表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/24

第24話 エピローグ


 香澄山キャンプ場から東京に戻ってきて1週間が経過した。

 本格的に夏休みに突入した遥は小説執筆にグラビア撮影に大忙し……とはいかなかった。

 真っ白な原稿。スカスカのスケジュール。積み重なるのは学校の宿題ばかり。

 小説家『空野 彼方』もグラビアアイドル『空野 かなた』も前途多難。

 そんな中で今日は久々に打ち合わせが入っている。先日お世話になったT社だった。

『かなプロ』本社(賃貸)を出て街に繰り出す。夏の昼間はうだるように暑い。目が眩みそうだ。


「どうも、お久しぶりです」


 冷房の利いた屋内、T社ビルの打ち合わせブース。四人掛けテーブルに3人が座っている。

 麦茶が入ったコップが汗をかいている。カランという氷の音が耳に涼しい。

 遥、かなプロ社長兼マネージャーの柿本、そしてT社編集の坂本。

 顔を合わせるなり深く頭を下げた編集氏。相変わらず存在感が薄い。


「その節ではお世話になりまして……」


「いえ、そんな、こちらこそ……」


 互いに定番のあいさつを終え早速互いにメモ帳を開く。別に雑談に興じるために足を運んだのではない。

 今日の打ち合わせは次回のグラビア撮影の調整である。

 業界中堅とは言えT社の雑誌の紙面を飾るアイドルは引きも切らず、遥の出番はかなり先になることは間違いない。

 予定は未定と言うものの、早いうちに押さえておかないと、次の機会がいつになるかわかったものではない。

 そうは言っても、坂本――T社が提示した日程を確認した限りでは、『空野 かなた』はかなり優遇されているように見受けられた。

 これが業界大手のK社などになると数か月先どころか年を越してしまうことまであり得る。最悪ゼロの可能性まで……全くもって笑えない。

 世の中にはグラビアアイドルは星の数ほど存在するし、これからも新人がデビューしてくる。熾烈な席の奪い合いはいつものこと。

 撮影時期と現場の仮押さえ、互いの要求項目のすり合わせなど順調に進む。

 全年齢向けとはいえ青年誌なので露出は高めだが、T社の意向について遥には異存はない。

 次の予定は今回のような特殊な企画ではないらしい。普通にスタジオで撮影の予定。

 ひととおりのチェックが終わったところで、


「そう言えば、先日の事件の顛末についてはご存知ですか?」


 おずおずと切り出してくる坂本に対し、キャンプ場に遥を誘った手前、何も話さないと言うわけにもいかないのだろう。

 とはいえ、遥も別口から情報はそれなりに入手している。


「深月ちゃんからのメールで概ねのところは」


「そうですか……」


 まだ若い編集氏の顔にわずかな影が差した。



 ★



 あの日、遥が推理したとおり矢生のリュックサックの中から1日目に盗まれたメンバーの金品やらカード類が発見された。

 さらに矢生が2日目に着ていた衣服から美空のものと思われるファンデーションの汚れが見つかり、あの男は緊急逮捕。

 当初は黙秘を貫いていた矢生だったが、言い逃れようのない証拠を前に警察の追及をかわすことは難しく、しぶしぶではあるが自供を始めたと言う。

 あくまで推論に過ぎなかった遥のストーリーは、ほぼそのまま正解だったらしい。概ね間違ってはいないとは思っていたが、それでも呆れざるを得ない話である。


 犯行の目的は教授推薦の留学枠を手に入れるため。予想はしていたものの想像以上に微妙な動機だった。少なくともふたりの命を奪うに値するようなものとは思えない。

 警察の尋問に矢生は『池は親の会社の力で推薦された』『美空は色仕掛けで教授を誑かしていた』などと証言し、自分こそが本当に能力のある人間であり、アメリカ留学を機に日本だけでなく世界の発展に寄与する人材であると繰り返し強調。

 矢生の供述はそのほとんどが池や美空――挙句の果てには恩師である後藤教授への批判と自己弁護に終始しており、罪悪感や反省の余地は見当たらなかった。いったい何をどうすればそこまで自分に自信が持てるのか、サッパリ理解できない。

 精神鑑定からの心神喪失による無罪を狙っているのだろうか? なお、警察での取り調べを経て刑事裁判として起訴する見通しとのこと。


 かつて芸能界のドンであった大場が殺害された際には犯人に自首を進めた遥だったが、矢生に対してそんな便宜を図るつもりは全くなかった。

 手前勝手な理屈で殺人を犯した犯罪者は、その罪にふさわしい罰を受けるべきだと考えている。いっそのこと死刑か無期懲役で良いのではないかとも思う。

 以前にかかわった事件は後味の悪い結果に終わったが、今回はそういうことも特になかった。

 矢生のトリックを暴く際も、ある種の高揚感に酔っていたことを認めざるを得ない。あとで思い返すと割と痛々しかった。

 

