討死
叫喚して、槍を突き出した。
だが、ファルクは、やはり親衛隊で騎乗が許された豪の者を事も無げに薙ぎ倒した魔王の強さを目の当たりにして、逆上してしまっていた。
浅い。
槍の穂先は全く届かず、魔王はこちらを全く気にもしていない。
一人で悲鳴のような声を上げて槍で空を突いているだけであり、そのことを恥ずかしく思ったファルクは勇気を奮い起こして進もうとした。
「おらっ! おらっ!」
魔王は、鑓を片手で縦横無尽に振っている。
その威力の凄まじさもさることながら、その速度も尋常ではない。
親衛隊では若僧扱いであるといえど、ファルクもレベルで言うと12である。
そのファルクが、なんとか視認できる程度なのだから低いレベルの者ならば全く見えないであろう。
武器で防いでも、それで体勢が大きく崩れてしまう。
そして、そこへ繰り出されてくる次なる攻撃をかわせずに一人、また一人と仲間が倒されていく。
――基本もなにもあったもんじゃない。それなのに――
ファルクは、歯ぎしりする思いであった。
魔王は、ただひたすらに重く速い攻撃を行っているだけで、その鑓の振り方には武術の素養の欠片も見えない。
その速さなどを度外視して、その姿勢だけを見れば、ああ素人だなと嘲弄されて当然の不格好さである。
だが、その不格好に振るわれた鑓を防げずに、精鋭中の精鋭である親衛隊の隊員が死んでいくのだ。
基本こそ大事と教えられ、そのことを疑いもせずに励んできたこれまでの武術の修業が全て無駄だったのではないか――
そう思えば、歯ぎしりするしかない。
二十四人いた味方は、既に二十を割って、十八人になっていた。
「ふむ、ふむ」
気付くと、すぐ後ろに伯爵がいた。
魔王が動くたびに――つまり仲間が一人倒れるたびに、なにか相槌を打っているらしかった。
伯爵のことを尊敬しているファルクだが、さすがに呆れかかった。
そもそも、伯爵は長い昏睡から目覚めたばかりなのだ。
正常とは言い難い状態だったのではないか。我々は盲目的に従うのではなく、なんとしても出陣を止めるべきだったのではないか。
それこそが、本当の忠義だったのではないか――
そこまでファルクが思い詰めたところで、伯爵は決して大きくはないが、よく通る声で言った。
「強いのう」
素直な感嘆が含まれていた。武人である伯爵は、以前より敵味方の隔てなく強き者を称賛するところはあったが、今言うべきことであろうか。
ますますファルクは、伯爵の神経がまともな状態であるかどうかを疑う気持ちになったが、伯爵が続けて言った。
「だが、素人じゃな」
微かに笑みさえ口の端に浮かべて、言った。
それは、わかっています。と言いたくなった。そんなことは、とっくのとうにわかっているのだ。
強い――だが、素人。
そうではない。
素人――だが、強い。
その素人の強さに、長年鍛錬に鍛錬を積んで栄光の親衛隊入りを認められた者たちが次々に打ち倒されているのではないか。
「ああ、そうですな」
隊長――既に他の隊長は倒れ、最後の生き残りである隊長が、笑いながら応じた。
「言われてみれば、こいつはまったく素人です」
隊長もまた、笑っていた。
「そうじゃろう」
我が意を得たりと伯爵が嬉しそうな声で返す。
隊長までおかしくなったのか――
伯爵を気遣って合わせるにしても、やはり今はそういう場合ではないだろう。
他の者を見ると、ファルクのようにどうしてしまったのかという顔をしている者と、笑っている者が半々ぐらいだ。
――けっこう、笑みを見せている者がいるのが意外だった。
「一対一ならば、とても勝てんが、これならどうとでもなりますな」
「そうじゃろう」
隊長が笑い、伯爵が笑う。
「よし、かかれ」
伯爵が改めて命じると、隊長は鑓を持ち直した。
「死を恐れるな。相手は所詮は素人だ」
声を励まして、先頭に立って鑓を突き入れた。
他の隊員もそれに続き、ファルクと、そして彼同様に訝しく思っていた者たちも、つられて進んだ。そこは、隊長が前進したら後に続く、というのが習性と言っていいほどに体にこびりついている。
「ったく」
魔王は、苦笑にも似た笑みを漏らして、これを迎え撃った。
自分には勝てないって、まだわかんねえのか――とでも言いたげだった。
一人、二人――
同じことが起こった。
魔王が鑓を振り回す度に、隊員が打ちのめされていく。
「さあ、かかれ、かかれ!」
伯爵が、老齢とは思えぬ大音声で号令する。
