最終話
ある日の昼下がり。
仕立ててもらったメイド服に身を包んだルチアは、食堂でテーブルを拭き終えたところだった。
腕を組んでルチアを見下ろしていたヴォルガンが、重厚な声で切り出す。
「ルチア。今日はお前に一人で買い出しへ行ってもらう」
「はい?」
「街道沿いの酒場に併設されている売店だ。あそこなら上質なハーブやお茶が揃っている。……屋敷のストックが切れかかっていてな。一人で行って来られるか?」
「はいっ! お任せください、ご主人様! 美味しいハーブとお茶を買ってきます!」
ルチアは嬉しそうに返事をすると、小さな買い物カゴを取りに行き、可憐な笑顔を見せて玄関から元気良く出て行った。
その姿を見送るやいなや、ヴォルガンは即座に自分の部屋へと向かった。
ヴォルガンは大きな体を隠すように黒い厚手のフード付きコートを羽織り、顔を深く覆い隠すと、息を殺してルチアの後を追いかけた。
——体長2メートル超えの巨漢が、物陰からぬっと顔を出して少女の後をつける姿は、どう見ても不審者以外の何者でもなかった。
一方、ルチアが目指す酒場兼売店に到着すると、店内は昼から大いに賑わっていた。
奥の売り場でハーブやお茶を選んでいるルチアの耳に、酒場コーナーで酒を酌み交わす客たちの話し声が聞こえてきた。豪快に木ジョッキをテーブルに叩きつけたのは、赤髪の女剣士カリンだった。
「おいおい、聞いたかよ!? あの大富豪ヴォルガンが最近若いエルフの娘を買ったらしいぞ!」
向かいに座る相棒のセシルが、呆れたように紅茶をすする。
「カリン、声が大きいわよ……。でもヴォルフ商会は法令遵守で有名よ。裏で怪しい噂は聞かないけれど……」
周囲の客たちも面白がって会話に混ざってくる。
「いやいや! あの強面だぞ!? 絶対に裏でえげつないことしてるって!」
「あいつの屋敷に入った奴隷が生きて出てきた試しがないんだろ!?」
「絶対、地下室に閉じ込めて夜な夜な酷い目にあわせてるに決まってるぜ!」
盛り上がる店内。そこへ、茶葉の袋を手にしたルチアが会計のためにレジへ歩み寄ってきた。
一瞬で静まり返る店内。カリンとセシルの目が丸くなった。
「おい……あの娘、ヴォルガンに買われたエルフの娘じゃねえか!?」
「噂の奴隷……!? 可哀想に、あんな小さな子を……!」
義侠心に溢れるカリンは、勢いよく立ち上がるとルチアのもとへ駆け寄った。
「おい、あんた大丈夫か!? あの化け物ヴォルガンに酷いことされてないか!? 怖がらなくていい、逃げたいならあたしたち冒険者が匿ってやるよ!」
客たちも「そうだぞ! 助けてやる!」と口々に声を上げる。
しかし、ルチアは逃げるどころか、眉をひそめてしっかりと首を振った。そして、仕立ててもらった綺麗な制服の胸元をキュッと正すと、真っ直ぐな瞳でカリンたちを見つめ返した。
「違います! ご主人様は、化け物なんかじゃありません!」
凛とした声が店内に響いた。
「ご主人様は……私に温かいご飯も、素敵なお洋服もくださった……世界でいちばんお優しくて、素晴らしい方です! それに……かわいらしいところもあるんですよ! だから、ご主人様の悪口を言わないでください!」
「……は? か、かわい……?」
きっぱりと言い放たれた衝撃のセリフに、店内はしーんと静まり返った。
(え……あのヴォルガンが……かわいらしい……!?)
