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おひさまパンと亜麻色の髪 〜不器用な王子は、パンの湯気に恋をする〜  作者: 初 未来
第二章〜宮廷の宝石パンと、街角のおひさま〜

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第11話 おひさまの招待状

 嵐が去った後の街は、驚くほど澄み切った青空に包まれていた。


 水源守護の報せが届いてから一週間。差し押さえられていた川の水は、以前にも増してキラキラと輝きながら街を潤し、モリスさんの農園では、瑞々しい野菜たちが太陽を浴びて背を伸ばしている。


 ――カラン、カラン……


 お馴染みのベルの音が、静かな朝の店内に響いた。

 私は、オーブンの前でパンの焼け具合を確かめていた手を止め、顔を上げた。そこに立っていたのは、あの白亜の礼装ではなく、最初に出会った時と同じ、糊のきいた真っ白なシャツを纏ったアルベルトさんだった。


「……アルベルトさん」


「おはよう、リナ。……勝手に店に入ってすまない。どうしても、君に直接渡したいものがあって」


 彼は少し照れくさそうに、けれど真剣な眼差しで私を見つめると、懐から一通の封筒を取り出した。それは、上質な羊皮紙で作られ、王家の百合の紋章が金色の(ろう)で封じられた、重厚な招待状だった。


「これは……?」


「一ヶ月後、王都で開催される『建国記念祭・聖なるパン職人コンテスト』の招待状だ。……母上が、ぜひ君を呼びたいと仰っている」


 私は、思わず息を呑んだ。王都。コンテスト。それは、私のような小さな町のパン屋にとっては、星の彼方にあるような遠い世界の話だ。


「私が……王都へ?でも、私はこのお店があるし、街のみんなにパンを焼かなきゃいけないから……」


 戸惑う私に、アルベルトさんは優しく一歩歩み寄り、私の粉まみれの手をそっと包み込んだ。彼の指先は、あの夜と同じように温かく、けれどどこか強い決意を秘めていた。


「リナ。あの日、君が王宮まで届けてくれたパンが、冷え切っていた大臣たちの心を動かしたんだ。……母上はね、君のパンには『国を照らす光』が宿っていると言っていた。今の王都には、君が持つその温かさが必要なんだ」


「国を照らす、光……」


「無理にとは言わない。けれど、私は君に見てほしいんだ。私が守ろうとしている世界を。そして……君のパンが、どれほど多くの人を救えるのかを」


 窓から差し込む朝の光が、アルベルトさんの亜麻色の髪をキラキラと透かしている。その瞳のなかに、私は揺るぎない誠実さと、私への期待を見た。


(アルベルトさんの見ている世界を、私も知りたい。……私のパンが、もっと誰かの力になれるなら)


 胸の奥で、小さなおひさまがポッと灯ったような気がした。


「……分かりました。私、行きます。王都へ」


「……ありがとう、リナ。信じていたよ。コンテストまで少しの間、王都のパンを学ぶといい」


 アルベルトさんは、安堵したようにふっと表情を崩し、私の手をより強く握りしめた。


 旅立ちの日は、すぐにやってきた。店の前には、見送りに来た街の人たちで溢れかえっていた。


「お姉ちゃん、寂しいよー!王子様にいじめられないようにね!」


 ナナが泣きべそをかきながら、私のスカートの裾をぎゅっと握っている。モリスさんは、照れくさそうに鼻をすすりながら、大きな籠いっぱいの野菜と小麦を馬車に積み込んでくれた。


「リナ、王都の奴らに、俺たちの自慢のパンを見せつけてやれ!腹が減ったら、いつでも戻ってこいよ」


「ありがとう、みんな。……行ってきます!」


 私は、背負った籠の紐をきゅっと締め直し、慣れ親しんだ看板を一度だけ優しく撫でた。


 馬車が動き出す。遠ざかっていく街の景色。見慣れた丘も、あのキラキラした川も、朝霧のなかにゆっくりと溶けていく。


 数日の旅を経て、目の前に現れたのは、空を突くような尖塔と、白銀の城壁に囲まれた巨大な王都『ルミナリア』だった。


 石造りの巨大なアーチが、朝の淡い光を遮って、深い影を地面に落としている。その門をくぐった瞬間、私は思わず息を止めた。


 磨き上げられた石畳を、銀色の鎧を纏った騎士たちが規則正しい足音を立てて通り過ぎていく。並び立つ建物はどれも意匠を凝らした豪華なもので、街路樹の葉さえも、丁寧に手入れされてキラキラと輝いている。


 けれど、その輝きは、私の知っている「おひさまの温かさ」とは違っていた。どこか鋭く、美しすぎて、私のような者は触れてはいけないような、そんな冷たさを孕んでいた。


 案内されたのは、王宮のなかでも特に歴史があるという『王立第一厨房』。


 扉が開かれた瞬間、私は圧倒された。


 天井は眩しいほどに高く、白大理石の壁には繊細な彫刻が施されている。並ぶ調理台はすべて白銀で、最新式の蒸気機関を備えた巨大な鉄のオーブンが、幾つも並んで重厚な音を立てている。


「あら。あなたが、王妃様がわざわざ呼び寄せたという『地方の逸材』かしら?」


 不意に、氷の礫のような声が降ってきた。


 振り返ると、そこには背筋を定規で測ったように真っ直ぐ伸ばした女性が立っていた。銀縁の眼鏡の奥で、鋭い鷹のような瞳が、私を頭の先からつま先まで値踏みするように見つめている。


「王立厨房・副料理長のベアトリスです。……王妃様の独断とはいえ、このような『粉まみれの小娘』を神聖な厨房に迎え入れることになるとは。王宮の秩序も、随分と緩んだものですわね」


 ベアトリス様は、蔑むような視線で私のエプロンを一瞥した。それは、街のみんなの温かい手が触れた、私の誇りであるエプロンだったけれど、この白銀の空間では、確かにひどく汚れた異物のように見えた。


「あなたの席はあそこです。隅の、一番小さな台を使いなさい。……ここでは『想い』などという曖昧なものは、何の役にも立ちません。必要なのは完璧な計算と、伝統に裏打ちされた技術のみ」


 彼女が指差した場所は、窓から遠く、光が届かない、部屋の最も暗い隅っこだった。


 私の王都での戦いは、歓迎の声ではなく、冷たい拒絶の視線のなかで幕を開けた。


 私は、震える手で籠を下ろし、まだ見ぬ明日への不安を飲み込んだ。


(負けない。私は、みんなの温もりを持ってここに来たんだから……)


 けれど、その決意を揺るがすような王都の輝きが、すぐそこまで迫っていた。

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