どのように疑問や不安を持っていようが、背後からそれが聞こえたらファルクは全力で打ってかかった。
「んが!」
魔王は、背中に生じた痛みに悲鳴を上げた。
前方から二人で鑓を並べて突き入れてきた敵をまとめて一振りでふき飛ばしたものの、その間に後ろから突かれたのだ。
傷はそれほど深くはなかったようだが、とにかく初めて一太刀浴びせたのだ。そのことに皆が沸き立った。
あからさまに歓声が上がったわけではないが、空気で分かる。
やったぞ――
そして次いで来たのは、
確かに強いが、手も足も出ないほどに実力が懸絶しているわけではなさそうだぞ――
絶望の中に希望を見出して、隊員たちの顔に晴れやかさが戻ってくる。
魔王は、それを嘲笑うように鑓を振った。また一人倒れる。
「いぎぃ!」
魔王が飛び跳ねた。また背中を傷付けられたのだ。
その、それほど深くはない傷による痛みへのリアクションは滑稽ですらある。
ああ……素人だ。
ファルクは、そのことを痛感した。
あの痛みに対して弱いところなど、まったくもって素人だ。初めて実戦形式の練習をして打たれた時とか、あんな感じだ。
「くそっ!」
魔王が、怒りにまかせて鑓を振る。
もちろん、その威力も速度も凄まじいのだが、やはり振り方は素人なのだ。
それが、それほどに恐怖と感じなくなっていた。
ファルクの意識の方が変わったのだ。
素人――だが、強い。
ではなく。
強い――だが、素人。
伯爵も隊長も、そうやって自分たちの意識を変えてやるために、先程のやり取りをしたのか――そうも思った。
技術もなにもないのに、凄まじい身体能力によって適当に武器を振っているだけで選りすぐられた最精鋭たる隊員たちが倒されていく。
それを目の当たりにして自分の中の常識が揺らぎ、力を十二分に発揮できなくなっている隊員たちを落ち着かせるために、だ。
「うが、てめえら!」
魔王の背中に、また傷がついた。
ああ、素人だ――
振り向きざまに振った鑓が、また隊員を一人宙に舞い上げる。
背中を傷付けていると言っても、こちらも着々と人数が減っており、決して楽観できる状況ではない。
それでも――この化け物にはどうやったって勝てないのではないか、という精神状態から脱して、命を捨てていつものようにやれば、なんとかなるのでは、と思うようになっている。
そうだ。いつものように、だ。
なにか、思いもよらぬ奇手に走る必要は無い。
一人では勝てぬ相手に、複数で立ち向かう方法をやればいいのだ。
一人相手に十人以上でかかるのは、さすがに訓練の際には想定していなかったがやることは同じだ。
囲んで、相対する者が死力を尽くし、それ以外の者が死角から攻撃する。
これだけのことだ。
複数で一人を仕留めるのに、誰もが考えつくような単純な方法だ。
魔王は、なるほど強い。
武術を修めているようには全く見えぬのに、力と速さだけで親衛隊を倒しているのだから常識外れの存在なのは間違いない。
だが、後ろに目がついているとか、腕が三本以上あるとか、そういう普通の人間ではない存在でない以上、どうしたってどこかに死角はある。
どうやったって側面や背面は死角なのだ。
「この!」
余裕たっぷりだった魔王が、激昂する場面が増える。背中を中心に次々に傷を負わされているのだ。
「死ねっ!」
背中に痛みを感じた瞬間、魔王が後ろへ鑓を振る。
身体ごと向きを変えつつ怒りをこめた、大きな一撃だ。まともに喰らえばただでは済むまい。
だが、その大きさは隙でもある。背中に傷をつけた隊員は後方に飛び下がっており、鑓は虚しく風を起こしただけだった。
魔王が、また、痛みに慣れていない者と同じような悲鳴を上げる。
言うまでもあるまい。大振りの攻撃がかわされてできた隙に、背中を攻撃されたのだ。
しかも、隙が大きかったゆえに、隊員の踏み込みも思い切りよく行われ、鑓はこれまでにない深さで突き刺さった。
「な、なんでだ……」
とうとう、魔王の顔から嘲弄嘲笑の類の余裕さを表す色彩が消えた。
自分はこんなに強いのに、実際にもっと数が多い時に一方的と言っていい強さで蹂躙していたのに、なのになぜ数が減った状態でこんなにやられているのだ。
理由は色々あるが、結局は彼が戦いの素人である、ということに尽きる。
ファルクたちが落ち着きを取り戻して、セオリー通りに前面にいる者が防御に徹する一方で側面背面にいる者が死角を衝く、という行動をとり始めてから、彼らが一様に気付いたことがある。
