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後事を託す

「わかった。すぐ行く」

 と、椅子から立ち上がり、ガスパーはルルを見た。

「腹は減っていないか」

 優しく、とも言えぬが、殊更冷たくもない感じで尋ねた。

 ルルが頷くと、大きな声で人を呼んだ。

 兵士が階段を下りて来ると、ルルを牢に入れておくことと、食事を与えることを命じた上で、

「逃げはしないだろうが……しっかりとな」

 と、耳打ちし、オーレンの使いである兵士の後に続いて階段を登った。

「おし、行くぞ」

 なおも、ルルのことを気遣わしげに見ていた恵一は、ケイトに肘で小突かれて、はっと我に返った。

「行くって?」

「着いてくんだよ」

 と、迷わずにガスパーに続いていくケイトに、恵一も、一目ルルを見てから続いた。

「着いていくって、どこまで?」

 ルルを送り届けるというのは正式なアレンの命令によるものであるから、そのためにこの地下までやってきたのはもちろん憚りのあることではない。

 成り行きでその場に居続けて、ルルへの尋問に立ち会ったのもその場の責任者であるガスパーが咎めなかったのだから、よしだろう。

 しかし、このまま成り行きと称してオーレンの寝所にまでずかずかと乗り込んで行けるものであろうか。

「とにかく、駄目って言われるまで着いてくんだよ」

 ケイトは、そんないつものあわよくば作戦であるらしい。

 とりあえず、ただ単に捕虜を届けに来た二人組が当たり前のように追随しているのに気付いていないだけかもしれないが、ガスパーはそれを咎めなかった。

 それをいいことに、どんどん着いていくと、やがて大勢の兵士が集まっている一画に出た。

 遂に兵士の密度が人一人通れぬという有様になった。その先に、オーレンが横臥している部屋があるらしい。

「通せ、通せ」

 先導の兵が声をかけ、それに続く者がガスパーであることを知ると、道が開いた。

 ガスパーがそこを踏破するとすぐさま道は閉じられてしまい、恵一とケイトは前進を阻まれてしまった。

「ま、ここまでか」

 ケイトが諦めて引き下がった。

「なんだお前ら、こんなところで」

 そこへ、不意に声がかけられた。声の主はアレンである。

「あー、どうも」

「おれはオーレン殿に呼ばれて来たのだが、お前ら何してる」

 どうやら、オーレンはアレンにも使者を立てていたようだ。

「捕虜の女の子を運んで来たんです。おれたちのところにいたので……」

 そう言われて、そう言えばそんなことを命じたな、とアレンは得心したようで、そうかと頷き、奥の方へ向かって来訪を告げた。

「こちらへ……おい、道をお開けしろ」

 再び、人中に道が開き、アレンがそこを往く。

「うーん、アレンさんまで呼んでるってこたぁ……やべえのかな」

 周囲はヴェスカウ伯爵家の連中ばかりで、既に心配のあまり嗚咽している者も少なくない。そんな状況なので、さすがにケイトも不躾なことを大声では言わずに、恵一にだけ聞こえるような声でそっと言った。

「ど、どうなんだろう」

「ケーイチ、その人がやられたの見てたんだろ?」

 確かに、オーレンが魔王に馬を寄せ、剣を一振りして兜を跳ね飛ばし、もう一太刀というところで反撃を喰らって馬ごと倒された現場に恵一もいたが、たくさん血が出てた、ぐらいなことしかわからない。傷口を間近に見たわけでもないのだ。


 ガスパーと、アレンと、呼んでいた二人が相次いでやってきたことを耳元で囁かれて、オーレンは目を開いた。

「不甲斐ない、ことです」

 途切れ途切れに、オーレンは声を発した。

 駄目、なのだな――

 アレンは、その様子を見て、自分が呼ばれた理由を確信するに至った。

 今も、治癒士が傍らで治癒魔法を施しているが、それでこの衰弱ぶりは、もう駄目だ。完全に治癒魔法の回復力が追いついていないのだ。それでも施術しているのは、おそらく最後の言葉を述べるためであろう。

