37:二人目の黒い騎士
「物置への階段が、別の階段に変わるなんて」
「この空間は、そういうものだからな」
狭い階段をランプを片手に降りる。ラクサのときのように松明で明るくなることはなく、足を踏み外さないように慎重にだ。
落ちても受け止められるからとラクサが先行しようとしてくれたけど、私が先に行くことにした。そもそも他の神が封じられている場所に彼が入ってよいのかと訊ねたら、「うーん」と悩むような様子を見せたからだ。
踊り場はすでに見えなくなっている。壁が出現したのだ。階段と神殿を繋ぐ場所が塞がれてしまうのは、ラクサのときと同じだった。
「不思議な空間なのはわかってたけど……」
こんな変わった仕掛けなら、ゲームでももっと詳しく描写されててもいいのに。
チドリたちからの手紙でここを確認した神官長は、地下の物置への階段が悪神の封じられた部屋への階段に変わるのを見てどう思ったんだろう。「連絡通り広間を探したら、隠し階段がありました」程度の表現で終わらすものだろうか。
そんなことを考えつつ、慎重に階段を降りた先にあったのは大きな石の扉だった。
念のため周囲を軽く照らして確認するけど、私たちより前にやってきた人の痕跡らしきものはない。
扉に手を伸ばそうとすると、ラクサが待ったをかけた。
「マツリ、手を繋いでおいていい? 俺と触れていれば、君に少し力を分け与えられる。石に力を込めすぎても倒れなくてすむ」
「え、えっと」
「嫌なら無理には言わないけど」
「嫌じゃない! けど、ほら、少し……照れるのよ。うん。人と手を繋ぐことって、日常的にないしね!」
早口で弁解する。ラクサと繋ぐのが特別照れるけど、それを知られるのもなぜか恥ずかしい。
「あ、そうか。そうだな」
「あなたは気にしないかもしれないけど、私は――」
「待て。俺だって普段からこんな簡単に手を繋ごうなんて言わない」
「そっか。今は事情があるから」
「ああ。事情があるときくらいしか俺だって……いや、でも違うかも。マツリ以外だとあんまり手を繋ぎたくない」
「え?」
「ん? あれ? なんか俺、おかしなことを言ったな」
珍しく混乱した彼が、ぱちぱちと瞬きしている。
私も同じように瞬きしながら彼を見た。
「手……どうする?」
どこか私の様子を窺うように、頼りない声で確認された。
「つ……なごうかな」
ぎこちなく答えて、そのまま互いにぎこちなく手を繋ぐ。私の緊張が彼にまで伝染してしまったみたいだ。
もっとさくっと、「このほうがいいから」「ありがとう」ですませられることのはずなのに。
「と、扉を開けるわ!」
変な雰囲気なのが落ち着かない。わざと明るく宣言すると、私は扉に手を当てた。
ドーム型になった高い天井。家具も何もない場所。ランプの灯りを反射する綺麗な石造りの床。
ラクサと出会ったときと同じような部屋が、そこにはあった。
違うとすれば、火の灯った燭台がないことくらい。
部屋の中は真っ暗だったけれど、「何かがそこにいる」ということだけは感じ取れた。
灯りを掲げると、部屋の中央に立つ人影があった。
「俺は……」
呟きながらこちらを振り向いたのは、黒い服に身を包んだ一人の男性だった。白に近い、薄い灰色の髪に……金色の瞳。神の瞳の色だ。
「あなたが黒い騎士と呼ばれた神様ね?」
「どうして俺はここに封じられていた?」
人の質問を無視するのは、神様らしい傲慢さだろうか。
「世界を滅ぼそうとした黒い魔女、ってわかるかしら」
「『封じられた黒い魔女』。あれを解き放つと面倒なことになる」
まるで暗記した文章を読むがごとく、彼ははっきりとそう言った。ラクサと同じだ。ということは。
「その封印が解けかけているから、一緒に封じ直すのを手伝ってほしいの」
