第29歩 柔和
「えぇ~!!!もう行っちゃうのぉ~!?」
「そ、そんなに急がなくても…
ううん、ま、また、遊びに来てね?」
今日中にでも、ここを出ると告げたところ、エリカが抗議し、トロイが名残惜しそうに言葉をかけてくれる。本当は、まだここに居たい。でも、これ以上長居すると、離れられなくなりそうだから……
「うん。絶対、また遊びに来るよ。
グレムにも会いたいしね。」
「トロイ様、エリカ様。お姉さまはこのチェシャが、責任をもってお守りいたしますので。
ノヴァ様、ありがとうございました。」
チェシャが二人に向かって胸を張る。そして、ノヴァ長老に対しては、深々と頭を下げた。何があったのかは聞かない。けど、ノヴァ長老のことだ、チェシャの悩みでも解決してくれたのだろう。
「チェシャちゃぁん。
私たちはぁ、あなたも、待ってるからねぇ~。」
「そ、そうだよ。
げ、元気で、ね。」
トロイとエリカが、チェシャを抱きしめ、撫でる。随分と絆されたようで、チェシャも素直にそれを受け入れていた。その光景を、私とノヴァ長老は、並んで微笑みながら眺めていた。
「来た時は懐かしく、喧しいのが増えると思ったものだが、いざ立ち去るとなると、寂しいものじゃな。」
「まぁまぁ、また来ますから、ね。」
くしゃくしゃと、ノヴァ長老が私の頭を撫でた。
「さ、行くよ、チェシャ。」
「っ、はい!お姉さま!
では皆さま、また!」
「ばいばぁ~い。」
「またね。」
「気を付けるんじゃぞ~。」
三者三様。それぞれがそれぞれの反応を返し、私たちは集落を後にした。
「はぁ、楽しかったね、チェシャ。」
「はい!皆さま、本当に優しくて、温かかったですわ。」
これから、どうしようかな。穏健派の街があるらしいけれど、方角だけ教えてもらったんだよね……
確か、ここから南西の方にひたすら歩く、だったか。
「よし。じゃあ、次の場所に向かおうか。」
「ええ、お姉さまとなら、どこへでもお供いたしますわ!」
チェシャと並んで歩きだす。湯舟に浸かって、ぐっすり眠ったおかげで、身体の調子がいい。南西方向にしばらく歩くと、森を抜けて平原に出た。獣道があり、定期的に誰かがここを通っていることが窺える。
「ん、森を抜けましたわね。
平原……広いですわ。」
「だね。
しかも、誰かが、何かが定期的にここを通ってるみたい。
ノヴァ長老たち、過激派人外の人たちかな?」
警戒もそこそこに、平原を歩きだす。足跡のようなわかりやすい痕跡は見受けられなかったが、草の踏み倒された感じから推測するに、大体私たちと同じぐらいの背格好の存在か、ハウンドなどの比較的背の低い魔獣などの群れによって作られていそうだ。だが、あくまでも予想だ。信頼度は決して高くない。
「こうも広い平原ですと、隠れる場所もなくて困りますわね…」
「まったくだね。
さて、どうしたものかな。」
方角は間違っていないから、迂回して森を進むか。だが、森がいつまでも続いているとは限らないし、ひとたび戦闘が起これば方角もわからなくなってしまうだろう。
「迷うまでもない、か。
このまま進もう。」
「本気ですの?