「叔父上の教導のおかげで、少しずつ、目が開いて、いたところだったのですが……」

 叔父上――

 突如出てきたその言葉に、アレンは驚き、そして驚いているのが自分だけなのに気付いた。

 皆は知っていたのか? と思ったが、実はそのことで少し前に一波乱あったのだ。

 オーレンがもういよいよいけないから、最後に言い残したい、と言い出した。もちろんその場にいた者たちは、弱気を諌め、気を強く持つようにと励ましたが、傍から見ていてこれはもう――と思わざるを得ないのも事実であった。

 そこで、オーレンの口から、

「叔父上と、アレン殿を、呼んでくれ」

 という言葉が出た。

 アレンについては、問題はない。

 メリナ王女に派遣された部隊の長であり、それを抜きにしてもハウト男爵家の跡取り息子であるアレンは遺言の証人として立ち会わせるのには適当な人物だ。

 さらに言えば、今回の戦いで逃げを打った魔王を食いとめて、多大な損害を受けたのは彼の部隊であり、その意味では伯爵の仇討ちを成し遂げるのに不可欠の協力者であった。魔王を討った後に顔を合わせていないので、最後にその礼を述べる必要があろう。

 聞いた者たちを激しく動揺させたのは、もう一つの、叔父上という言葉であった。

「叔父上、というのは、いったい?」

 顔を見合わせて、弱り切ったお互いの顔を目にすることとなった。

「オーレン様……叔父上というのは?」

 彼らが弱り切ったのも当然で、オーレンに叔父などいないはずなのだ。

「叔父上、だ」

 と、返すオーレンにさらに重ねて、だからその叔父上ってどこのどなたですか、と聞くのも気後れしてしまった一同が、再び困惑した顔を見合っていると、やがて、誰かがそっと恐る恐る口にした。

「もしかしたら……ガスパー様のことではないのか?」

 皆、愕然とした後に、そうかもしれぬ、と頷いた。

「叔父上というのは、ガスパー様のことですか? ガスパー様をお呼びすればいいのですか?」

 その問いかけに、オーレンがそうだと頷いたのを見て、彼らは確信した。

「よし、すぐにお二人を呼んでこい」

 と、命じて人を走らせた後に、不思議な沈黙が下りた。

 ガスパーと二人きりで対面した後にオーレンは、彼を取り立てた。しかも、いきなりかなりの優遇をしたので、大丈夫ですか、と不安を口にする者たちに、

「大丈夫だ。あまり大きな声では言えぬが、かの人は我が縁戚だ。仇討ちが終わったら公表するが、それまで大っぴらに言うなよ」

 と、言った。

 縁戚だからと信用してもいいのか、という話だが、当のガスパーがそうとは思わせぬぐらいに腰が低く、能力もあるし、さらにはオーレンの欠点であった粗暴なところが、彼の進言によって改善していったために歓迎され、その辺のところは詮索されなくなってしまっていた。

「アレン殿」

 と、オーレンに名を呼ばれたアレンは、ここにおりますと応えた。

「今回のこと、感謝の言葉も、ない。貴方たちの、奮戦、なければ……仇討ちは、できなかった」

「私も、メリナ王女の命を受けてこの地に赴き、乱の元凶たる魔王討伐に少なからず貢献できたこと、なにより貴方たちの仇討ちの手助けができて嬉しく思います」

 オーレンは微笑して、頷き今一度の謝意を示したのち、苦渋に溢れた表情を見せた。

「無念だ。ようやく、色々と、見えてきた……父上の後を継ぐ、自信も少しずつ……」

「どうか、お気持ちを強く……この短時日に二度も主を失えば、ヴェスカウ伯爵家の臣らはとても耐えられません」

 ガスパーが、手を取って励ますが、その視界の隅で自身も疲労困憊で倒れそうな治癒士が泣きそうな顔を左右に振っているのが見えた。

「貴方がいる」

 奇妙なほどに晴れやかに、オーレンは言った。

 それを聞こえていないかのように、再び励声を投げかけたガスパーに対し、オーレンはもう一度言った。

「貴方がいる」

 敢えて、二度聞き流したガスパーであったが、他の者たちが既にざわめきを押さえ切れなくなっていた。

「いったい、ガスパー様は、どこのどなたなのだ。伯爵には、御兄弟はおられなかったはずだ」

 誰かが上げた悲鳴のような声がざわめきを断ち切り、しんとした静寂を産んだ。

 幾つもの目が、ガスパーを見る。

「そのことは、後で……」

 自分を囲む目と、様々な感情をそう言ってかわして、なおもオーレンを励まし続けた。

 その姿を見ると、他の者たちも思い出したようにそれに加わった。とにかく、オーレンはまだ生きている。どうも、本人が既に諦めてしまっているらしいが、まだ言葉を発することもできるではないか。

