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義賊のマテリア  作者: 夕日
老練なる者
102/102

2-033



宙を舞う、羽に黒と金の模様が刻まれた蝶が好きだった。

眼前をひらりひらりと舞いながら、花弁に止まった後に柵の向こうへと消えていく。さながら、人に悪戯をしてくすくすと笑いながら姿を消す妖精のようだった。

蝶を見た私の第一声。幼い記憶、私のその時の思考を憶えている。


「なぜ」、だ。


なぜ、蝶は空を飛ぶことができるのだろう。どうして私は、空を飛ぶことができないのだろう。

通常なら気にも留めない世界の真理。子供が見る幻想。

それでも当時の私は、その「なぜ」がどうしても気になってしまったらしい。

なんでもかんでも「なぜ」を両親に繰り返していた。

蝶はなぜ飛べるのか。羽があれば飛べる?ではなぜ羽があれば飛べることができるのか。

私にも羽があれば、空を飛ぶことが出来るのか。

蝶の羽に似た絹のカーテンを切り取って、腕に垂らすようにつけた後、屋敷の二階からジャンプしたのも微かながらに憶えていた。

確か、下にあった薔薇の花壇に落ちて擦り傷と切り傷だらけになったっけ。

いつだって、私は他者とどこかズレていた。

ケーキを食べれば、なぜクリームは白くて柔らかいのか。

花を見れば、なぜその花はその色で、その茎で、その葉の形なのか。

地面を見れば、なぜ地面の色が違う場所があるのか。

なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ―――


そう問いて。


―――そんなだから、私は全ての人に見捨てられた。


両親は私を毛嫌いし、妹たちは奇異の眼差しで私を見つめ、学園にいた同い年の子からは、「能無しリーシェ」と罵倒された。


それはその通りだろう。

「全」とは異なる者を受け入れる寛容さ。……そんな慈悲深い人間は存在しないことを、私はその時に知った。


……なぜ、なぜ、と反芻しても、私はその真理に至る術を使えない。


魔法。体内の魔力を励起させ、奇蹟を具現化する神秘の術。

私は、その適格者ではなかったのだから。


剣術も才能なしと家庭教師に断言され、魔法も全系統に適性は見られなかった。


―――あの視線を憶えている。


―――あの嘲笑を憶えている。


―――あの罵声を憶えている。


私には、何もなかった。

ただの、「能無しリーシェ」だった。


……でも。

でも、たったひとつだけ私にできることがあった。

フィロニアでは禁書と呼ばれた本を祖父の書斎で見つけて―――私はそれを何度も何度も読み返して実践した(・・・・)

