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捌
「危ない所やったな、六。喋らんで良いから、良う聞け。今の儘やったら、勝てん。もう、出し惜しみは止めや。世界戦の為に、取って置いた左を使え。そしたら、今日からお前がチャンピオンや!」
初老の男——猪狩勘十郎が活を入れる。初めて敗北を教えてくれた男。孤独の恐怖を振り翳す事しか出来なかった自分に、闘う術を与えてくれた。
無力だった自分に、ボクシングを与えてくれた。勝利を掴み執る悦びを、厳しく教えてくれた。本当に、感謝している。
野良犬だった自分を、変えてくれた。
志穂を護る為の力を与えてくれた。
幾ら感謝しても、足りない。必ず報いてみせる。
「次のラウンドで、決めて来い!」
背中を押す力に、心を押された。立ち上がる六の背を、志穂の声が突き刺さる。
「必ず勝って、私を迎えに来てっ……。ずっと……ずっと、待ってるんだからねっ!!」
志穂の眼には、大粒の涙が浮かんでいた。気丈な志穂が、涙を流すのは初めての事だった。
込み上げる想いを飲み込んで、六は拳を上げた。




