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第17話:笑う魔王・リコピン(三)

 腰が抜けた。


 ストンと尻餅をつき、全身から力が抜けていく。

 様々な感情が突きぬけ、俺は魔王の話に呆気に取られるより他になかった。


 魔王の話によれば、それはただの悪あがきだったらしい。

 せめて自分を封印する者に一矢報いたい。

 そんな些細な思いつきで、魔王は俺に一つの呪いをかけたのだと言う。


「この呪いに掛かった者は、己の内に巣食う欲望に抗いきれなくなる。効能としては身の破滅、仲間との不和だな。……しかし、このような形で発現するとは聞いた事もない。さすがは勇者、非凡であるな」


 ガハハ、と魔王は笑うが、こっちはとても笑っていられる気分ではない。

 ならば、これまでの七転八倒はなんだったのか。

 これまで俺が辿ってきた苦難の道はなんだったのか。


「まぁ、良いではないか。呪いが解けた後は好きなだけ仲間とやらと仲直りするがよい」


 もはや返す言葉もない。

 斬りかかろうにも全身に力が入らない始末だ。

 悪魔と罵ろうにも、魔王は悪魔そのものなのだからその甲斐もない。

 もはや悔しさを感じる余裕すらなかった。


「それではこの呪いを解除するに当たり、見返りとして我輩の再封印を要求する。貴様は平和な日常へと帰還し、我輩はあの穏やかな封印の中へと舞い戻るわけだな。さて如何?」


 抗弁もへったくれもない。

 とにかく、俺は疲れてしまった。


「……………………………………お願いする」


 俺が決め、俺が選んだはずの道。

 他者を跳ね除け、俺の信じた道だけが正解だと見定めた。

 それが全てこのふざけた魔王の呪いによるものだったなどと、考えるだけで気が抜ける。

 

「交渉成立だな。では、そこに直るがいい」

 

 魔王は上機嫌で呪文を唱える。

 魔界の言葉なのか、長々と聞き取りづらい発音の単語を並べ、次第にその声が魔力の奔流となっていく。

 その魔力はまるで黒く長い蛇のように俺の周りにまとわりつくと、俺の内に飲み込まれ、消える。

 

 すると、いつのまにか体の中で凝り固まっていたナニカが砕けたのが分かった。

 体の重みが少しだけ取れ、妙に気分が清々しい。


「どうだ? これまでとは世界が違って見えるだろう?」


 魔王は得意満面だ。

 少し不安ではあったが、魔王は約束通りに呪いを消し去ってくれたらしい。


「…………いや、んん?」

「いまいちピンと来ないようだな。では、これまでの道程を思い起こしてみるがいい。そして貴様の仲間とやらの顔もな」

「……仲間の、顔」


 魔王に言われるまま、アルレンサ。ソマリ。オデット。サラ、ゾラ。

 そしてフィオナ、ついでにクレスの顔を思い浮かべる。

 かつて俺を支えてくれた仲間たち。


「…………なぁ、魔王」

「どうだ。わだかまりは消え、己の愚行乱行を詫びたくなってきただろう?」


 魔王はしたり顔で頷きながら、俺に告白を促す。

 俺の返答は決まっていた。


「……………………いや、別に?」

「ぬっ!?」

「どいつもこいつもぶん殴りたい。っていうか、ぶっ殺したい」


 魔王の誘導に従って思い浮かべた奴らの顔。

 和食にツバを吐きかけ、愚弄した大罪人たち。

 そんな愚昧な輩どもに、何故俺が謝罪しなければならないのか。


「おい、魔王。これはどういう……」

「ま、待て。少し待て」


 魔王はこれまでになく色をなくしてうろたえている。

 ふと思いついたように手を叩く。


「そ、そうだ。『和食』とやらへのこだわりはもう消えたであろう?」

「あ? 和食は至高の料理だ。てめえは『和食』も知らずに魔王やってんのか。やめちまえ、魔王」

 

