21.そして
———あれから、一年と少し経ったある日
「トマス! 右!」
「分かってる!」
トマスは木剣を構えると相手の肩が動いた。
来る。
「……っ!」
ガンッ!
木剣同士がぶつかる。
「お。」
「受けた!」
「今のは僕も分かった!」
「いちいち言わなくていいよ!」
周囲から笑い声が上がる。
「うるさいな!」
トマスも笑いながら、木剣を構え直した。
あれから一年以上が経った。
相変わらず、剣術が得意なわけではない。
運動神経が急によくなったわけでもなければ、試合で活躍するようになったわけでもない。
それでも、続けていた。
最初は一度だけ、嫌だったらやめればいい…そう思って出た試合だった。
けれど次も誘われた。
そしてその次も…。
断った日もあったし、見学した日もあった。
それでも、いつの間にかトマスは、剣術の時間になれば普通に木剣を手に取るようになっていた。
「ほら、次!」
「ちょっと待って!疲れた!」
「まだ始まったばっかだろ!」
「お前体力ねえなあ!」
昔から何度も言われている。
けれど今は、それを聞いても別に何とも思わなくなった。そうこうしてるうち、やがて休憩を告げる声が掛かる。
「疲れた……。」
トマスは木剣を肩へ乗せた。
「お前、本当に体力つかねえな。」
隣を歩いていた友人が笑う。
「ついたよ。」
「どこが?」
「昔よりは。」
「へえ、どのくらい?」
「……少し。」
「そんなもん誤差だろ。」
「うるさいなあ。」
トマスは笑いながら友人の肩を軽く押したその時だった。
「——何よ、その態度!」
少し離れた場所から、女の声が聞こえた。
「……?」
トマスは何気なくそちらを見ると数人の令嬢が立っている。
そしてその向かいに、一人の女性がいた。
「……。」
長い髪はきちんと整えられている。
昔は目元まで覆っていた前髪も、今は顔が見えるように横へ流されていた。
相変わらず華やかな美女ではない。
と言うか当然ではあるが顔立ちそのものは、あの頃から大きく変わっていない。
けれど荒れていた肌はきちんと手入れされ、髪も服装も清潔に整えられており、淑女という言葉がピッタリだった。
そして何より今は俯いていない。
背筋を伸ばして、相手を見ていた。
そう、見間違えるはずがない。
「……エマさん?」
「知り合い?」
友人が尋ねるがトマスは答えなかった。
令嬢の一人が、エマを睨みつけている。
「少しくらい身なりを整えたからって、いい気になってるんじゃないわよ。」
「……。」
エマは黙っている。
「何よ、その目。」
「……。」
「昔はもっと従順だったくせに。」
令嬢が吐き捨てるように言う。
「最近ちょっと人に相手にされるようになったからって、調子に乗ってるんじゃない?」
「……そのようなつもりはございません。」
「はあ?」
令嬢の顔が歪んだ。
「その澄ました顔が気に入らないのよ!」
声が大きくなる。
周囲にいた何人かが振り返った。
「不細工のくせに生意気なのよ!」
「……。」
「何よ!」
エマが黙っているのを見て、令嬢はさらに声を荒らげる。
「そんな顔でよく恥ずかしくないわね、このブス!」
その瞬間、トマスの手から木剣が落ちた。
「え?」
友人が振り返った時トマスはもう走り出していた。
「エマさん!」
「おい!?」
後ろから声が飛んでくる。
「トマス!?」
エマさんが危ない…そう思った瞬間には、もう身体が動いていた。
昔の自分なら、きっと考えた。
——自分が行ってどうする。
——余計なことを言って、もっと揉めたら。
——と言うか人前で何か言えるのか。
けれど今は、そんなことを考えるより先に走っていた。
「おい、待てって!」
友人も後ろから追いかけてくる。
トマスは真っ直ぐ、エマのところへ向かった。
けれど。
「……ええ。」
エマの声が聞こえた。
トマスの足が少しだけ緩む。
エマは相手を見ていた。
「自分が美しくないことは、自分が一番よく存じ上げております。」
「……!」
トマスの足が止まった。
令嬢も一瞬、言葉を失った。
「だったら——」
「ですが。」
エマは静かに遮った。
声は大きくないし少しも怒鳴っていない。
