壱
霧深い山の中を、香流羅は一目散に歩いていた。周囲は邪気に満ち溢れている。
山全体には、異常な規模の結界。一体、誰が張ったのかは解らない。
規模からして、個人の張った物では無い。
大掛かりな結界装置と、大規模な人員を用いた結界だ。
結界を破るのに、三日も掛かった。破ると言っても、小さな穴を空けた程度。其れでも、人間一人が通る入口としては、問題は無い。尤も一日もしない内に、穴は塞がってしまうだろう。山中に人の気配は全く無い。代わりに死屍累々(ししるいるい)と築き上げられた獣達の屍が、無数に転がっていた。普通の山とは、明らかに一線を画している。
山の至る処に、魔徒の気配を感じた。一つ一つの気配は弱いが、其の数は百を越えているのは明白で在る。どうやら山全体が、魔徒の巣と化している様だ。
古の時代から、人々に魔窟として恐れられた此の山の何処かに、香流羅の目的の物が在る筈だ。
——人間よ、我にお前を喰わせてくれ。
猪に取り憑いた魔徒が、囁き掛けて来る。鼻の奥まで膠着きそうな腐臭が、胸糞の悪い気分にさせる。香流羅は嘆息しながら、周囲の殺気を窺った。
——我にも、喰らわせろ。
背後からも、魔徒の気配がする。
——否や、我に喰わせてくれ。
至る処から、魔徒が狙って来ている。揃いも揃って、胸糞の悪い匂いを漂わせている。そう、此れは死の匂いだ。
「香流羅ぁ……帰った方が、良いんじゃない?」
鷹の姿をした青丸が、不安げな声を投げ掛ける。
「情けない事を、言うな。赤丸、全部で何匹ぐらいだ?」
狼の姿をした赤丸が、鼻を効かせて魔徒の気配を探った。
「全部で八匹だ。前方に三匹。後方にも、三匹。上に一匹。最後の一匹は……」
隆起する土の気配を、鋭敏に感じ取って一同は飛んだ。
瞬時に青丸を、腕に宿らせる。青い光が羽根と成って、両の腕を纏う。小太刀で鳶に憑いた魔徒を斬り滅ぼして、光の羽根を前後の魔徒に送る。起爆札も織り交ぜた攻撃を受けて、散々(ちりぢり)に飛散し、消滅する魔徒達。残った土竜に憑いた魔徒を、赤丸が噛み殺していた。
「こいつ等は、只の雑魚だ。さっさと、目的の物を見付けるぞ」
「解ってるよぉ、香流羅ぁ〜!」
「なら、さっさと行くぞ!」
二匹の霊獣が、香流羅に附き従う。赤丸も、青丸も、神に与えられた神の眷属だった。
彼等を使役するには、氣を操る術を身に付けねば成らない。才覚の在る香流羅には、二匹の霊獣を使役する程の操氣術が在る。其れでも御法院の歴史で見れば、香流羅は未々(まだまだ)、未熟で在った。故に香流羅は力を求めている。目的を遂げるには、絶大なる力が必要だ。だからこそ、禁術に手を出そうとしている。
神に与えられた【天涯の書】には、龍脈の流れが記されていた。龍脈とは、大きな氣の流れで在り、氣は川の様に流れている。氣が集まる場所には、土地神が宿る。香流羅が契約している神も其の一つだ。此の書には、龍脈の歪みが生まれる場所と、其の周期が記されている。
そして【人外の書】には、氣を操る術が記されている。即ち、龍脈の氣を取り込み、己が力とする術が記されているのだ。
大きな氣を操る為には、魔徒の骨で造られた数珠が必要で在った。禁忌の秘術だが、習得すれば格段に強く成れる。自分は強く成らなければ為らない。
此の名も解らぬ山の何処かに、目的の物が祀られている社が在る。其れを見付ける迄は、山を降りる気は無かった。
静かな憎悪を胸に秘めながら、香流羅は屍の山を歩いていた。