 後藤教授は近く退官する予定だと深月からのメールに記載されていた。

 3年前の海難事故と今回の池の死についてはともかく、自分のせいで美空が命を落とすことになったという現実に、かなり追い詰められているらしい。

 学内での立場も悪化し、さらにはマスコミに大々的に報道されてしまっては、こちらも逃げ場はなしといったところか。

 迂闊ではあったと思うが本人に罪があるわけでもないので、どう反応したらいいのか難しい話題であった。


 教授は残された仕事を片付け、ゼミ生たちの処遇を決め次第すみやかに身を引いて、余生は犯罪者の心理についての研究に費やす予定とのこと。

 自分の教え子の中から殺人犯を生み出してしまったことに思うところがあるのだろう。

 さすが教授職にあった人間だけに、職を辞しても研究することは止められないらしい。もはや性分。

 身の振り方を決めた後藤教授は、これまでよりも深月のことを気にかけてくれるようになったそうで、両親がいなくても寂しくないとメールには記されていた。


 教授の退官と共に解散される後藤ゼミのメンバーは、もっと大変な状態だ。キャンプに参加した芦田や七海を含め、生徒はみな別のゼミに編入される予定である。

 特に芦田と七海については、身近な――それも親交のあった矢生による同じゼミ生の殺害に強くショックを受けており、カウンセリングに何度となく通っている。

 たったひとりの殺人犯の暴走の爪痕は深く、多くの人間の人生を狂わせる。その事実を目の当たりにした形になる。

 小説だとサラッとエピローグに入る部分だが、現実は厳しい。事件の後も生き残った者たちの生活は続いていくのだ。


 深月は来年の高校受験に向けて進路を定めて受験勉強を開始。

 どこの高校を受験するのかまでは、遥にも教えてくれなかった。

 今はメイクの仕方やファッションあるいは進路などなど、遥や裕子としばしばメっセージのやり取りをする間柄だ。

 せっかくなので水着も勧めてみたが、思いっきり断られてしまった。


「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」


 そう締められたメールを見る限りでは深月は大丈夫だろうと、遥としてはそう願わずにはいられない。

 今回大きなダメージを受けた大学組の中で、唯一深月だけが前向きに人生を歩み始めようとしている。

 それが数少ない救いのように思える。


 一方撮影班の方は警察の事情聴取の後、速やかに現状に復帰した。

 遥と柿本は言うに及ばず、各務原も裕子も日々それぞれの仕事に邁進している。

 かなプロ所属の二人は微妙ではあるが、後ろの二人は引く手あまたのプロである。

 ……目の前に座っている坂本はどちらよりの人物なのだろうか?

 別に他人の不幸を喜ぶ気質はないが、自分たちだけ置いて行かれていると考えると暗澹たる気持ちになる。



 ★



「編集長にはかなりドヤされましたけどね……」


「それは、その、ご愁傷様です?」


 T社の編集部は中々に手ごわそうだ。

 途中で買い足したアレコレについては、ちゃんと経費で落としてもらえたそうなので、案外マトモなのかもしれない。


「それでですね。空野さんにお願いがありまして……」


「……なんですか?」


 温くなったウーロン茶で喉を湿らせて問い返す。

 坂本の眼の奥に真剣な光を感じる。


「ウチの編集長が今回の空野さんの活躍を聞いて、うちでも何か書いてもらえないかと言い始めまして……」


「それは……」


 坂本の――T社の提案は、小説家『空野 彼方』への執筆依頼だった。

 短編? 長編? それとも、連載?

 いずれにせよ遥としては望むところであり、


「具体的な話を聞かせていただくことはできますか?」


「あ、いえ、それはちょっと。編集長が思いつきで口にしただけ、みたいな状態ですので……」


 続く坂本の言葉につんのめりかけた。

 横で柿本が難しい顔をしている。


「そうですか……」


 できればスケジュールに余裕がある今のうちに話を詰めておきたかったのだが。

 あまり欲を張っても仕方がない。何事もそう上手くはいかないものだ。

 よくよく思い出してみれば、T社にミステリーの出版履歴はなかった。

 

「わかりました。話が決まりましたら、またご連絡ください」


 内心の落胆を隠しつつ、笑顔で言葉を返す。

 笑顔に慣れた自分がちょっと悲しい遥だった。


 

 ★



 冷房の利いたT社を後にするかなプロふたり。

 スマホに表示された時刻はそろそろ夕方といったあたりだが、8月を間近に控えた都心ではまだまだ太陽は高く、そして暑かった。

 アスファルトに覆われた地面は太陽からの熱を跳ね返し、上下から遥たちを苦しめてくる。灼熱地獄だった。

 ほんの一瞬立ち止まっただけで、全身から汗が噴き出してくる。気合でどうにかなるレベルではない。

 今年は例年よりも猛暑――などと言う予報を毎年耳にしているような気がする。道征く人々をちらりと見れば、どの顔も熱気と疲労に苛まれていた。


「今日の予定はほかにありませんから、ご自宅までお送りしましょうか?」


 それともどこかに寄りますか?

