54 大商人シャルシャーナとの商談②
「ロロイ。さっきのあいつ、まだ近くにいないか?」
俺の後ろで、クラリスがロロイにそう呟いた。
『あいつ』というのは、間違いなく黒い翼の首領のことだろう。
さっきまですぐそこを飛び回っていた首領は、その手に『水魔龍の含魔石』を持っていた。
「今からでも追いかけて行って、なんとかあの石を奪えないか?」
「やめとけクラリス。時空の魔石を使って本気で逃げられたら、もう絶対に追いつけない」
シャルシャーナから視線を外さずに、俺はそう言ってクラリスを嗜めた。
シャルシャーナは、口元をニヤリとさせて笑っていた。
「じゃあ! どうしろっていうんだよ!? こんなのってないだろ! こんなの……選べるわけがないだろ!」
「探してみたらいいんじゃない? 案外まだこの近くにいるかもしれないよ?」
揶揄うようなシャルシャーナの言葉に、クラリスは完全にブチ切れかけていた。
「……」
対して、ロロイは冷静だった。
冷静に、クラリスの肩と剣の柄を掴み、クラリスの動きを止めていた。
そんな二人の姿をさらに後ろから見ているアマランシアは、ロロイのその普段の姿とのギャップに多少の違和感を覚えているようだった。
これについては、少しだけまずい流れに思える。
ミトラは……
まだシュメリアの亡骸の前から動けずにいるようだった。
『生命の泉』の話と、それを得るために俺がシャルシャーナに差し出す必要があるものについては、おそらくはミトラにもちゃんと聞こえていたことだろう。
「アルバス様……」
ミトラが、小さく呟いた。
「私は……シュメリアも、アルバス様も失いたくありません」
「……だろうね」
俺の代わりに、シャルシャーナがそう答えた。
ミトラのことを紹介した覚えはなかったが……
今のミトラの言動から、ミトラが俺の妻であることは理解しているということだろう。
「シャルシャーナ様。私では、代わりにはなりませんか?」
「無理だね。お前ではアルバスの代わりにはなり得ない。それに、私の元に来るということは、結局お前はその二人を同時に失うということになる」
「……」
ミトラの顔が、悲嘆に歪んだ。
ミトラは視線を俺の方へと移した後、何かを言いかけてからその言葉を飲み込んでいた。
ミトラにとっては『シュメリアの命』か『俺との婚姻関係』か、だ。
だが、今のシャルシャーナの言葉から察するに、俺が『シャルシャーナのもの』になってしまえば、もはやこれまでの関係性は完全に失われてしまうのだろう。
つまりは『シュメリア』か『アルバス』か……
そんなのはミトラには選べない。
ミトラは、この二択を選べない。
「ではアルバス。そろそろ答えを聞こうじゃないか。それとも、ここからまた何か別の条件を出してみるか?」
「そうだな……」
『天上の秤』の左右の台座に置かれた、俺とシャルシャーナの手。
シャルシャーナ側の皿の上に置かれた『生命の泉』の小瓶。
そして、これまでに交わした取引条件の取り決め。
取引の準備は、すでに整っていた。
シャルシャーナは、この条件に完全に同意している。
「……」
あとは、俺が最後の一手を打つだけだった。
→→→→→
「俺も、この条件に応じよう」
俺がそう言うと、シャルシャーナがにんまりと笑った。
「最後は意外とあっさりとしているな。妻達と、相談はしなくてもよかったのか? 別れの言葉は、伝えなくてもいいのか?」
「……そんなものは必要ない」
「……」
少し不審そうな顔したシャルシャーナの目の前で、俺は右手を前に突き出した。
「倉庫取出」
そして、そのスキル発動の呪文を唱え……
手の中に『水魔龍の含魔石』を取り出したのだった。
「えっ……?」
一同が驚きの声を上げる中、俺はその石を天秤の皿の上へと乗せた。
その瞬間の皆の顔は、きっと驚きに満ちていたことだろう。
それは、そうだ。
俺が今『倉庫』から取り出したその石は、シヴォン大森林でアルミラとルージュによって奪い去られたはずのものだったのだから……
そして、シャルシャーナもまた。
驚きの表情を浮かべて……
いなかった。
「っ!!!」
シャルシャーナのその表情を見て、思わず俺は息を飲んでいた。