いえ、望むところですわ。」
チェシャが怪訝に思うのももっともだ。だが、目的地がある今、ここを避けて通った結果、方角を見失うことがいちばんの問題だろう。
獣道に沿って、歩を進める。周囲に意識を散らして警戒しながら。不気味だったのは、その獣道がノヴァ長老に教えてもらった方角と同じ方向へ伸びていたことだった。偶然かもしれない、途中で逸れているかもしれない。そんな、普段なら特に気にしないかもしれないことが、今は気になる。いつ、なにが飛び出してきてもいいように気を張っているから、とにかく疲れる。こんな平原のど真ん中で休憩するわけにもいかず、自ずと足早になっていく。
「まずったなぁ……
もう一人ぐらい連れて、交代で見張りしながら休憩、とかにすればよかった。」
「わたくしは、二人きりの方が嬉しいですが、安全面を考えると確かにそうですわね。」
「ん、ストップ。」
「?どうされましたか?お姉さま?」
しばらく歩いて、足を止めた。視線の先には木が一本だけポツンと生えている。休むのにちょうど良さそうな、少し山なりになった丘の上に生えた木。だが、
「不自然だと思わない?」
「不自然、ですの?」
チェシャは目を凝らして丘を見る。しかし、何も感じなかったのか、肩をすくめて首を振った。答え合わせをするとしよう。
「見るのは、木じゃなくて足元。
あの木の周りで獣道がバッサリ途切れてるでしょ?」
「あ、よく見ればそうですわね。
どうしてでしょうか?」
ここまで辿ってきた獣道が、丘に生えた木の周辺で急に途切れていたのだ。これは見覚えがある。土地に擬態して獲物を誘い、捕食する魔獣。
「アングラーの一種だね、あれは。」
「あんぐらー、ですの?」
魔獣のことをよく知らないチェシャが小首をかしげる。どうしたものか、今後のためにも見せた方がよさそうだけれど……
「んーと、じゃあ、ちょっとそこで見ててね。ちょっと引っかかってくるから。」
「え?はい、わかりましたわ…」
丘の頂上にある木に向かって、悠々と歩を進めた。チェシャに体感させるために、あえて引っかかって見せるとしよう。気づいたうえで踏み込むと、わずかに感触が違う。支えてくれる安心感ではない、押し返してくる力を感じる。
「意外と、わかるものなんだね。」
くすりと笑って木陰に入る。恐らく、ここで少し滞在した相手を捕食しているのだろう。ここまで獣道を作った存在も、こいつに捕食されたのだろうか。
「さて、と。」
腰を下ろして休もうとした途端、視界の端で地面が動く。丘が沈み、周囲が持ち上がる。アングラーの口が閉じようとしているのだろう。その最中、チェシャが待っているのと真逆に、まだ獣道が続いているのを発見した。
「あ。」
「っ!?お姉さま!?」
チェシャの声に振り返ると、飛び込もうとして来るのが見え、微笑みを返す。
「だいじょーぶ!」
アングラーが口を閉じるより早く地面──アングラーの口──を蹴って跳躍し、離脱する。足元で円形の口が閉じた。
「うっひゃー、相変わらず凄いな。」
「な、なんですの?これ……」
しばらく、咀嚼するように口を動かしていたが、その口内に何もいないことを確認すると、アングラーは穴倉からその巨体を覗かせた。
「グルルルル……ガァアアアアアアァァァァアア!!!!」
それは、怒りの雄たけびを上げながら這い出てくる。巨大な口を備えた頭部がそのまま全身。頭から手足と尾を生やした一頭身の怪物。それが、アングラーという魔獣の全容だった。
「お姉さま?
こ、これ、どうするんですの?」
顔を引きつらせながらチェシャが尋ねてくる。チェシャは、この巨体に対して、自身の攻撃が通用しないと思っているのだろう。確かに、アングラーの身体は脂肪が多く、打撃のほとんどが吸収されてしまうため、チェシャの出せる攻撃では、大したダメージを与えられないだろう。
「大丈夫、こいつ足遅いから。逃げるよ!」
「へ?」
チェシャの手を引いて走り出す。ある程度離れたら、こいつはまた埋まって擬態する。別に戦う必要は無いのだ。さっき登って気づいた、アングラーの反対側に続いていた獣道へ向かおう。このアングラーは、獣道の途中に穴を掘って埋まっただけで、獣道を作った存在は、アングラーが埋まるよりも前からここを通っていたということだ。
「さ、遠回りしてこいつの反対側にあった獣道に行くよ、チェシャ!」
「は、はいですわ!」
のそのそと私たちを追いかけようと方向を変えるアングラーを他所に、獣道を駆け抜ける。これだけの騒ぎを起こしても、なにも反応がない以上、周囲には誰もいないと判断してよさそうだ。
「あはは、はっしれー!」
「え、えっと、はい!」
さっきまでの慎重さとは真逆に、笑いながら走る私に、困惑したままついてくるチェシャ。獣道に沿って、アングラーが見えなくなるまで走った。
「はぁ…はぁ……うん、もう大丈夫かな。」