「これからではありませんか」

 オーレンが幼少の頃より仕えていた者が叫んだ。それに賛同する声が上がる。

 彼のように、以前から仕えていた者も、最近そうなった者も、ついこの前、ウィレス派から鞍替えした者も、その思いは等しかった。これからではないか。

 父の死後から今まで、オーレンはガスパーの忠告に従って急速に人格を改善し始めており、弱い者へのいたわりや、進言を容れる度量も備わってきていた。

 その上に、まだ十八歳なのだ。

 行く末は、御父上にも劣らぬ英主におなりあそばすのでは――

 という期待が大きかっただけに、このあまりに早過ぎる退場に、これからではないかと血涙くだるような悲痛な叫びは皆の声であった。

「アレン殿」

 再び名を呼ばれて、アレンが返事をすると、オーレンは最後の力を振り絞ったのか、意外に流暢にメリナへの詫び言を口にした。

「我らが不甲斐ないばかりに御心痛いかばかりか、それを安んずるには賊徒を討滅し、仇敵の首を上げる他ないと思い、非力ながら尽力し、遂にそれを果たしましたが、非力の身でやり過ぎたようでこの体たらくです。せっかく賊が滅びたのに、ヴェスカウ伯爵家はどうなるのかと新たな御心配をおかけするかもしれませぬが、御安心を」

 そこまで一気に言い切ってから咳き込み、次いでガスパーを呼んだ。

「は、ここに」

「叔父上、後のことを頼みます」

 かすれた声を、無理矢理に喉から押し出すように言うと、口を閉ざした。

 皆が固唾を飲んで見守る中を、オーレンは身じろぎ一つせずにいたが、やがて口を開いた。

 何かを言うのだと思って、沈黙をもってそれを待っていると、細く弱く息を吐いただけであり、そして吐いただけで吸うことがなかった。

 呼吸が止まった――

 と、いうことは誰の目にも明らかだったが、そのことが示す唯一つの事実を恐れるように誰も何も言わないし、動こうともしない。

 アレンは、ガスパーを見た。自分は彫像と化したかのような人々とは違い、所詮は他家の者であるから受けた衝撃も軽く済んでおり、動こうとすれば動けるのだが、ここで動くべきは自分ではないだろう、というのも所詮は他家の人間なので弁えていた。

 そのアレンの視線につつかれた、からではないだろうが、ガスパーの手が動き、オーレンの身体を触った。

 手首や頸部などなどのあらゆる場所の脈を探り、鼻と口の前に掌をかざして呼吸を確かめ、瞼を開いて瞳孔を観察した。

「……お亡くなりになった」

 半ば覚悟はしていたことだが、厳然として突き付けられるとその重みに耐えられずに悲痛な声が上がった。

 俯きながら、部屋を出たガスパーを、アレンは追った。

 室外にも既に悲報は伝わり、泣く者喚く者転げまわる者、誰も彼もが冷静さを失って惑乱状態にあった。

 その中で、その狂熱からは距離を置いたようにガスパーは平静に見えた。

「ガスパー殿」

 ガスパーははっとして振り向き、アレンの姿を認めると目尻を軽く指で拭った。

 本心から、悲しんでいるのか――

 アレンは、ガスパーに対して少々意地の悪い興味を抱いている。

 すなわち、オーレンの死をどこかで歓迎しているところがあるのではないか、ということだ。

 オーレンが自分の死を覚悟した時に、後事を託すのは兄ではなく自分であろう、という程度のことは、これまでの経緯を知った上で、オーレンが兄のウィレスにどのような感情を持っていたかを知っていれば察しがつこう。

