したんだな? てことは、おれを元の世界に戻すこともできるんだろ? 魔王とやらを倒したら、戻してくれるってことでいいのか?」
「えっ……」
と、少し驚いたような少女の声には、これまでに無い色があった。
これまで、台本を読んでいたかのような抑揚の無いこれまた作り物のような声だったのだが、その声には、驚きという感情があった。
「ですが……焦ってはいけません」
「ん? いや、ちょっと……」
「今回の魔王は、あなたが出るまでもないでしょう」
一瞬、この作り物めいた少女も、やはり感情のある人間なのだ。ならば話が通じるだろうと抱いた希望があっさりと打ち砕かれた。感情ある声はたったの一言だけで、少女の声はまた台本でも読んでいるかのように感情の色が失せてしまった。
いや――
台本でも読んでいるかのように――ではない。
台本を読んでいるんじゃあないのか?
こっちの質問を無視し続けているのも、これまではひたすらこの少女が自分勝手なのだと思っていたが、そういう前提をもって思い返せば、決められた台本通りに話しているのを途中で邪魔されて、少し間を置いて再開しているように感じる。
恵一は、沈黙した。
もう、こうなったらその台本を一通り読み上げさせてやろう、と考えたのだ。
少女は、恵一が邪魔するのを止めたのだと理解したようで、ほっと息をついた。
その息には、やはり、ほっとしたという安堵の感情が認められた。
「今回は、他の者たちに任せて、力を温存すべきです。次なる魔王にこそ、あなたの力は……」
「いや! ちょっと! なんだって!?」
黙っていて全部言わせてみようと思っていたが、そういうわけにはいかない内容に、恵一は思わず大声で叫んでいた。
次なる魔王!?
いや、いや、そう言えば、さっきなんて言ってた。少し引っ掛かったけど、つい流してしまったが――今回の魔王――今回の、と言っていたのではないか。
「ま、魔王は一人じゃないってのか? 今回の奴を倒しても、また別の魔王が現れるってことなのか?」
少女は、恵一が黙って聞いてくれるものだと思っていたのに、話を途中で、しかもこれまでにない激しさで遮られて、息を飲んだ。
少女の返答を、固唾を飲んで待つ。
そして、それへ返ってきたのは――
「あなたの力は、振るわれるべきです」
さっきの続きだった。
「っだああああああ!」
限界だった。もう、限界である。てめえ、いい加減にしろこの野郎。
「おれの質問に答えろよ! さっきっから無視しやがって!」
手を伸ばして、少女の腕を掴もうとする。
「くそっ!」
半ば、予想はしていたのだが、恵一の手は少女の身体をすり抜けてしまい、掴むことができない。
「魔王が、もう一人出て来るってのはわかったよ! じゃあ、そいつを、二人目の魔王を倒したら、元の世界に戻してくれるのか!? ええ、どうなんだよ!」
少女は、無言。
なんとなく、さっきので台本は終わりなんだろうな、と激昂する心の片隅で、恵一は思った。
「どうなんだよ! どうしたら元の世界に戻してくれるんだ!?」
答えなど、期待していなかった。
また、台本を読むような――或いは本当に台本通りの言葉が返ってくるか、台本の続きがもう無いのならば、少女はもう何も言わないだろう、と、どこかで理解していた。
「それは、その……」
意外にも、感情のある声が返ってきた。決して、恵一の質問に答える内容ではなかったものの、その感情は悪意あるものではなく、その逆に、恵一に対して気遣いのようなものを感じさせた。
「おい、まさか……まさか……」
少女の声音などから、これを言ったら恵一が酷くショックを受けるので言えない……とでも言うような類の気遣いを感じてしまい、少しの間、思考が乱れた。
それがおさまった時には、思考は一直線に最悪の方向へのみと歩んでいた。
まさか――まさか――
「元の世界に、戻れない、って言うんじゃないだろうな!」
「ひっ」
短く、悲鳴を上げた少女は、
「それは、その……」
と、また先程のような気遣い――恵一を絶望させるばかりの気遣いの感じられる声で、言った。
「おい、冗談じゃないぞ!」
一億歩ぐらい譲って、人を異世界に召喚するのはいい。よかぁないのだが、もうこの際だからいい。
それで、魔王を倒すとか、もう絶対に楽ではない仕事をさせるのも、もうしょうがねえからよしとする。
だが、それもそれらの大仕事を果たしたら、元の世界に戻してくれるという保証があってこそだ。
元の世界に戻せないのに、呼び出したのか、普通の高校生として平和に暮らしていた自分を――
ことと次第ではぶん殴る、そう決めていた。
このことと次第は、もう完全に一線を超えている。もう、殴るしかない。
「畜生っ!」
渾身の力で、右腕を振る。
わかっちゃいたけど、強く握った拳は、少女の顔をすり抜けた。
「頑張って……」
少女は、言った。
「頑張って……こっちの世界も、いいところだよ」
「ふ、ふざけんなっ!」
もう一発、今度は左だ。
やはり、それも少女を殴ったつもりで、虚空を叩いているだけだ。実際には、そこに少女はいないのだろう。
いや、そもそも、これは夢か、おれの夢だ。
夢なら、しょうがない。夢なら――
「ケーイチ!」
あん、なんだよケイト、おれは今――
「ケーイチぃ」
視界いっぱいに、ケイトの顔があった。
視線を少し逸らすと、ケイトの顔の後ろに、天井が見えた。
「ああ、そうか……」
そこは、宿屋の部屋だった。
ケイトも、アンもリーンもエリスも起きていて、恵一のことを見ている。
「おう、起きたか」
「ああ……」
疲れた。最悪の目覚めだ。寝て起きたのに、寝る前よりも疲労感があるのだから。
「悪い夢見てたんだろ?」
「あー……もしかして、おれ、うなされてた?」
「うなされるっていうか……くそっ、とか、畜生っ、とか」
「ああー、うん、そうかあ……」
夢の中で叫んだ罵倒を、どうやら寝言としてそのまま口に出していたらしい。
「どんな夢だよ。ちんこ切られたか?」
そんな夢見たら、もっと大騒ぎして跳ね起きていたに違いない。
だが、ある意味、それに勝るとも劣らぬ悪夢だった。
元の世界に戻れない――
いや、いや、いや、あれは夢だ。夢なんだからなんでもありだ。実際は、きっと戻る方法はあるはずだ。でなければ、召喚したりしないだろう、それはさすがにあまりにも無責任であり、鬼畜もちょっとそれはないんじゃないの、と言う所業と言うものだ。
腹も減ったし、朝飯を食いに行こうということになり、部屋を出る。
「じゃあ、エリス、留守番頼むよ」
そう言って、恵一は部屋を出ようとした。食事は例のスライムで済ませるエリスは、食堂に行かないのでいつも飯時はお留守番である。
エリスは、少し考え事をしているようであった。邪魔しちゃ悪いな、と思ってさっさと部屋を出ようとした時、エリスが顔を上げて恵一を見た。
「……エリス? どうしたの?」
思わず、そう言ってしまった。エリスが、自分を見る目がなんだか意味ありげに思えたからだ。
「いえ……」
エリスは首を振り、また下を向いた。