私の居場所は、あの屋敷にはなかった。

私の居場所は、いつだって祖父の書斎だった。


でも、父のあの言葉は良いきっかけだったのかもしれない。

いつまでも、書斎を居場所とするのは祖父にも悪い気がしていたからだ。

だから、私は此処に来た。


クロスリードなら……あらゆるギルドを内包する、この都市ならば……私ができることを、役立てることができるかもしれない、と。


……だけど、私にはそんな度量などなかったのだ。


魔剣商人の男の子が現れて、あの堂々とした姿を見て、私は全てを悟った。

最初から臆病な者は、どこまでいっても臆病者なのだ。


私に、『自分』という自己を確立する権利などありはしない。

父から逃げるために此処にきた。自分のため(・・・・・)に。自分の才能を活かすためではない。


「クロスリードに行って何ができる」


父からの言葉は、私の心の中に存在する真実を貫いていた。



―――私は、何もできない正真正銘の無能なのだ。


どこに行っても、結局私は「能無しリーシェ」なのだ、と。




「―――よし……あとは……これを……」


夕日の差す窓際の席。自室の机の上で金髪を下ろしたシエラがピンセット片手に金属の部品と向き合っていた。

肘を置いて手の震えを押さえながら、繊細に円の隙間と隙間に、ゆっくりと部品を収めていく。

カチャ、と部品の嵌る音が静かな室内に響いた。


「よし、終わったぁ……!!」


ふー、と額の汗を拭って机の上に置かれた骨董品がごとり、と揺れた。あわあわ、と慌ただしくガラスを閉めて、シエラは手の内に収まった懐中時計を見る。


―――十一時五十九分五十九秒で止まっている懐中時計が動く気配はない。


「あ、あれ……壊れたところがまだあるのかな……これ以上分解すると元に戻せなくなっちゃうし、どうしよ……」


落とし物で処分しようと思っていた懐中時計。ローガンに許可を取って貰ってきたものだが、帰りに部品を買って今まで修理を行っていたのだ。


じー、と懐中時計を見つめてなんとか動け、と願うが、懐中時計の秒針はピタリと止まったまま動かない。


「……まあ、私の力で懐中時計を直すことなんて無理だよね」


はあ、と小さくため息を吐いて机の上に懐中時計を置く。散らばっていた修理道具をチラリと見た後、シエラは椅子の背もたれにぐぃっと背を預けて上空を仰ぎ見る。


祖父の書斎で見つけた本。あらゆる機巧の構築方法と、物理に従って動く金属部品の作用と力の働き方。

魔法が使えないシエラにとって、物理の力であらゆる極限を超えようとする機巧学は「なぜ」という知識欲を融かす素晴らしい学問だった。


しかし、機巧学は。


「フィロニアにおける禁忌……魔術神への冒涜かぁ……」


魔術国家であるフィロニアは、機巧学を禁忌としていた。

フィロニアを包む未知を否定する、悪辣な機械神の恩寵。悪魔と取引するならばまだいい。魔法を否定する鉄の神の恩恵など、魔王の力であってなんとする、と。


―――すなわち、フィロニアにとって彼女、シエラは異端者であった。


ローガンのはからいでなんとか早めに宿舎に戻ってきたというのに、懐中時計の修理にそのほとんどの時間を使用してしまったシエラは、またため息を吐き出した。


「……外で何か食べてこようかな……」


椅子から立ち上がって部屋を去ろうとしたが、机の上に置いた懐中時計に目をやって、それをポケットに入れる。


「ま、まだ直る……きっと直るよね!ち、ちょっと部品が足りなかっただけかもしれないし……近くのガラクタ屋で部品を買えば……」


だが、そこで部品の値段を考えて……


「って今月赤字……!?計算間違えたッ!?」


ひぇ、という情けない声を出した。部品そのものが希少鉱石なこともあり、がりがりっと貯金が消えてしまったのだ。がっくりと肩を落とす。


「うぅ……今日は固いパン……」


とぼとぼと、宿舎を出て近くにあるパン屋を目指す。髪を結んでいないことに気がついたが、宿舎に帰るのも面倒になってそのまま歩き出した。


夕方のクロスリードに行き交う人の間をすり抜けながらなんとか先に見えるパン屋に行こうとするが


―――視界が歪む(・・・・・)


「え―――」


周囲の異常に気付き、シエラはその場でぴたりと立ち止まる。


夕焼けのクロスリード大通り。


行き交う冒険者たち。


視界を埋め尽くすように照り返す夕陽の斜光。


行き交う人。


人。


人。


人。人。人。




―――その全てが、止まった(・・・・)


歩を進めていた人の全てが、糸で縫い付けられたように停止している。


「な、なに……これ……!?」


視線を動かさない人たち。地面に落ちようとしていた果物が中空で停止する。


カチリ、と大きな音がした。


突如として響き渡る秒針が進むような音。その音が自らのポケットの中から聞こえたことに気付いて、シエラはそれを取り出した。


真鍮の懐中時計。

先程、自分が修理していた懐中時計だ。


その秒針が、逆に進んでいる(・・・・・・・)


かちり、かちり、とゆっくりと鳴り響いていた秒針の音色は、加速するように速く、疾くなっていく。


まるで壊れたオルゴールのようにぎゃりぎゃりぎゃり、という大きな音を立てながら秒針は過去へと廻り続けていった。


「―――素晴らしい!素晴らしいよキミ!いやはや、まさかとは思ったけど、本当に適性者だとは!!」


そこで、男の嗄れた声が聞こえた。

咄嗟に後ろを振り向いたシエラは、その男を視認する。

全身に黒衣のローブを纏い、口元だけを覗かせた自分の身長よりもやや高い男だった。


「だ、誰……?これなにが起きてるんですか……!なんでみんな止まって……!?」


「ほぅ……適性者とは『理解』した者だと聞くがそういうわけでもないらしい」


「な、何を言って……」


「おや、おやおやおや?全く分からない、といった表情。困ったものだ……《魔剣》とは、その者を認めるからこそ、その力を為すというのに……キミはこの現象がキミ自身で引き起こしたことに気付いていない!いやぁ、大変愉快な事象だ!そう思わないか、ミリエル!」