 オーレンのために弁護を試みれば、彼とて決して仲が良くはなく、父の死後は決定的に対立関係になったウィレスに対して嫌忌する気持ちはあったとしても、

 兄上には、後の事は託せぬ――

 というのは、真剣に伯爵家の行く末を考えての結論であったろう。

「皆、悲しみに暮れており、すぐには今後のことを思う余裕は無さそうですが、それでもできるだけ早くそのことは決めねばなりません」

 アレンのその言葉に、ガスパーはその通りですと言うように頷いた。

「私は、伯爵家の今後に口を出すべき立場ではないのでことの成り行きを見守るつもりですが……オーレン殿に後事を託された貴方はどのようにお考えでしょう」

「オーレン様の兄上のウィレス様が後を継ぐべきかと」

 淀みなく、ガスパーは言った。

 やはり、ものの見方が意地悪くなっているのか、アレンはその淀みなさを本心を隠すためではないかと感じた。

 だが、ガスパーの意見自体は妥当ではある。オーレンが死んだのならば、残る伯爵の子供はウィレスだけなのだから、彼を立てるべきである、というのはなにも奇矯な意見ではない。そもそも、ウィレスは一時は確かに伯爵が認めた世継ぎなのだ。

「それで、伯爵家がおさまるでしょうか……」

 ガスパーの本心を探るために、殊更不安そうにアレンは言ったが、実際不安でもある。

 ウィレスが後継候補でなくなったのは、彼がやらかしたからであり、その父の仇討ちから逃げたという不名誉な傷は、武名を誇るヴェスカウ伯爵となるにあたって致命傷になりかねない。

 事実、そのように思う者は多いはずだ。オーレンの死を嘆くこと自体は当然としても、ここでウィレス様が健在なのだからという声が上がらず、オーレンの死が即伯爵家の滅亡を意味するかのような嘆きようである。

「おさめるしかありますまい。私も、オーレン様に託されたからには微力を尽くすつもりです」

 と、ガスパーはあくまでも自分は補佐役で……という態度を崩さない。

 まあ、本心が別にありとしても、ここで自分にそれを明かすわけはないか、と思いつつどうせだから露骨に聞いてみようかと思ったアレンは声を潜めて言った。

「オーレン殿に叔父上と呼ばれるということは、貴方もヴェスカウ伯爵家においては直系に近い血筋なのでは? それならば、貴方が伯爵となることも決して除外すべきではないでしょう」

 それを聞いて、ガスパーは顔色を変えた。演技、とも思えなかった。

 おや? この人は、おれに言われて初めてそのことに気付いたのか?

 濁水をすすってきた強かさ、抜け目の無さをガスパーに感じていたアレンにとって意外な反応であった。

「アレン殿……私は、物心ついてからその日の食事にも困ったことが珍しくなかったような男です。この度、思い切って御父上の仇討ちに邁進するオーレン様の門戸を叩き、過分な信頼を受けて仕事を任され、満足しています。この上は期待に応えて伯爵家の存続のために尽力するのみです」

 その期待、というのが正にウィレスではなく、ガスパーが伯爵位を継げ、という意味ではないのかとアレンは思っているのだが、それを言うのは控えた。

 ガスパーが伯爵家の縁者でありながら、ゆえあって困窮した生活を送っていたことは確かなようだ。その逆境から、富貴たらんと欲してオーレンの元へ現れ、巧みに取り入ってその緒を掴んだ抜け目の無い人物――おそらくは、今の境遇で満足してはいまい、というのがアレンの観測であったが、もしかしたらその日の食い物にも困っていたこの男は、今の境遇でけっこう本気で満足していたのかもしれない。

 だとすると、いらぬことを吹き込んでしまったかな――

 と、アレンはいささか焦ったが、彼が言わずとも結局は同じことであった。

「ああ、あそこに」

 遠くから、そんな声がして、それがどやどやと喧騒を伴って近付いてきた。

 数人の男たちだ。それほどに高い地位の連中ではないが、十人単位の兵士をまとめる部隊長クラスの面々である。

 彼らの様子から、ガスパーを探し求めていたのであろうが、何かあったのかなという程度の気持ちでガスパーもアレンも、彼らの言葉を待った。

「ガスパー様、伯爵になってください」

 最短距離で詰めよってまっすぐ急所に突き入れてくるような、回りくどさの無い言葉であった。

 ああ、やはり、自分が言わずとも伯爵家の家臣の中からこういう声が上がったか、とアレンは思いつつガスパーの様子を探ると、彼は常日頃の利発さを感じさせぬ鈍い表情で、何も言わない。