「はぁ…はぁ…ほ、ほんとですの?」
肩で息をしながら笑った。今、最高に冒険をしている気がする。仲間と共に危険から逃れて、あるいは立ち向かって。これでこそ、冒険だ。
──それからしばらく歩いた。獣道はまだ続いている。いったいどこまで続いているのか。まさか、目的地まで続いているなんてオチはない、よな……
「お姉さま。
この道、どこまで続いているんでしょうか……」
「……本当にね、どうしようかな。
このままこれに沿って行っていいのかな。
方角は合ってるんだよねぇ……」
なんだか怪しい気がしてきた。これに沿うのはいいとして、もう少し警戒しながら行くか。もしこれが、教団の英雄部隊が残した跡だとしたら、場合によっては戦闘も視野に入れないとだし。
「…待てよ?英雄部隊?」
「どうされたんですの?お姉さま?」
罠、もしくは、英雄部隊が穏健派の街を襲撃しに行った跡の可能性もある。もしそうだとしたら、急いで助けに行くべきか。いや、それを狙って、誘われている可能性もあるか。あくまでも可能性。でも、無い話ではない。
「チェシャ、ちょっと予定変更。
周りを警戒しつつ先を急ごう。」
「あ、はい。かしこまりましたわ。」
獣道から少し離れ、並行して駆け出す。街まで、ここからどれぐらいの距離があるのかわからない。あの獣道を作った存在が英雄部隊かどうかもわからない。獣道がどこまで続いているのかも、わからない。わからないことだらけだけれど、楽観視できる状況でもない気がする。急ごう。
「ん~、と。
どう見える?あれ。」
「えーっと、揉めてる様子ではありませんわね?」
それからほどなくして、獣道の先に一つの集落を見つけた。規模的に、目指していた街ではなさそうだが………人外と人とが、握手を交わしているように見える。人の方の装備を見るに、あれは英雄部隊だ。たぶん。人外の集落に、英雄部隊が来訪している、のだろうか。それが、仲睦まじそうに言葉を交わしている。そんなことがあるのか……
「えぇ……
どうしよう、あれ。」
「なんだか仲良さそうですわね。」
「遠巻きに眺めていても、埒が明かないか。」
警戒はしつつ、集落に近づく。ゆっくりと歩を進めながら、なおも観察を続ける。旧知の仲のように肩を組んでいる者もいる。警戒しているこちらがばからしく思えるほどの緩み切った空間が、そこにはあった。
「そこで止まれ。」
「「っ!?」」
真後ろから声をかけられた。有無を言わせぬほどの強い語気を感じる。だが、実際に声をかけられるまで、その存在にまったく気づけなかった。前方の光景に集中していたのもあるだろうが、かなりの手練れだ。
「お前たちは何者だ。
あそこに向かって、なにをするつもりだった。」
冷たい語気のまま、問いが飛んでくる。回答を間違えたら首が飛びそうだな。
「答えろ。
答えねば、その首を断つ。」
私たちの沈黙を訝しんだのか、相手は焦れた様子で回答を迫ってきた。さて、どう答えたものかな。
「特には何も。
私たちは旅の途中でね。
人と人外があんなに仲良さそうにしてたら、気になるでしょう?」
「………」
とりあえずはこれで行く。嘘でもないが、理由のすべてでもない。相手は私の回答を吟味している様子だ。果たしてこの回答が吉と出るか凶と出るか。
「……ちょっと、お姉さまが答えたんですのよ。
なんとか言ったらどうなんですの。」
先にしびれを切らしたのはチェシャだった。普通に振り向いて相手に抗議をしだした。
慌てて振り向き、チェシャを宥める。
「ちょちょ、ちょーっと待った。
今多分考えてるところだから。
もうちょっと待とう?ね?」
「むぅ……」
ふと相手の様子を見る。オールバックに揃えた金髪と、黄金色の瞳の野性的な男性。その固く結ばれた表情からは、厳格そうな印象を受ける。
「……はぁ、その様子でだいたいわかった。
向こうに合流するぞ。ついてこい。
お前たち人外にしろ、我々人間にしろ、所属不明のやつがむやみに近づけば、敵対されるのは必然だろう。
俺と一緒なら、その心配もない。」
男は、ため息交じりにそう吐き捨てて、私たちの間を抜けて集落の方へと歩いていく。私たちは、一度顔を見合わせ、その男について行くことにした。男の言うことにも、一理あったからだ。
「ブルコワーズ様!
ご指示通り、人外二名と対話したところ、敵性なしと判断したためお連れしました。」
「ん、ご苦労、レイ。
お前に任せると、話が早くて助かるよ。」
男が声をかけたのは、長い金髪をなびかせ、綺麗に澄んだ青緑の瞳を持った女性だった。お互いを呼び合う様子から、上司と部下、そういう関係なのだろう。
ブルコワーズと呼ばれた女性は、私たちの方を向くと、柔らかく、引き込まれるような微笑みを浮かべた。
「さて、お嬢さん方。見ない顔だが、何用かな?」
だが、その声には試すような色が、確かにこもっていた。




