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〇〇三 リン


その後は歓迎会と交流を兼ねて、ささやかなパーティーが執り行われた。


 学生達にはジュースが配られ、お菓子を囲んでそれぞれ会話を楽しむ算段だ。


 人気ゼミの教授の周りには人集りができ、記者会見のようになっている。


 僕はというと……。


 根暗、オタク、コミュ障という呪いのせいでどの輪にも混ざれずにいる。


 教室の隅に座り、緊張で味のしないジュースをチビチビと飲んでいる。


 見知らぬ誰かの側に立ち、ニコニコと愛想笑いでもしていればいいのだろうが、僕には人に近寄るスキルも笑顔を作るスキルも持ち合わせていない。


 高校時代のトラウマだろうか、半径一メートル以内に人がいると呼吸が荒くなり足が震えてしまう。


 勇気を出して立ち上がろうとするが、身体が鉛のように重くなり身動きが取れない。


 誰かが悪戯で椅子に粘着テープを貼っていて、尻が持ち上がらないドッキリだったら幾らか心は楽になったかもしれない。


 そんな悲壮感に満ちた様相を見かねたのか、一人の人物が近付いてきた。


 先程の教員の紹介の時に、黒ずくめの教授の隣で顔を真っ赤にしていた女性だ。


 彼女は僕のパーソナルスペースを悠々と越え、ATフィールドをバキバキと破壊してくる。


 「はじめましてっ! 君が今年のコントラリアンだねっ!」


 「??? ……コ、コントラリアン……ですか?」


 「そう! コントラリアン、生物学的にはとても面白い研究対象だよ」


 「なんですか? その、コントラリアン? っていうのは……」


 「簡単に言うと、集団から外れる逆張り人間って感じかな、よく居るでしょ? 注目を集めるためにとりあえず反対意見を言ってしまう人」


 「ぼ、僕は……別に……注目されたいとか……」


 「はははっ……まぁ、君のその青白い顔を見てたら、目立つためにボッチでいるなんて微塵も思わないけどね」


 「初対面で心を抉ってくるのやめてもらっていいですか……」


 「ごめん、ごめん、まぁ君が戦略的に行動してない事はよくわかったよ、ところで名前を聞いてもいいかな?」


 「ぐぅ……いきなり話を変えるんですね、ノンデリって言われたりしませんか?」


 「ふむ……こう見えて私の祖先は高貴な人だったらしくてな、どちらかと言うとデリカシーの塊だと言われている。そんなことより、名前っ!」


 「高貴な祖先とデリカシーに何の関係が……」


 「な、ま、えっ!」


 「は、はい……僕は、鈴音 創(すずね はじめ)といいます」


 「スズネハジメ君か、いい名前じゃないか! 私は緒方 凛(おがた りん)という、リンちゃんと気軽に呼んでくれ」


 「いきなりちゃん付けで呼べるわけないでしょ……り、りん先輩ですね、よろしくお願いします」


 「ふむ、中々に奥手だなハジメ君は」


 「いや、これが一般的な男子の思考だと思いますが……」


 「ハジメ君と結婚すると、私は『鈴音 凛』か……鈴の音が凛と鳴る。美しい名前だと思わないか?」




 ――僕は自分の名前が嫌いだ。


 それは、高校生の時に付けられた渾名に由来する。

 鈴音の「音」と、創の字の左にある「倉」をこじつけて、『ネクラ』……。


 こんな悪意のある渾名をよく思いつくもんだと最初は感心もしたが、今では苦い記憶だ。

 高校の三年間『ネクラ』と呼ばれ続け、性格もそれにつられて根暗になってしまった。


 名は体を表す、とはよく言ったものだ。


 そんな名前を、りん先輩は美しいと言った……。


 彼女の妄言かもしれないが、確かに美しいと言ってくれた。


 その瞬間……魂に刻まれた『ネクラ』という呪いを、リーンと澄んだ鈴の音が浄化した気がした。


 そして……僕は恋に落ちた。


 童貞の思考とは恐ろしいものだ。


 思春期の三年間、女の子とろくに話したこともない男に、いきなり結婚後の名前が美しいと言ったのだ。


 もうそれはプロポーズと言っても間違いではないだろう。


 「どうしたんだい? 急に黙りこくって。まさか、本気で私と結婚する気じゃないだろうな? ははは……」


 そのまさかが脳内を駆け回っている……。


 「そ、そんなわけ、ないじゃないっすかっ! し、初対面ですよっ! まさかっ! ねぇ……!」


 「ふむっ。私は恋愛に時間は関係ないとは思っているがな……っと、今は恋バナをしてる余裕はなかった。うちのゼミの教授は少し変わった人物だが悪い人ではない、興味があるなら一度研究室まで遊びに来てくれたまえ」


 そう言って彼女は立ち上がり黒ずくめの教授の元へと帰っていく。


 その背中を眺めていると、不思議と自分の身体が軽くなっていくのを感じる。


 今すぐにでも彼女の背中を追いかけて飛び出しそうな自分がいるのに驚き、戸惑っていた――。




 そんな過去を思い出しながら、薄暗い小道を駆け抜けていく。

 夏真っ盛りだというのに、この道はいつ来ても肌寒い。


 木々に日の光を遮られた並木道は、空気そのものが湿って重く、走って汗を吸ったTシャツがじわりと冷える。


 陰に満ちた気配が、背筋に小さな寒気を走らせる。


 それから三分ほど走り続けると、目の前に古びた洋館が姿を現した。


 崩れかけた外壁。

 蔦に覆われた窓。

 沈黙したまま佇む異様な影――。


 そうここは生物学科研究室。


 通称、『お化け屋敷』。

 

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