――こいつ、ろくに動かないな。
ということだ。
以前にも述べたが、一人で複数を相手にする時に鉄板の戦法である包囲をされると、どうしたって側面背面が死角になる。
だから、包囲を許さずに絶えず動き回ることが絶対に必要になるのだが、魔王はほとんど動かないのだ。ほぼ棒立ちとすら言ってよい。
そのような戦闘のなんたるかを全く知らぬようなアホそのものの姿勢から、信じられないような強さの攻撃を繰り出してくるのが不気味でもあり、なにやら自分たちの常識から外れた――それこそ魔王と呼ばれるに相応しいような――存在のように思えてしまい、それがファルクたちを恐れさせていたという面はある。
だが、それも背中を刺されて悲鳴を上げ続けていることで、おじゃんとなった。
実に、この新兵が訓練時に上げるような悲鳴は、自称魔王に一瞬備わっていたオーラを消すのにとてつもなく寄与した。
「てめえら!」
魔王は、深手を負わされて激昂して、前に出た。
無茶苦茶に鑓を振り回す。
それに一人巻き込まれて、ふっ飛ばされた。
自棄になっての行動だろうが、棒立ちになっているよりは遥かにマシであり、すなわちそれはファルクたちにとってはまずい事態になったということになる。
既に包囲されている以上、今更動いたってそうやすやすとその包囲網は抜けられない。
いや、これが相手がもっと弱い者たちであったら、その力と速さで前方に突破することができたかもしれないが、一人一人は魔王よりも弱くても、やはりヴェスカウ伯爵の親衛隊は精鋭中の精鋭だ。
突然の突出に対応できずに一人やられたものの、他の者は即座に後退して距離をとっていた。
後ろにいた者も、すぐに魔王を追って、攻撃する。
だが、それでも、魔王が動くようになったのはよくない事態であった。
包囲網自体は崩れずとも、それまでは、そこだと突いた時に穂先が到達するまで停止していた標的が動くのだから、当然攻撃は当てにくくなる。
凄まじい速度で踏み込んできて鑓を振られれば、そうそうかわせるものではない。
だが、その代わりに鑓を振り切った瞬間に生じた隙に、攻撃を入れることができる。
魔王と親衛隊の戦いは、互いに身を斬り合う展開となった。
こちらが全員やられるのが先か、あちらが倒れるのが先か。
あちらには魔王以外にも約五百人の兵士が残っているが、魔王が倒れればもはや戦意を維持することはできまい。
減っていく仲間の残りを数えながら、魔王の様子を窺う。
まだ倒れないか――
どちらが先に力尽きるかは、微妙なところだ。
戦闘開始直後よりも、魔王の動きは鈍くなっているようにも見えるが、よろめいたりはしていない。
こちらは、とうとう十人を切りそうだ。
「おおぅ」
伯爵が、空気を震わせるような声を発して、鑓を構えた。
魔王に近付いていく。
いけません、お下がりを――
思わずそう言おうとして声を飲んだ。
もう、こちらの人数は半減しているのだ。そう悠長なことを言ってもいられない。
もはや、伯爵を戦力に数えねばならない状況なのだ。
親衛隊としては不甲斐ないと言うしかないが、伯爵は老いたりと言えども個人的な武勇でも家中随一の使い手だ。戦力としては、純粋に頼もしい。
魔王とて、雰囲気や他の者の態度などで、この老人が敵の大将であることはわかっているだろう。
果たして、魔王が真っすぐに伯爵に突っ掛けた。
伯爵は、下がった。
鑓の穂先を眼前にして、平然たるものである。
踏み込んだ足の位置と鑓の長さから攻撃の達する限界点を見極めて、そのスレスレの位置まで下がったのだ。
「ぐあっ!」
その隙を逃さず、側面背面から鑓が突き出されて、魔王を傷付ける。
「このジジィ」
恐ろしげな顔で睨みつけたものの、息が荒い。
鑓を突く。
だが、同じことだ。伯爵はその攻撃範囲から脱してしまう。
伯爵は、自分を囮にするおつもりだ。
そのことは、ファルクたちも瞬時に悟り、次々に魔王へと鑓をつける。
さすがに、魔王も傷付くことで嫌でも学んで、時折伯爵を突くような素振りでフェイントを入れてから、横に鑓を振って、隊員を薙ぎ倒した。
これなら、なんとか行けそうか――
極端な話、こちらは伯爵一人生き残ればよいのだ。自分など死んでも――
と、意気だけはなお盛んであったが、情けないことにこの辺りで、ファルクの疲労が限界を迎えつつあった。
自分のような若輩者がここまで生き残っただけでも上出来だ、と思う反面、他の者ほどに激しく身を削った働きをしなかったからこそ、こうしておめおめと生き残ってしまっているのだとも思う。
