10話 黒い光景
鈍い痛みに目を覚ませば、欠けていない空が広がっていた。
どうやら、元の世界に戻ってきたらしい。
「いつまで寝てんだテメェ!!」
「けが人は丁重に扱えって教えられなかったのか。お前」
ケガ人関係なく蹴り起こす斎藤に、外傷とは別に頭痛がする気がしたが、肌が焼ける熱に体を起こせば、目の前に広がっていたのは地獄を具現化したような光景だった。
悲鳴と雷鳴、灼熱の風が肌を焼き、ただそこにいるだけで命を削るような世界に立っていたのは、ひとりの少女。
「起きたと思ったら、いきなりこれだ」
最初は風鬼の姿に楽し気に笑っていたという。だが、その笑みのまま、この光景が作り出された。
「どうにかできるか?」
自分と全く同じ表情をする九条に、
「だよなぁ」
斎藤も同意するしかできなかった。
その光景に震撼していたのは、九条たちだけではない。むしろ、敵認定をされている土屋たちの方が、恐ろしかっただろう。
日向の能力を見誤った。対魔の能力者であることも大量の精霊と契約していることも知っていたはずなのに、彼女に負けることはないと、鬼さえ抑えられれば容易に勝てる相手だと思ってしまった。
目の前で、フィードバックも恐れず大量の精霊と遊ぶように、踏み荒らしていく彼女に、石蕗は喉が灼けることも厭わず息を吸った。
「師匠は悪くない……!! だから、師匠は見逃してくれ……!! 俺はどうなってもいい……頼むっ……!!」
地面に膝をつき、情けを請う。
目の前に立つ人の姿をした鬼へ、命乞いを。自分の命ではなく、大切な人間の。
「ダメだ……! やめろッ!!」
土屋の叫ぶ声が響く。
「鬼に情けは、効かない!!」
悦を求め、そのために邪魔者を淘汰する存在に、命乞いは意味をなさない。
それどころか、
「そっか。よくわからないけど、邪魔」
言葉の意味など理解する気もないそれにとって、目の前に座り込むものは、邪魔で仕方ないだろう。
手を構えれば、雷が楽し気に鳴る。
「やめ、ろ……!」
間に合わない。黒い鬼の炎に灼かれる痛みなど無視して、手を伸ばす。
「――――」
目の前を通り過ぎて行った短刀に、声はかき消され、日向は数度の瞬きの末、不思議そうに投げた男へ目をやった。
「なに?」
「なに? じゃねーよ」
頬が引きつる。
今まで相手してきた不良たちやカクリシャ、カクリモノとは全く別の恐怖が、斎藤を背筋を震わせる。
***
「斎藤。護衛もそうだが、もっと大事なことをお前に頼む」
それは、出発前に榊から言われた言葉。
「結城に自分の意思で人を殺させるな」
「は? アイツ、ぜってーもう何人か殺してるでしょ」
武装者とは違い、使役者だ。しかも、精霊を従えるタイプであれば、自分の意思とは別に殺人を犯している可能性は高い。
事件の被害数でいえば斎藤の方が多いが、あくまで武装者は犯人が分かりやすく、結び付けられるからだ。
精霊が行った事件は、必ずしも使役者が犯人に結び付けられるわけではない。むしろ、一般社会では結び付けられないことの方が多い。そして、その被害は甚大なことが多い。
「あくまで、結城がはっきりと認識できる範囲で、だ。精霊たちが殺した分には、テレビで見る戦争番組みたいなもんだ」
ゲームと同じ。コマンドは入力しても、肌で感じるわけでもなければ、実感もないだろう。
精霊は天災と称されることもある。手心や加減というものは知らないし、考えも違う。
ただのコミュニケーションエラー。人間同士でもよくあることだ。
「ただでさえ、結城はそういう一線を軽々踏み越えられるタイプだ」
「んじゃ、無理じゃねェっすか?」
「そこはご両親に感謝するとしか言えないが、あいつは普通でいようとしたり、頭もいいからその先の不利益も理解してる。だから、一線を認識だけはしてる」
”認識だけ”は。
「お前の言った通りだよ。アイツはお姫様なんかじゃない。魔王側だ」
―――― 一度、その線を踏み越えたら、誰も止められなくなる。
はっきりと感じる。榊の予感が偽りではないことを。
「さっきから、ボコスカボコスカ! こっちの迷惑考えやがれ!!」
なにか気の利いた言葉? そんなもの、自分ができるわけない。
普通やまともなんて認識しかしてない言葉を、無責任に吐いてみろ。その唾は自分の脳を貫く。
「慰謝料請求すんぞ!!」
なにが正しいかなんてわからない。
それは、アイツも同じ。
わかっていれば、くだらないことでクヨクヨ悩まない。
なら、自分の心のままに叫ぶしかない。
その方が、後悔はない。
「慰謝料って……ちゃんと意味わかってる……?」
「バカにしてんのか!? テメェ!!」
「あぁ、カツアゲで使うから……使う、の?」
不思議そうに首を傾げる日向に、斎藤も声を上げる。
そんなやり取りを見ながら、九条は唖然としていて、声を上げることができなかった。
「ふざけんな! テメェぶっ殺す!」
「え゛……相変わらずただのチンピラ……ちょっと待ってよ。今は……あれ?」
気が付けば、いたはずの何かが消えていた。
土屋の姿も無ければ、溢れかえっていた使い魔や式神もいない。いるのは、自分たちだけ。異様な静けさだけが鼓膜を震わせていた。
「…………」
不思議な安心感と浮遊感に誘われるまま、日向は目を閉じた。