 などと言いつつも近くに車などない。

 柿本の問いに遥はしばし考えをめぐらし――


「ちょっと本屋に寄ってもいいですか?」


「ええ、もちろん」


 柿本の承諾を得て、ふたりで近くの大型書店に足を踏み入れる。

 涼しい空気に迎えられてホッとひと息。入り口の自販機でウーロン茶を購入して喉を潤す。

 後は糖分と塩分を補給するためのレモン風味の塩飴を口に放り込む。

 ハンカチで汗を拭いつつ目指す先は大判書籍のコーナー。

 人気作家の最新作が平積みされている台を中心に棚を順に見て回っていると、


「う~ん」


 遥は小さく唸った。柿本も難しい顔をしている。

 別に店に足を運ぶまでもないことだが、小説家『空野 彼方』の取り扱いはごく普通――先日発売したばかりの新刊も含め1冊づつ棚に刺さっているだけ。

 もちろん店舗の裏には在庫があるはずなのだが、お世辞にもプッシュされているとはいいがたい。重版なんていつになることやら……そもそも重版されないかもしれない。


――平積みしててほしかった……新刊出したのに……


 零れそうになる溜め息を我慢して、続いて向かったのはアイドルの写真集コーナー。

 連日テレビや雑誌の表紙を飾っている人気アイドルの写真集が所狭しと並べられている。

 誰も彼もが一目でわかるほどに可愛らしく、眩しい笑顔を道行く客に振りまいていた。

 グラビアアイドル『空野 かなた』はまだ写真集を出していないので、ここには遥の笑顔は存在しない。

 雑誌コーナーに目を向けても、ちょうど遥のグラビアを特集しているものはない。タイミングが悪かった……と思いたい。

 素顔を晒していても、店内の客は誰ひとりとしてここに居る少女がグラビアアイドルであることにも、小説家であることにも気づかない。

 これが『高遠 遥』の偽らざる現実だった。


――自分の将来のためにふたりの人間の命を奪った矢生に同情の余地はない。でも……


 真っ白なスケジュール、決まらない出版予定。

 遥の未来はお先真っ黒――ではなく真っ白。スッカラカンである。

 日々電話や飛び込みで出版社に営業をかけ(事前にスケジュール帳にメモったりはしない)、頂いた仕事に対しては真摯に当たっている。

 その結果がこの惨状。こんな状態がずっと続くのかと不安に思うこともある。

 将来の見通しが立たないという状況を脱したいという思いでは、遥と矢生にそこまでの違いはなかったのかもしれない。

 否、他の若者たちもそれほど変わらないのだろう。かつての事件でも似たような感情を抱いたことがある。

 遥は自分が善性の人間であると言い切ることができない。夢もあれば欲もある。どこにでもいる普通の人間に過ぎない。

 ならば、いずれ自分の未来に希望を見出せなくなったとき――


――それでも、私は人殺しなんて短絡的なことはしない。


 慌てて頭を振ってバカバカしい妄想を脳みそから叩き出した。清涼な人工空気の中、自慢の黒髪が流れて弧を描く。

 人知れず握りしめたこぶしに力が入り、手のひらに爪が食い込みかける。

 空いた手を胸にあてると、心臓の鼓動が不安定に刻まれていた。背筋を伝う汗が、冷たい。


――私は……は絶対にそんなところまでは堕ちない。たとえ何があろうとも。


 そんな遥の心の内を知ってか知らずか、いつもそばに控えている大男が元気づけるように語りかけてくる。


「かなたさん、頑張りましょう」


「……ええ、そうですね。悩んでる場合じゃないですよね!」


 柿本に答え、胸のモヤモヤと共に大きく息を吐き出した。

 遥は気合を入れなおして店を後にする。

 ようやく傾きかけた太陽の光が、ビルの隙間を縫って遥の瞳に飛び込んでくる。

 その眩しさに目を窄めながら暑い夏の街に歩いていると、不意に視線を感じた。


「あれ、『空野……じゃね?』」


 誰かが名前を呼ぶ声がかすかに耳朶を打つ。

 空耳か――いや、違う。確かに聞こえた。間違いない。間違えない。

 声がした方に振り向いてみると、遥とそう年の変わらない若い男女が寄り添ってスマホを構えている。写真を撮るつもりらしい。

 せっかくなので軽く手を振ってみると、あちらも振り返してくれた。笑顔笑顔。


――うん、元気出てきた!


 我ながら現金なものだと思わざるを得ない。

 たったひとりのファンの声援が、これほどにパワーを与えてくれるなんて。

 沈みがちになっていた視線が上向きになり、背筋がピンと伸びる。

 豊かな胸を見せつけるように堂々と張り、肩で風を切るように颯爽と歩みを進める。

 

『高遠 遥』に弱い姿は似合わない。

 そうやって見栄を張る自分のことが気に入っているのだから。

これにて『高遠遥の事件ファイル』第2弾、完結となります。

ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

ご感想や評価等頂けますと、ありがたく思います。かなりマジで!

よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