あの「巨漢・強面・最恐」のヴォルガンに対するあり得ない評価に、カリンも客たちも開いた口が塞がらない。誰もが脳内で可愛いヴォルガンを想像しようとして激しい寒気に襲われ、引きつった顔で固まった。
そんな中、セシルだけが冷や汗を流しながら、じっとルチアの胸元を見つめてハッと溜め息をつく。
「……カリン、見なさい。あの刺繍……ヴォルフ家の正規の家紋よ」
「なっ……!? 家紋……!? じゃあ、正式な庇護下にあるってことかよ!?」
周りの客たちも青ざめてざわめいた。
「マジかよ……あの娘、一体どんな手を使ったんだ……」
「下手に手を出したら、ヴォルガン商会に社会的にも物理的にも消されるぞ……」
——ちなみにこの時、店の外から死にもの狂いで窓の隙間を覗き込んでいた変装ヴォルガンは、木格子の遮りと店内の喧騒のせいで会話が一切聞こえておらず、(な、なにを話しているんだ……? ルチアが絡まれているのか……!?)と一人でハラハラしていた。
無事にお茶とハーブを買い終えたルチアが店から出ようとすると、通りがなにやら騒がしかった。
「おい、そこのおまえ! なにをしている!」
武装した町の衛兵たちが、物陰に潜んでいた黒コートの巨漢を取り囲んでいた。
「な、なんだお前たちは。俺はただの通りすがりだ……」
低い声で怪しげに言い訳する巨漢。衛兵の隊長は、フードの隙間から見えた厳つい顎と眉間の深いシワを一目見るなり、あぜんとした。
「……あの、ヴォルガン様ですよね?」
一瞬でバレた。
「……チッ。何の用だ、衛兵」
開き直るヴォルガンに、衛兵は引きつった笑みを浮かべた。
「いや……少女の後をしつこくつける恐ろしい不審者がいると町人から通報がありまして……」
その言葉を聞いた瞬間、ヴォルガンの眼光が鋭く光った。
「なに……!? この街に、ルチアの後をつける不審者が潜んでいるだと……!? 許せん、どこにいる! 俺が叩き潰してやる!!」
——不審者はお前だ、と衛兵全員が心の中でツッコんだが、大富豪の迫力に誰も口を出せなかった。
その時である。
「……ご主人様?」
背後から突然かけられた声に、ヴォルガンはピタリと動きを止めた。
恐る恐る振り向くと、そこには買い物カゴを抱えたルチアが立ち、パチパチと瞬きをしながら自分を見上げていた。
「……な、何だ」
「どうしてそんなお姿で……? もしかして、私のあとをついてきてくださったのですか?」
「……戯言を。私は……この街の視察に来ていただけだ。お前など見ておらん」
必死にそっぽを向き、眉間のシワを限界まで寄せて威厳を取り繕うヴォルガン。
「あ……はい。そうだったのですね……」
(通報された不審な男って……絶対に、ご主人様のことだよね……)
そう確信したルチアだったが、あまりに真面目な顔で警戒の眼光を周囲に向けているヴォルガンの手前、口が裂けても言えなかった。そっと胸の中で笑いを噛み殺し、黙っておくことにする。
「買い出しは終わりました。一緒に帰りましょう、ご主人様」
「……ふん。貸せ」
ヴォルガンは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、ルチアの手から重そうだった買い物カゴを黙って取り上げ、大きな歩幅で歩き出した。
その様子を、酒場の窓から見ていたカリンとセシル、そして客たち。
あの恐ろしいヴォルガンが、小さなエルフの少女の横でバツの悪そうな顔をして、買い物カゴを抱えて歩いている。
カリンはゴクリと唾を飲み込んだ。
「おいセシル……見たか? あのエルフの娘……あの化け物ヴォルガンを、完全に飼い慣らしてやがる……ッ!!」
「……一番恐ろしいのは、あの男を操るあの娘かもしれないわね……」
この日を境に、街には新たなる尾ひれのついた噂が瞬く間に広まることとなった。
——『ヴォルガンの屋敷には、あの冷酷無比な大富豪を裏で操る支配者がいる』
——『彼女の前でヴォルガンの愚痴を言うと、社会的に抹殺される』
街の誰もが恐れる最恐の大富豪と、彼を愛おしそうに見上げる小さなメイド。
周囲の新たな勘違いをよそに、夕暮れの街並みを並んで歩く二人の影が、仲良く重なり合っていく。
すれ違いから始まった二人の物語は、これからも優しく、温かな日常の中でずっと続いていくのだった。
おわり