 ぬぅ、とうめき声をあげて後ずさる魔王。

 俺はその間抜けな姿を睨みつける。

 何が世界が違えて見えるだ。

 むしろ雑念が消えて、和食への敬意がより純粋なものに昇華されたおかげで奴らへの憎悪も増し増しだ。


「んむ。んむ。つまりだ」

「つまり…………」


 魔王は納得したように頭を振った。


「貴様は呪いなど関係なく、元から頭がおかしいのだな」

「死ねッッッ!!!!」


 わずかに回復した全魔力を木の枝に乗せて一閃。

 封印ではなく殺意を込めた一撃だ。いかに魔王でも首筋にその一撃を受ければ致命傷は免れない。

 だが間一髪、魔王は大きく空に羽ばたいて難を逃れた。外れた一撃は背後にあった岩壁を一筋に抉り取った。


「…………危ないではないか」

「てめえはどこまで人をコケにすれば気が済むんだ! 降りてこい、ぶっ殺してやる!!」

「ま、待て待て。少し落ち着け。確かに我輩が悪かった。すまなかった。しかし悪意はないのだ」

「ふざけんな! お前の存在には悪意しか感じねえ! 封印なんぞしてやるか、今すぐこの世から消し去ってや……」


 視界がぐらりと歪み、夜空に飛翔する魔王の姿が傾斜していく。

 自分自身が横転しているのだと気付いた時には、すでに大地に横たわっていた。


「言わぬことではない。魔力を使い果たしたか」

「くそ……ぶっ殺し……て……」

「再度封印してもらおうにも魔力が足りんではないか。そのまま少し休むがいい」

「あぁ……くそっくそっ……くそっ……」


 相手を罵倒しようにも力が入らない。

 とっさの怒りで振るった力も瞬時に底が尽き、もう空っぽだ。


 その時だ。

 辺りに間の抜けた音が響き渡った。


「…………むぅ、屁でもこいたか、勇者よ」


 そう言って顔をしかめ、手で払う魔王。

 もはや突っ込む気力もない。


 無意味な自己弁護をしておくと、さっき鳴った音は屁でもなんでもない。

 俺の腹の音だ。


 とにかく、腹が減った。

 

 着の身着のまま飛び出して、もうどれだけ時間が経ったか。

 そういえば最後にまともな食事を取ったのはいつだったか。


 今生に望みは尽きても腹は減る。

 世知辛いこの世の摂理に、俺は渋々、懐から包みを取り出した。


 横になったまま腹に乗せて包みを開くと、なんとも言えない芳香が漂ってくる。

 落ち着く米の風味と香ばしい匂い。しかしそれだけではない。

 手に取ればしっかりとした感触に、暗闇でもなお存在感のある褐色。

 ただのおにぎりではない。これはこの世界で唯一無二の魅惑のデルタ。

 焼きおにぎりだ。


 醤油とわずかな胡麻油で仕上げたが、なかなかどうして良い風味を醸し出している。

 たまらず頬張れば確かな歯ごたえ。そして噛みしめるごとにじんわりと懐かしい味が広がっていく。

 ひと噛みひと噛みするごとに、体の奥底から力が湧き上がってくるのを感じるのだ。


「…………美味い」


 尊い。

 これは素晴らしいものだ。焼きおにぎりだけじゃない。


 和食は、素晴らしい。

 

 俺はただ、この素晴らしいものを知って欲しいだけだった。

 こんなにも美味しいものがあって、それを俺が好きになった人たちに食べて欲しかっただけだ。


 みんなに味わって欲しかった。

 みんなに美味しいと言って欲しかった。

 みんなに笑って欲しかった。

 ただ、欲しかった。


 しかし、もう俺には何も残されてはいない。

 この眼前に広がる夜空。星ひとつ見えない空に自分の境遇を重ね、否応なく悲惨な現状を思い知らされる。

 そこには何もない。何も…………。


「…………ん?」


 そういえば、飛んでいたはずの魔王の姿がない。

 どこに行った、あのくそったれ。


「…………おい」

「うっ……」

 

 魔王はいつのまにか大地に降り立ち、俺の頭上に回り込んでいた。

 唐突に魔王の強面が視界に現れるものだから、危うく焼きおにぎりを落としてしまうところだった。

 危ない危ない。ところがホッとしたのも束の間。

 大事に抱えた焼きおにぎりが一つ、宙に浮いていた。


「何をしているのかと思えば腹ごしらえか」

「…………おい、返……せ……」


 取り返そうにも、宙に浮かんだ焼きおにぎりまで腕が持ち上がらない。

 そうこうしている間にも焼きおにぎりは遠ざかっていき、魔王の手のひらに着地した。

 