これまで、それなりの修羅場をくぐり抜けてきたつもりだった。
戦闘力ゼロなりに、ちょっとやそっとのことでは動じないでいられるつもりだった。
の、だが……
俺は、そのシャルシャーナの表情に思わず身震いをしていた。
シャルシャーナは……、笑っていた。
だがその笑顔はさっきまでの愉悦に満ちたものとは似ても似つかない。
その笑顔は、俺がこれまで見たどんな笑顔よりも恐ろしいものだった。
心底愉快そうに。
心底悔しそうに。
そして、心底憎そうに。
怒りに満ちた満面の笑顔。
そんな、いろいろな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合った顔で……
シャルシャーナは笑っていた。
そして『天上の秤』が光り輝き、シャルシャーナの側にある『生命の泉』と、俺の側にある『水魔龍の含魔石』の位置がくるりと入れ替わった。
「これで、取引は成立したというわけだな」
「……」
この商談について、俺たちが互い合意していた条件。
その一つ目は、『水魔龍の含魔石』と『生命の泉』の等価な交換だ。
そしてその次の段階の二つ目の条件として、もし俺が『水魔龍の含魔石』を持っていない場合には『俺がシャルシャーナのものとなること』でその代用とできる、としていた。
そういう、二段階の構造になっていた。
だから当然、俺が『水魔龍の含魔石』を持っていれば……
一つ目の条件が満たされて、そのまま取引が成立するというわけだった。
「こんな気持ちにさせられたのは……、本当に久しぶりかもしれない」
シャルシャーナは、狂気じみた表情でその理解し難い感情を表していた。
「つまり、水魔龍の含魔石は、初めから二つあったのか……」
「……ああ。そういうことだ」
そう……
水魔龍の含魔石は、二つあった。
「ど、どういうことなんだ?」
クラリスが呆気に取られながら呟いた。
「悪かったなクラリス。今シャルシャーナが言ったことがそのままだ」
「……二個あったってのか?」
「そういうことだ」
「そんなことあり得るのか?」
「ごく稀に、な」
通常、魔龍の含魔石は一体の魔龍から一個のみが採取される。
それは数々の魔龍の討伐譚にも謳われている、いわば常識的な話だった。
だが……
ごく稀に。
一体の魔龍から二つの含魔石が採取されることがあった。
それについて、俺はアマランシアから聞いた『魔龍は元々は人であった』という話から、ある一つの仮説を立てていた。
ライアン達が討伐した十体の魔龍のうち、含魔石が二つ採取されたのは『双炎魔龍カエンバ』という二つの頭を持つ魔龍からのみだった。
そんな双炎魔龍カエンバは、忌子であった双頭の双子を生贄として火山に落とした直後に発生したと聞いている。
ゆえに、おそらくその魔龍は元はその双子であり、双頭であったたために頭が二つとなり、それぞれの頭から一つずつの計二つの含魔石が採取されたのだと考えられる。
人一人につき、石一つ。
ゆえに、正確には『一体の魔龍から含魔石が二個採取された』わけではなく、『一体に見えた魔龍が、実質的には二体存在しており、その各々から一個ずつの含魔石が採取された』という言い方がより正しい言い方となるのだろう。
つまりそういうことなのだと、俺は考えていた。
そして水魔龍ウラムスは……
魔龍化した時、おそらくは妊娠していたのだった。
母親のウラムスが魔龍化する際、その体内の胎児までもが共に魔龍化することで、そこに二つ目の『水魔龍の含魔石』が生じた。
だからこそ水魔龍は、ロロイとの戦闘中に一つ目の含魔石ごと頭が吹き飛んでも……、体内から突き出してきた二つ目の含魔石によってそのまま身体を維持しながら、ロロイと戦い続けることができていたのだ。
シャルシャーナが、ふと何かに気づいたようにピクリと身じろぎして、それからゆっくりと顔を上げた。
「そうかアルバス。だからお前は……、最初に私が口にした『水魔龍ウラムスの含魔石』という言葉を『水魔龍の含魔石』という言葉に言い換えたのか……。つまり『水魔龍ウラムスの含魔石』を、お前は本当に持っていなかったのだから……」