彼は敵じゃない。自信はあったけど、それでも不安がないわけじゃなくて、繋いだままになっていたラクサの手に力がこもってしまう。優しく握り返してくれるから、小さく息を吐いて気分を落ち着ける。
静かに近づいてきた彼は、射抜くような視線を私に向けた。
そして隣のラクサにも。
「どういうことだ?」
「彼女の言う通り。この世界は危機にさらされているらしい」
「あー、そうか。だめだ、よほど封印が強力だな。この体には記憶がない。俺は何を思って人間の姿をとったんだ……」
なんだか出会ったときのラクサと同じようなことを言ってる。
神としての彼のほとんどはこの空間に封じられたままでいて、一部の力をそこから逃がしてこうして人の形をとっている。だけどそこに割ける力があまりに小さすぎて、本来持っているはずの不思議な力どころか、記憶さえ曖昧になっている――というやつだ。
もしかしたらラクサよりも覚えていることが多くて、伝承にある黒い騎士との矛盾の謎が解けるかもと薄く期待していたけど、無理そうだな。
「ラクサ、お前は覚えてんの?」
「残念ながら俺も同じで曖昧なままだ。人の間で伝わっている情報なら、彼女のおかげもあって大体知ってるけど」
「ねえ、ちょっと。お互いのことわかるの?」
灰色の髪の彼は、何を言ってんだこいつ、みたいな視線をちらりと向けてきた。
「そりゃ、こいつとは結構長い付き合いで……あれ? 付き合いだよな、俺たち?」
「そのはずだ。俺もお前と長い付き合いだなってこと以外の記憶は曖昧なままだけど」
疑問符を浮かべる私に、ラクサが説明してくれる。
「力はほとんど封じられたままとはいえ、二人も神と呼ばれる存在が揃ったからな。相乗効果で少し思い出せたんだろう」
「そういうもの?」
「そうでなければ――」
ふと考えるようにラクサが黙り込む。
話し相手が黙ってしまったからか、ようやく灰色の髪の彼が私に注意を戻した。……酷い殺気と一緒に。
「それで? あんたは俺を封印した人?」
「ち、違うわよ!」
封印された黒い騎士は、初対面の私に必ず一度は殺気を向ける決まりでもあるわけ。急に体がぴりぴりするほどの威圧感を出されて、必死で叫ぶ。
「やめろ。彼女は違う。彼女は『封じられた黒い魔女』が解き放たれて世界が終わるのを、止めようとしている。俺たちにできるのはその手伝いだ」
「ふうん……」
「彼女からは人ではない気配がする。こうなるよう導いた存在がいるんだ。どうしてこんな方法をとったかは知らないが」
「まどろっこしいな。だがまあ――」
彼は私たちの間を見てから、納得したように頷いた。一拍遅れて、私たちの繋いだ手を見たのだと気付く。途端に恥ずかしくなって外そうとしたけど、ラクサがしっかり握っているせいで無理だった。
「ラクサが言うなら、そうなんだろ。じゃあ俺はあんたと協力して世界を守ればいいんだな?」
「ざっくり言えばそうなるわ」
「なら、これからよろしく」
軽い感じで言われる。
「よろしくね」
にっと彼が笑う。敵意はない。ラクサのことは信用しているみたいだから、私のこともとりあえずは信じてくれるんだろう。
さっきの、容赦なく人間に殺気を向けられるところ。さすが悪神なんて呼ばれるだけのことはあるな。
そんなことを密かに考えていたら、灰色の髪の彼が予想もしなかった物騒な言葉を吐いた。
「それにしても、あんたってさ」
「なに?」
「いつかどこかで、俺が殺し損ねたヤツに似てる気がするよ」
ひゅっと息をのむ。「おい」とラクサがけん制すると、「悪い、悪い」と灰色の髪の彼は軽い調子で謝ってくる。
本当、悪神って呼ばれるだけのことはある……。
最初に解放する相手がラクサでよかった。珍しく、私は幸運に感謝した。