 お前らは何を言っているのか、という訝しげな態度も見せた。

 やってきた男たちは、それを悟ると感情的になって口々に伯爵となることを願った。

「お会いしたことはないが、オーレン様の兄上がいらっしゃるだろう。その方が後を継ぐべきだ。その手助けならば、私はいくらでも身を削るつもりだ」

 演技――にも見えんな、とアレンはまたもや思わされた。

「ウィレス様では、とても」

 男たちは、溢れ出すようにウィレスが伯爵に不適格なことを言い立てた。仮にも今や唯一人残った主君の遺児に対して遠慮の無い口振りである。

 ガスパーはそれをひたすら宥めたが、宥めるべき人々が増えた。周囲で話を聞いていた兵士たちのけっこうな数が、その通りと同調して沸き立ってしまったからだ。

 ガスパーは確かな実務の腕を既に振るっており、それが認められてのこの衆望である。

 彼らはヴェスカウ伯爵というものを武勇に富んで当然と認識している。

 理想的なのは自らも武器を手にして戦えるような、勇猛な人物である。先代は正にその理想通りであったし、オーレンもそれを理想とし、仇敵に自ら斬り付けるような勇敢な行動も見せていた。

 ガスパーは、その理想からはやや外れたタイプではある。しかし、比較対象がウィレスであれば話は別だ。戦いを恐れて戦場にすらやってこないで部屋にこもってしまった者に比べれば、ガスパーは戦場に身を置くことは厭わなかった。

 ただ、個人的な武勇に関しては、

「意外に、あの人はやるのではないか」

 と、言う腕自慢の兵士も軍中に少なくはなかった。彼らが言うにはガスパーの身のこなしなどが文弱な人間のそれではない、と言うのだ。

 実際のところ、ガスパーはそれなりに腕に覚えはあった。自分の身を守るために単純にある程度の強さが必要だったのだ。

 熱っぽく自分を推す声をガスパーが宥めている姿は、一見もどかしくもあった。

 しかし、ガスパーにしてみれば簡単に乗れるものではない。

 伯爵になってくれ、という声はガスパーにとっては意外でもあり、恐ろしくもあった。

 アレンが思っていたほどには彼は野心的な人物ではなかったし、育った境遇から、そういった高望みを破滅への道程と捉える感覚を持っていた。

 彼の血筋は、先代のさらに先々代から別れている。

 つまり、ウィレスとオーレンの兄弟から見ると、祖父の兄の血筋ということになる。

 ガスパーは、その孫にあたる。兄弟の孫世代というくくりで見ればこの三人は同世代ということになるが、ウィレスとオーレンが伯爵が歳をとってからの子のため、年齢差が開いてしまっている。

 もちろん、叔父ではないが近しい一族の年長者ということで、オーレンはそのように呼んでいた。

 両親からは、飽きるほどにお前は本来はヴェスカウ伯爵だったのだと言われ続けた。最初こそ、そうなのかと無邪気に受け容れ、自分が立派に成長すればその本来の地位につけるものかと思っていたが、成長して事情を知るにつれてその望みは極めて薄いということをも知らざるを得なかった。

 なぜ、兄である祖父が伯爵を継げずに、その子供や孫である自分が流浪しているのかという疑問に、父が憎々しげに教えてくれたことによると、病弱な兄よりも健康でさらには優秀な弟の方が後継者に選ばれ、それに不満を持ちつつも、その際に次は兄の子供――つまりガスパーの父――に継がせるという密約があり、我慢していたようだ。

 で、なぜこういう羽目になっているかと言うと、密約を反故にされたからに他ならぬ。

 それに不平が爆発し、兵を挙げて敗れてしまったためにそういうことになったのだというのだ。

 ガスパーたちの一家も、彼が産まれた直後ぐらいまでは援助する人間がいて、そこそこの暮らしはできていたらしいのだが、物心つく頃には下手な庶民よりも暮らし向きが悪くなっていた。

 援助が無くなったからであり、先代のヴェスカウ伯爵の武名が確立された頃と一致するということは後で知った。

 要するに、援助者は、ガスパーの父がいつかヴェスカウ伯爵になるかもしれないと踏んで幾らかを投資のつもりで援助していた。それが、彼の競争相手である伯爵が武人として名を挙げて、王の篤い信頼も受け、ただの一伯爵におさまらずその周辺の国防の要とも目されたのを見て、これは今更家督争いで兵まで挙げて敗走した者が、我こそ正統なヴェスカウ伯爵なりと声を上げてもどうにもならぬと見切ってしまったのだ。

 ガスパーの一家は、困窮した。

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