「何やら珍妙なものを食しているな。…………本当になんだこれは。食い物なのか?」

「かえ……返せ……」

「まぁいい。しばらく封印されていた反動か腹も空いている。こんなもので我慢してやる」

「や、やめ……」


 俺の制止を意に介さず、魔王は焼きおにぎりを親指で弾くと、そのまま口の中に放り込んでしまった。

 残された静寂に魔王が焼きおにぎりを噛み砕く音だけが響く。

 わずかに残された焼きおにぎり。もはや俺の手元に残された、希少なる尊いもの。

 それをこんな糞野郎に食われてしまった俺の悲しみが分かるだろうか。


 もういい。

 奴が次に口を開いた瞬間、これまで決して使うことのなかった極大自爆呪文を唱えてやる。

 もはや野となれ山となれ。半径5kmを吹き飛ばす大爆発をとくと見ろ。

 そうして出来上がったクレーターには「ヤマトドンブリ」と名付け、和食の素晴らしさを後世に……。


「――――――美味いッ!」 


 …………?

 今、こいつ、なんて……。


「何なのだ、これは!」


 魔王が、吼えた。


「はじめは木屑でも固めた粗食かと思ったが、なんと芳醇な味わい! 香ばしく心地よい食感ながら噛みしめれば噛みしめるほどに旨味が溢れ出てくる! おお、なるほど! 携帯食にありがちな辛すぎる味付けかと思ったが、こうして溢れ出る唾液、そしてこの食材の奥底に眠る膨大な甘味がそれを和らげ、一体となる事が計算された料理なのだな!」

 

 魔王は全身を震わせ、口の中で一つ一つ大事に味わうように噛み締めてから再び吠える。

 その頰から、涙がこぼれ落ちた。

 

「なんという事だ! この世界に存在する数多の国の料理、似たり寄ったりでありきたりだった! だがこれはそのどれとも違う! なんという事だ! 我輩が生涯を尽くして探し求めていたものがこんなところにあったとは!!」


 ……そういえば、この魔王が各国に侵略した目的については長年の謎とされてきた。

 そして魔王本人に聞いても決して多くは語らず、肝心な部分は良いようにはぐらかされてしまった。

 まさか。


「フハ、フハハハハ! なんたる茶番! あれほど求め焦がれていた、『未知の料理』にこんなところで出会えるとは!」


 世界各国に侵攻した目的。

 その目的が各国に存在する郷土料理を、ただ味わう為だったとしたら。

 確かに、長い歴史の中でも魔族と国交を持つ国はないらしい。

 魔族と人類は不倶戴天の敵。もし魔王が望んだとしても国交を持ち、食事を差し出す国はないだろう。

 しかし。だからと言って。

 …………心底、呆れた魔王だ。


 いや、違う。そうじゃない。

 大事なのはそこじゃない。魔王の目的なんてどうでもいい。

 そんなことよりも。


「美味い! 真に! 未知なる食感! 未知なる味! これに比べれば今まで食したものなど、全て凡庸の一言に尽きる!」


 俺は焼きおにぎりで手に入れたわずかな活力を元に、ゆっくりと起き上がる。

 すると、魔王の方から俺の元に鼻息も荒く歩み寄ってきた。

 

「貴様、まだいくつかアレを持っていたな! よこせ!」

「…………」


 魔王は俺が大事に抱えた焼きおにぎりの包みを指差し、叫んだ。

 先ほどまでの余裕はどこへ消えたのか。それはこれまでになく忙しない動きだった。


「…………いや、待て! それよりもまず作り方を教えろ! どうやった! なぜあんなものが作れる!」

「……………………」

「おい!」

 

 魔王は乱暴に俺の両肩を掴んで揺さぶった。

 その瞳は先ほどまでとは別人のように活力に満ち満ちていた。


「ええい、聞いているのか!? 対価か! 対価が必要なのか! 欲しければ、なんでもくれてやる! この世界の全てか! ワシを含め、その一切合切を貴様にくれて……!」

「ああああああああああああああああああッッ!!」


 俺は涙に曇る視界を気にせず、たまらず魔王の体にしがみついた。


「おい! 答えんか! この不可思議な料理の製法を…………泣くな! 答えろ!」

「うわあああああああああああああああああああああああッッッッ!!!」


 泣きわめく俺と魔王の益体のない問答は一時間ほど続いた。

 こうして俺は最高に信頼できる仲間である、魔王と出会った。


 欲しかったものが。

 俺がずっと欲しかったものとやっと出会うことが出来た。


 そして、これが後にこの世界全土を揺るがす、和食大戦の始まりとなった。

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