「ああ……、そうだ」
『水魔龍ウラムスの含魔石』は、間違いなく黒い翼に奪われていた。
先程まで俺の手元にあったのは『水魔龍ウラルドの含魔石』だった。
ちなみにこの含魔石の名前は、ロロイの『倉庫』スキルに備わっている『変則鑑定』のスキルによって判明したものだ。
ただ、そんなところからすでにシャルシャーナには俺の対応に違和感を感じられていたとは……
もしそこでシャルシャーナにその違和感を深く追求されでもしていたら、この商談の結果はこうはなっていなかったかもしれない。
「しかし、驚いた。『妙に落ち着いているようだ』とは思ったけれど、確かにその隠し玉を持っていれば慌てずにもいられるだろう」
「……」
「私がお前を過大評価しすぎていたということか? この男ならば、このような窮地だろうと、この程度には落ち着いてことを進めていくかもしれない、と……」
「さぁ、な」
こう見えて俺は、シャルシャーナにそのことがバレないようにと内心かなり必死だった。
またそれは、水魔龍討伐の現場に居合わせた俺とロロイ以外は絶対に知り得ないことなのだが……
ロロイのことだから、たとえ俺に口止めされていても、何かの拍子にポロリと喋ってしまうことも十分あり得る。
だが、さっきまでのクラリスの反応を見る限り、ロロイは本当にキチンと約束を守っていたようだった。
ちなみにそれを隠したことに、最初はそこまで深い意味はなかった。
何かの商談の際、相手が一つだけだと思いこんでいた『水魔龍の含魔石』が、『実は二つあった』という話になれば、その絶対価値は単純な計算でも倍に跳ね上がる。
それを、なにかの時に手札として使えやしないかと思い、隠し玉として仕込んでおくことにしたのだ。
それを仕込んだ時点では。
こんな重要な局面で、こんな切り札じみた使い方をすることになるとは、全く想像もしていなかった。
「ああ、これは本当に予想外。でも、本気で気付こうと思えば、もしかしたらどこかで気付けていたかもしれない。ああもう、本当に、こんなに悔しくて楽しいのは久しぶり……だ」
シャルシャーナは、そう言ってずっと一人で笑い続けていた。
→→→→→
「アルバス様!!」
ミトラの声で、ハッと我に返った。
「すぐに行く!」
そして、シャルシャーナとの取引で手に入れた『生命の泉』の小瓶を手にシュメリアの亡骸へと走った。
シュメリアの亡骸の頭を持ち上げて、その口に『生命の泉』を含ませる。
小瓶の中の液体は、吸い込まれるようにして全てシュメリアの口の中に入っていった。
そして……
皆が見守る中、青白く変色していたシュメリアの顔にはみるみる血色が戻っていった。
「あ……、ああっ!」
そしてその身体中の傷口からは、再びどくどくと脈を打ちながら大量の血が溢れ出してきたのだった。
「本当に……生き返った!」
止めどなく溢れ出る血は、シュメリアの命そのものだ。
みなぎる生命が、血となって全身を駆け巡り、傷口から溢れて次々と流れ出していた。
「今のうちに傷を塞ぐぞ! すぐにシュメリアをカリーナのところへ!」
「いや、シュメリアは動かさない方がいい。私がカリーナさんを連れてくる!」
そう言って、クラリスが俊足スキルで走り去っていった。
「ああっ、いい! 目的は果たせなかったけど、今のはとても良い商談だった」
シャルシャーナは、完全におかしくなっていた。
いつもの飄々としたさまは鳴りを潜め、ぶつぶつと何かをつぶやきながら、狂気じみた言動で全身で『何か』の感情を表していた。
そして、ふと真顔に戻った。
「アルバス。私の求婚を断ったのは、ジルベルト・ウォーレンに引き続き、お前で二人目だ。そして、なんのペナルティもなしにこうして私を出し抜いたのは、お前が初めてだ」
そう言って、再び心底悔しそうに笑ったのだった。
「しばらくは今の商談を思い返すだけでいくらでもイケそうだ。礼と言ってはなんだが、部下達にはしばらくお前達にちょっかいを出さないように言っておこう」
「……」
「楽しい時間をありがとう。では、また……な」
そして、シャルシャーナは……
そのまま高笑いをしながら去って行った。