大きく手を広げた男は、そこで沈黙する。

びくり、とシエラは大声を上げた男を身構えるが、その場で硬直したまま動くことはなかった。


「―――なに?お気に入りを処分された?ハハハ、何を言うんだい!代償とは状況を有利にするためには必要不可欠な事柄だ!あんなもの、あとでいくらでも造れるさ!クロスリードが矛盾に堕ちた後、いくらでも搾取すればいいだろう?矛盾の元で死霊術を試したいという欲望もあるんだろ?捻じ曲がった法則の下で、死霊はどう変質するだろう!ああ、楽しみだな、ミリエル!」


高らかに笑う男に、シエラは一歩足を退いた。


「あ、あなた……一人で何を言ってるんですか……?」


「んーおんやぁ?待ちたまえよ、適性者の少女よ。キミは確か……おお、おお、なんともまぁ数奇な運命だ!キミの顔を知っているぞ!愉快、愉快愉快愉快!実に愉快だ!そうかそうか、なるほど、そういうことか……」


「―――!」


「うん、うんうんうん!いいだろういいだろう!少女よ、訊いてくれ!この私、死霊術師エクディオ・ハイロウたった一度、たった一人に伝える言葉だ!」


ぞくり、とシエラの背筋が粟立った。死の感覚、危機の予兆。体がまた一歩後退して―――全速力で駆け出す。


「キミのような醜い顔をした雌豚は必ず殺してズタズタに斬り刻む」


恐ろしく、低い声。それと同時。

ごぼり、と男の足元が隆起すると、黒影のように折り重なった死霊の束が出現して地を奔る。


「―――ッ!!」


真横に飛んで死霊の影を躱したが、直線状にいた冒険者たちが巻き込まれて死霊に食い千切られた。

時が止まったように静止した世界で、その冒険者はただ真っ直ぐ前を見つめたまま喰われ続ける。


「おおっと、いけないいけない、僕としたことが貴重な実験材料を一つ失ってしまった。キミはいけない子だ、んん?素直に殺されてくれないか残影の少女よ。キミの顔を見ると、嫌なことを思い出してしまってね、何もかもズタズタに引き裂いてやりたくなるんだよ」


「や、やめて……ッ!」


「おお、やめるとも!キミが逃げるのをやめてくれるならね!そうすれば私の死霊がキミを喰い殺した後、優雅にティーカップを傾けるように落ち着いて死霊の材料の搾取を始めるよ―――ん?なんだい、ミリエル?……『矛盾』の開放?ああ、そうだ、そうだった、忘れていた……」


「な、なに……一体……誰と喋って……」


震える足をなんとか押さえながら、シエラは周囲を確認する。

誰もいない。いや、いるにはいるが、それは静止した冒険者たちだ。さらに全体を見渡すが、目の前の男と喋っているような人物は見つけられない。


「仕方ないなぁ、『矛盾』の開放が終わったら、この子、解体しちゃうよぉ?特に顔を念入りに解体しないとなぁ。両目をくり抜いて、耳は削ぎ落とさなきゃ。ああ、鼻もちゃんと削がないとねぇ、口は顎まで斬り裂いておけば、少なくともこの顔を見なくて済むだろうしねぇ?」


にやにや、と不気味な笑みを浮かべる謎の男に、シエラはそのまま硬直して動けない。足がガクガクと震え、力が入らなくなっていく。


(なに……なんで……私……殺されるの……ッ?)


殺気と憎悪。

恐ろしい負の奔流が、シエラを捕らえて離さない。


「じゃあ、まずは……両足を食い千切ってからにしようか、死霊たち!!」


ごぞ、と急速に肥大化した死霊が、地面を這いながらシエラを捉える。



―――呪いの津波が、シエラがいる領域全てを侵蝕した。



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