30. 気になる隙間と、こっそり埋めちゃうあたしのはなし
今晩、妖精スフレが気になったのは、レイジが名前を書いてた書類。それは家の契約書。ちらりと見てて、ひとつ気になっちゃって眠れない。別に魔法とか契約内容とかそういう話じゃ無いんだけれど……。
妖精スフレと魔法使いレイジの、少し甘い日常のひとコマ。毎回独立、一話完結の掌編。
※イラストは AI生成(ChatGPT)です。
「ああ、これか?家の契約書だよ。」
レイジの仕事終わりかけ。
それは、あらかた片付いた机の上に、最後に載せられた紙だった。
あたしは翔びもせず、机の上のインク壷の、更に上に回覧板の板を乗せ、そこにお尻をのせて、ふらりふらりと揺れていた。
ぱたぱた足でバランスしながら、危うくなったらぴぴっと翅で補助して遊んでる。
契約書は、いつもと少し色が違う紙。
何やら番号と……、判で押した硬そうな大きな四角が並んでる。
「形式上、一年契約なんだ。そろそろ更新しなくちゃいけない。」
さらさら、さらさらと紙の上を流れるペンとその軌跡。澱みなく、ブレ無く、整列していく文字たち。
描かれる行進は……、見てて不思議と面白い。
上手いなぁ……。
目が細まっていく。
自分には決して真似れない、大きさ速さに丁寧さ。
人化すれば……?
…………無理。粗が目立ちにくいという[[rb:最大の利点 > 小ささ]]を捨て去ったあたしが勝てる相手じゃない。
川の流れのように見ているうちに、ふと気づいた。
「れ・い・じ。名前だね。」
「ああ、住人の名を書くところだからな。」
「ふーん、隣の枠は?」
「関係を書くところだよ。
契約者は僕で、僕の名前だから『本人』だな。」
大きな枠に、ひとりの名前。まだまだ、空きはありそうだけど……。
「ふーん……、ふぁあ……。」
あくび混じりの返事で、レイジに苦笑されちゃった。
「寝るか?」
「もう、終わったの?」
ひらり、勢いつけて空中へ。傾く板を支えつつ、片手を上げてうーんって伸び。
身体を反らし……その勢いで後ろ周りに一回転。
レイジがこっちを見てたから、そのまますぽっと、頭に飛び込んだ。
「紙一枚だからな。これで明日、役場に出してそれで終わりさ。」
レイジが丁寧に畳んで、契約書を鞄に詰めた。
終わって、近づいてきた手を迎えると。
五つの指は、代わりばんこにあたしを撫でて解してふにゃふにゃに。
ぺしょっと落ちて、あたしはすっぽりレイジの手のひらへ。
「じゃ行こうか。思ったよりも遅くなってしまったしな。」
「……うんっ。」
内側でややくぐもった声を聞きながら、あたしは彼の手に乗り、さわさわ翅で隙間を広げてもらいつつ、ぬくぬくと運ばれて行った。
◇◆◇◆
………………というのが、ついさっき。
あんなに絆されてたのに。
寝付けず、抜け出してきてしまった。
だってその……、うっかり気になってしまったから。
戻ったのは書斎。最後に立ち寄った場所。
レイジの鞄に飛び込み、契約書を運び出す。
ちょうどあたしくらいになってる紙を机に戻し、ぱたんぱたんと開いて広げる。
さーっと上から眺めれば……。
ーーあった。
レイジ、と書いてるだけの、すかすかの枠。
その近くから始めて、ぐるりと上から下まで眺める。けれども思った通り、やっぱり無い。
あたしの名前。
そりゃ、その……ヒトだけしか書かなくて良いんだろうけど……。
必要なんて、無いんだろうけど……。
文字のレイジを、何度か手でなぞって……、迷って、そして……。
ふぅ、とひと息。
自己満足。意味ない、何も変わるわけじゃ無い。
……なんて気取って、目なんか閉じてみたりしたけれど。
とくん、とくんって胸から生まれ、耳の奥、頭の中を震わす鼓動。
手足はぴんと伸ばしたものの……。
翅が堪えていられずに。ぱたりぱたりと翻る。
指は文字から離れない。
……だってあたしは、その『意味がない』をしに、わざわざ起きて来たんだから。
理性の最後の説得を、首を傾げてずり落とし。
ペンを腕に抱える。
そして一息で、レイジの下に書き込んだ。
す・ふ・れ……、って。
並ぶ、レイジとあたしの名前。
決して、狙ったわけじゃないけれど。彼は下付き、あたしは上付き。
線を挟んで、寄り添って。
あたしの名前からレイジへ、指で摘むように橋渡し。
綻んだ。ふふって漏れて顔がにやけちゃう。
小さなあたしも、文字ならちゃんとレイジの横に。見えて並んで、枠まで貰って。彼とおんなじ一人前。
そよそよ、そよそよ、靡く翅。
むずむずしてる唇をきゅっと結んで落ち着ける。
……じゃあ、隣の四角い欄は……。
レイジの横にある文字は、本人。
だったら、あたしは……?
知人?友人?同居人?彼女?