「見た目が美しくないからといって、侮辱してよい理由にはなりません。」
「……っ。」
「あなたは、美しくない者に対してなら、何を言っても、何をしてもよいとお考えなのでしょうか?」
「そ、そんなこと言ってないでしょう!」
「では。」
エマは相手から目を逸らさなかった。
「今後はおやめください。」
「……。」
令嬢が顔を赤くする。
「なによ……偉そうに。」
「私はただ…」
エマは答える。
「ただ、嫌なことをやめてほしいと申し上げているだけです。」
「……っ!」
令嬢は何か言い返そうとした。けれど、周囲の視線に気付いたのか口を閉じた。
「……行くわよ!」
連れの令嬢たちへ声を掛け、その場から立ち去っていく。
「…………。」
トマスは少し離れたところで、呆然と立っていた。
自分が何かする前に全部終わっていた。
「おい、トマス……!」
遅れて友人が追いついてくる。
「お前意外と足早いのな…。」
「……。」
友人も状況を見る。
普通に立っているエマと去っていく令嬢たち。
そして、何もせず立ち尽くしているトマス。
「…てかトマス?」
「……。」
「解決してねぇ?」
「……うん。」
「じゃあお前、何しに来たんだよ。」
「……助けようと、思って?」
「何もしてねえじゃん。」
「……うん。」
「ふはっ。」
友人が呆れて笑った。
その声に気付いたのか、エマがこちらを見る。
「あ……。」
目が合った。
「トマスさん。」
「エマさん。」
トマスは慌てて近寄る。
「大丈夫だった!?」
「はい。」
「何かされた?」
「いいえ。」
エマは首を振った。
「少し言われただけです。」
「……そっか。」
「はい。」
「……。」
「……?」
エマが首を傾げる。
トマスはエマの顔をじっと見た。
「……今の。」
「はい?」
「すごかった!」
「えっ!?」
エマが驚いて目を瞬く。
「僕だったら、たぶん途中で声裏返ってる。」
「……。」
エマは少しだけ困ったように笑った。
「私も……少し震えていました。」
「そうなの?」
「はい。」
トマスがエマの手を見ると指先が強く握られている。
「……全然分からなかった。」
「……よかったです。」
エマは小さく息を吐いた。
「すごく、怖かったので。」
「……。」
「途中で、何も言わずに走って帰ろうかと思いました。」
「そうだったんだ。」
「はい。」
「……。」
トマスは少しだけ笑った。
「でも、言えてたね。」
エマは一瞬黙ったあと
「……はい。」
少し照れたように笑った。
「言えました。」
「……。」
「……。」
二人とも、なんとなく黙る。
すると。
「なあ。」
横から友人の声がした。
「……。」
トマスが振り返る。
「何?」
「いや、何っていうか……。」
友人は二人を交互に見る。
「お前ら、何の話してんの?」
「……。」
「……。」
トマスとエマは顔を見合わせた。
「別に……。」
「昔の話?」
「何だよそれ。」
友人は眉を寄せて言った後ふと後ろを見る。
「ていうかトマス。」
「ん?」
「お前、剣。」
「……剣?」
「向こう。」
指差された方向を見る。
「……。」
かなり遠くに、木剣が一本転がっている。
「あ。」
「『あ』じゃねえよ!」
「忘れてた。」
「なんで忘れてんだよ!お前がいきなり放り投げたんだろ!」
「……拾ってくる。」
「当たり前だ!」
トマスは肩を落としたのを見てエマが思わず笑う。
「……行ってらっしゃい。」
「うん……。」
トマスは数歩歩いたあと一度だけ振り返るとエマはまだそこにいた。
昔のように前髪で顔を隠してはいない。
背筋を伸ばして、少しだけ照れくさそうに、それでもきちんと顔を上げて。
こちらを見ていた。
「……。」
トマスは小さく笑った。
そして、放り出した木剣を拾いに走っていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
何か起こりそうで、結局大したことは何も起こらない、地味な二人が地味に成長するお話でした。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。




