完璧なる家畜
古来、有史以前より人間様は『食用』『使役』『愛玩』として他の生物を飼育してきた。
それらを総称して『家畜』と呼ぶ。
「愛玩はペットだろ」最近出来た言葉じゃボケッ!
彼等家畜は既にして自然環境で繁栄するのが難しい。
家畜を野に放つと、元々の原種と混ざり合って子孫は残る。
しかし品種改良された家畜という血統はそこで途切れる。子孫は原種との雑種であり、代を重ねる毎に血統は薄まっていく。
それでも、家畜は逃げ出す機会を狙っている。
『繁栄』とは『繋がれた栄え』
自然という地獄への逃亡は、彼等にとって未だ『自由は然り、繋がれた生より地獄での死』であるのかもしれない。
ここに完璧な家畜が存在する。
小さな虫である。
かつて、この小さな虫の為に『くわ畑』という地図記号があった。
カイコガ。
お蚕様──蚕には『お』と『様』をつけよ──は逃げない。
人間との数千年に及ぶ永きつきあいは、生存に関わる全てを人間に委託する事で成立してきた。
幼虫の頃、お蚕様は桑の葉をお食べあそばす。
そのおみ足はものに掴まる力が無い。
例え木の枝、葉の上に乗せてもお蚕様は掴まらない。ころりと転げあそばす。
『食べる時に葉を押さえておければそれでいいじゃない。何で枝を歩かなければならないの?葉は持ってきてもらうものよ』
平たい飼育台にお食事の桑を納めるのは奴隷である人間の仕事だ。人間は危険を顧みず屋外へ桑の葉を毎日採りに行く。勇敢な奴隷である。
蛹になるまでお蚕様は糞をなさらない。
『まぁ、私達高貴な生まれの者が糞など生涯に一度きりよ。毎日糞を撒き散らす不潔な猫と一緒にしないでちょうだい』
蛹になる直前に体内の糞は排出され、お蚕様は清潔なお身体で繭糸をお出しになられる。
『貴方、ぐずぐずしないで繭床を用意なさい。私これから逢瀬を楽しむ為に仕度しなくてはならないわ。美しく変身する私を楽しみにお待ちなさい』
純白の繭のなか、完全変態を遂げたお蚕様は繭を破り翼を広げる。
『翼?これは衣装よ。何故飛ばなきゃならないの?』
成虫となられたお蚕様は福々しいお姿をされており、やはりおみ足が弱く、翼の羽ばたきで勢いをつけてお歩きめされる。
そうして異性との逢瀬と産卵によってその生涯を閉じる。
※お亡くなりになったので下手な敬語をやめる。
成虫になってからは餌を食べない。成虫とは『大人』ではなく『卵を産む為の特殊形態』であるからだ。
その昔は糞をいろりの下に納め、一年後に収穫した。遠熱法による硝石製造。鉄砲の火薬、その材料である。
繭は茹で、生糸を収穫した。絹は人類史上最高の織材であり、宝石、貴金属と比べられる。
茹でられた蛹にも利用法があり、佃煮にして食用、粉末にして釣餌、堆肥に混ぜ肥料と用途に困らない。
お蚕様は逃げない。
人間が逃げない様に品種改良したのだろうか?
それともお蚕様自ら逃げる事を止めたのか?
逃げず、多目的に利用が出来、捨てるところが無い。
お蚕様は完璧な家畜と謂える。
『あら、完璧な家畜は貴方でしょ?ここまで尽くしてくれる家畜なんていないわ。茹でられるのは運が無いからよ、自然に生きていたらもっともっと死んじゃうんだから。人間は私達を繁栄させる家畜よ』
ごもっとも。
────ナマモノ、萬歳!
────────────────終。