そんな迷いを、ふりだけしつつ。
立てかけた回覧板に視線を落とす。
さっきまで座ってた紙は、村会の会員表。
村内の、見知ったヒトたちの名前がずらり。それと一緒にカンケイが。
……だから、知ってる。これと同じに書けば良いんだ、って。
父、母、妹、弟……、娘、姪や甥、それと……。
ふらふら視線が彷徨って、目当ての文字の上をつるんと滑って、まわってズレていく。意識し過ぎて、なんだか過剰にどきどきしちゃう。
文字、文字だけなんだから。
だからさ…………、いいよね?
レイジは、書き終わったと思ってるし。
これはそういう……カンケイを決める書類じゃないし。元通り畳めばわからないよね?
ぱたぱた翅で身体が浮いて、爪先でぎりぎり留まって。
ふわっと浮かんだ気分のままで、書き込んじゃう。
妻、って。
レイジの下に、並んだ文字たち。
『妻 スフレ』
「ーーっ……。」
やっちゃった……。
なんでもない、何でもない。
何にも変わらない。変わらないんだけど……。
なぞって触れた指先が、熱くなる。
翅は翔ばないまでも、ずっとひらひら動いてる。
手のひらを握って、開いて、胸に添えた。
感じる手の下は、早鐘を打ち過ぎて、ずきずき痛む域に達してる。
目を細め、息を緩めながら、気持ちを……沁み渡らせる。
落ち着かないまま、そわそわのまま、感じるままで全身に。
胸から背中に、翅に……大きく伸ばしてめいっぱいに受け止める……。
目をぎゅっと瞑った。
その一瞬。光も、音も、息も、何もかもが遠くなる。
「………………。」
上向きにふぅぅと長い息、名残惜しくも留められない分を見送った。
かたん……って音に、びくぅと肩がはねる。
思わず、とんっと蹴って翔びかけて、大きなジャンプですぐ終えて、紙のあたしの上に着地した。
「……か、風の音。」
鳴ったのは、ドアとは逆方向。
外を吹きゆく風が窓を揺らした音だった。
静かに耳を澄まして、息を吸って。
それから、ふぅーって吐き出した。
……やっちゃった。
今度のやっちゃった、は少しばかり冷えた頭で呟いたもの。
何にもならない。ただの……書類への悪戯。
……なんだけど。勝手な妄想なんだけど。
文字を見ているそれだけで、胸がきゅぅと縮まって、ずっと浸ってたくなる感覚が全身に広がってく。
じわりじわりと滲んで身体が熱くなる。ほのかな……しあわせの甘み。
……しまわないと。
思って、畳もうとして……。
ふと、もうひとつの空欄に気づいた。
あれ……?これって……。数字の欄……?
さぁあ……、とにわか雨を被ったように心と頭が冷えていく。
……埋めたくない。
けど、埋めないと、不備で引っかかるのは間違いなく……。
引っかかればもちろん……、レイジに見つかっちゃう。
「むむむ………、むむむむむむ………。」
悪戯の罰、そういうことなのか。
あたしはひとり、深夜まで悩み続けることになった……。
◇◆◇◆
ーー翌朝。
村の役場に書類を出して家路につこうとしたところ、受付のアリサさんが僕を呼び止めた。
「あ……、レイジさん。」
「これ……。祖母か、大叔母とかの間違いですかね?」
とんと、指された机の上の紙。
そこに並んだ、妙なフォルムでデコボコのイモのような文字と、隅に小さく書かれた3桁の数字。
「家族構成、レイジさんから見た関係でいいんですよ。あと訂正は、横線二つで。」
「……なるほど。」
思わず口角が上がる。
昨日やたら遅くにベッドに帰ってきた彼女、用を足してきたにしては長いなと思っていたら……。
「不備にはならないですけど、変ですし。直しときましょうか?」
「いや……いい。記念に、このままで。」
あらあら?って不思議そうに呟くアリサさん。
彼女の仕草を尻目に僕は役場を後にして、カバンから棒付きの飴を取り出した。
それは先程買った「妻」への土産、そのうちのひとつ。
握った棒を目の高さに、軽く持ち上げる。その先には茶色がかった半透明の飴。
……そうだな、ちょうどこんな大きさか。
『風繰』
放つ。得意にして唯一の、風の固有魔法。
風を操り、飴を細く伸ばして巻いて、朧げなスフレの形を模った。
出来は、……まぁ修行が要るな。
顔の前で持ち上げて、むくれた顔の出来栄えの彼女をクルリと回す。
さて……。書類のことは、怒るべきか、それとも黙ってるべきか……。
すると頭が重かったか、飴のスフレが傾いた。
「おっと……。」
思わず顔で支える。
するとその隙に、小さな手がちょうど唇に触れてきた。
……飴でも。スフレはスフレであるらしい。
「……分かったよ。」
呟き、頭を元の位置まで押しやって、陽に翳す。
何やら艶と煌めきを増して、実に楽しそうな琥珀色。
……思えば最近、篭もりきりだった、か。
「どこか、一緒に出かけてもいいかもな。」
してない約束、白紙の計画、そして飴なスフレ。
何もかもが仮。だが……その輝きに押され、僕は遠くの青空に行き先を描き始めていた。




