第1話 観測戦
人通りが多い、夕飯時の駅前。
歩道橋の下を通過する、車のテールランプが赤く伸びてゆく。
駅前アーケードの明かり。
かすかに聞こえてくる駅のアナウンス。
俺は、歩道橋の中ほどに立ち、スマホを構える。
画面越しに、信号待ちをしている男を映す。
ピピピピピッ、と小さく音が鳴り、カメラが自動で輪郭を認識した。
男の身体が赤い線で縁取られる。
【対象を確認】
【ランク:B】
【地域ボス】
駅前商店街会長。
見慣れた顔だった。
朝は犬の散歩をしていて、イベントのときは半被を着てはりきっている。
近所の掲示板の張り紙に、いつも名前が載っていた。
現実では、ただそれだけの人間だ。
だがアプリの中では違う。
【影響力:92】
【信頼度:81】
【拡散性:94】
思わず、眉間をこする。
並んだ数値は、そこらの者たちとは比べものにならなかった。
まるで、この街そのものに根を張っているみたいだった。
だが、単独でいる今がチャンスだ。
よくつるんでいる、一番厄介な定食屋の親父もいない。
この時間帯は、店が忙しいに決まっている。
無言で『仲間』のボタンを押す。
アイコンがずらりと並ぶ。
大学生。
会社員。
スーパーの店員。
塾講師。
高校生。
全員、自分が撮影した人間だった。
最初は抵抗があった。
勝手にカメラを向けることも。
情報を見ることも。
でも今は、自動販売機でジュースを買うのと同じくらい自然にできる。
俺は、画面中央の赤いボタンを押した。
【観測戦を開始します】
パシャリ、とシャッターの音。
直後、画面の中で戦闘が始まった。
現実では何も起きない。
駅前商店街会長は、横断歩道の前で腕を組んでいる。
赤信号を、退屈そうに眺めていた。
しかし、スマホの中では違った。
仲間たちのアイコンが、次々と駅前商店街会長にぶつかってゆく。
何度も。
数値が削れていく。
高校生が最初に落ちた。
だが、それは最初から想定内だ。
会社員のスキル『足を棒に』が発動する。
観測ログが流れ続ける。
【地域接続数を確認】
【交友ログを解析中】
俺は、ぼんやりとそれを見ていた。
以前は、この表示を見るたびに罪悪感を感じた。
他人の人生を、勝手に覗いているようで落ち着かなかった。
でも、もう慣れてしまった。
むしろ、見えない方が落ち着かない。
誰が何を考えているのか。
誰と繋がっているのか。
自分をどう思っているのか。
分からないまま会話する方が、今では怖かった。
分からないまま、普通に人と話していた『以前』の方が、もう遠い。
「……おっ」
駅前商店街会長の頭上に表示されたバーが、最後まで削れきった。
安っぽい爆発のエフェクトが弾ける。
【撃破! 観測成功!】
中央に金色。
ほぼ同時に、スマホが震えた。
アプリを、ネットバンキングに切り替える。
新たな入金があった。
金額は、二万三千六百円。
多くもなければ、少なくもない。
妙に現実感のある数字だった。
それを見て、俺は小さく息を吐く。
最初に入金された時は、本当に怖かった。
詐欺かもしれないと思ったし、警察に相談することも考えた。
だが、結局何もしていない。
金は、実際に現金化できた。
アプリは便利だった。
そして、自分はもう使い続けていた。
理由なんて、それで十分だった。
その時、画面の右上が点滅した。
「んっ!?」
新しい通知。
【新たな対象を検知】
画面の中で、ソナーの輪が広がる。
左側で強く反応していた。
スマホを左へ向ける。
目を見開いた。
俺のゼミの教授だった。
【ランク:S】
【分類:地方ボス】
表示された情報を見て、少しだけ口元が緩んだ。
駅前商店街会長なんて、比較にならない。
【影響力:252】
【信頼度:189】
【拡散性:281】
思わず、眉間をこする。
もう一度、こする。
桁が違った。
まるで、この街よりもっと大きな何かに繋がっているみたいだった。
今は、まだ太刀打ちできない。
しばらく、その数値を見つめる。
知らないほうが幸せなことがある。
そんなの嘘だ。
一度知ってしまえば戻れない。
人の不幸は、蜜の味。
教授を倒して得られる金よりも、抱えている秘密のほうが気になる。
このアプリは、それを教えてくれる。
「くふっ……。」
俺は、スマホをポケットにしまった。
車が行き交う音が止む。
横断歩道の信号が青に変わり、人々が動き出す。
その全員の頭上に、数値が浮かんで見える気がした。
もう、一週間前には戻れない。
このアプリを入れたのは、ただの好奇心だった。