疲労が限界を超えて、戦わずしてその場に倒れるような無様をさらす前に、殺されようとファルクは思った。
仲間たちは、そうやって従容と死んで行ったのだ。
あの化け物と正面から打ち合えばやられるのは分かり切っているのに、逃げず恐れず自分が殺されても、それで生じた隙に、仲間が魔王にダメージを与えてくれるであろうと死んで行ったのだ。
生き残っている者は伯爵と自分を入れてもう五人になってしまっていた。
伯爵はもちろん他の三人も自分よりもレベルの高い猛者だ。
ならば、自分が行って、死ぬべきだ。
ファルクは、迷い無く進んだ。
魔王の右側面が見える。ここに突き入れれば、魔王は反応してこちらに鑓を振り、そうすれば自分の反対側にいる者に隙を見せることになる。
「おぅ!」
ファルクは、踏み込んで突いた。狙ったのは魔王の右の脇腹の辺りだ。
そして――
「え?」
ファルク自身が誰よりも驚いたのだが、その一撃が、吸い込まれるように狙った場所へ突き刺さっていた。
「がは、てめえ!」
魔王は、刺されてはじめてファルクに気付いたようで、慌てて鑓を振った。
それを喰らって、ファルクはふっ飛んだ。
脇腹に傷をつけてやった。思ってもいなかった戦果だ。傷などつけることができずにやられてしまうはずだったのだ。
脇腹という急所に、けっこう深く入った。あれは、かなりのダメージのはず。
やった。やった。――後は、頼みます。
最後の感触は、思い切り大地に身体を打ちつけたそれだった。
そのまま、死んだつもりだった。
だが、途切れていた意識が、不意に繋がった。
最初は、死んであの世とやらに来たのかと当然のように思ったが、そこは明らかに自分が先程までいた戦場であった。
死ななかったのだ――と理解した瞬間に、必死に首を巡らせて周囲の状況を確認しようとした。それだけで、非常に億劫だった。
誰もいない――絶望を伴ってそう認識したと思った瞬間、何かがむくりと起き上がったのが視界の端に見えた。
嗚呼――あれは――
伯爵! 伯爵! ご無事でしたか!
声を限りに叫んでいるつもりだったが、全然自分の声が聞こえない。耳がおかしくなっているのかとも思ったが、どうやら声が出ていないのだということに気付いた。
消えかけた絶望が蘇ったのは、その時だ。
むくり、と伯爵と対峙するように、何かが起き上がった。
もう一人仲間が生き残っていた――そう思いたかったが、親衛隊の兜は、あんな角が生えているような形状ではない。
魔王だ。奴もまた、生きていたのだ。
他には、誰も起き上がらない。
あの二人だけが、生き残っているのだ。
いや――二人だけではない。自分がいる。
立つのだ。立って、伯爵の助太刀を――
体が、動かない。どうしても動かない。
伯爵もそうだが、魔王も満身創痍だ。今ならば、自分ごときでも討てる。
そこへ、喧騒が近付いてくる。
今度こそ、ファルクは絶望一色となった。
遠巻きに戦闘を見ていた魔王の部下たちがやってきたのだ。さすがに、あの状態の伯爵を恐れることはないというのと、このままでは魔王も危ういと見てのことだろう。
立て、立て、立て――
自分の身体を叱りつけるように、ファルクは心中に叫びながら必死に立ち上がろうとした。
例え、立てたとしても、魔王の部下は五百人はいる。一人一人は大した強さではなかったとしても今のファルクにはとても勝ち目は無い。
しかし、このままでは伯爵が危ない。ここで壁とならずして、なんのための親衛隊か。
死んでもいいから、立ち上がらせてくれと願ったが、身体はぴくりとも動かない。
魔王の部下たちが、伯爵にジリジリと近付いて行くのが見えているのに、身体は全く動かない。
「待て、そのジジィも化け物だ。みんなで一斉にやるんだ」
その声に応じて、やっと立っているだけの伯爵を取り囲み、武器を構える。
あんな奴らに、伯爵が討たれる――
魔王よ、せめてお前が討つべきだ。何をしている、それでも魔王か。
魔王は、地面に横たわって介抱されている。痛え、だの、死ぬ、だの情けない悲鳴が聞こえて来る。
「よし、やれっ!」
取るに足らぬ雑兵みたいな連中が、伯爵に殺到する。見たくはなかったが、伯爵をお守りできなかった罰として、見届けるべきだと思った。
が――そこで、再び意識が暗転していった。
罰すら受けさせてもらえないのか――
ファルクは、意識を失った。




