肆
「羅刹。誰かが、結界に入ったみたいよ」
「魔徒が現れたか?」
何処にも、邪悪な気配は感じられなかった。
「どうして、あいつが此処に居る?」
「どうやら、此処の生徒の様ね」
「そんな事を、聞いているんじゃない」
羅刹の視線の先には、刹那が居た。何故だか解らないが、苛立ちが秘めやかに心を撫でて、落ち着かなかった。こんな事は、初めてだった。思い通りに為らない感情を胸奥に押し込んで、刹那を睨み附ける。
此の結界の中には、普通の人間は入れない。矢張り、刹那には不思議な力が在る様だ。本人に其の自覚はないのだろうが、力を持つ者は魔徒に取っては極上の餌と成り得る。
つまり其れだけ、魔徒に狙われ易いと言う事だ。刹那がどう為ろうが、自分にはどうでも良かった。
「貴方、どうして此処に居るのよ?」
此方に気付き、刹那が怪訝な表情を向ける。育ちが良さそうな、穢れの無い瞳に見詰められて、思わず眼を背けていた。
「其れは、此方の台詞だ。どうやって、入って来た?」
「おかしな事を言うのね。私は、此処の生徒よ。普通に入って来たに決まってるじゃない。其れよりも、勝手に入って来たら駄目じゃない!」
羅刹が苛立ちながら、口を開こうとした時だった。
「魔徒が、学園内に入ったわ」
「誰?」
訝る刹那。
「奴は、何処に居る?」
そんな刹那を無視して、羅刹は口を開く。談論風発を始めている暇は無い。
「残念ながら、結界の中には居ないわ」
「どういう事だ?」
「何らかの力で、結界を中和しているみたい。厄介ね」
詰まる処、魔徒を結界内に閉じ込める事が出来ないと言う訳だ。
「其れに此処は、人が多すぎるわ。誰が魔徒なのか特定、出来ない」
「不味いな……」
羅刹は闘う以外の事は、全てが不得手で在った。
人の暗幕で遮蔽されている魔徒を、炙り出すのは至極困難だ。学校と謂う偏差的空間は、格好の隠れ蓑だと謂う訳だ。
「一体、誰なの。何処に居るの?」
困惑する刹那。
不思議そうに、辺りを見廻している。
「お前、タリムの声が聴こえるのか?」
刹那との齟齬に一々、苛立つ羅刹が問い掛ける。
「タリムって言うの?」
「どうやら、此の子。《禍人の血族》の様ね」
「矢張り、そうか」
《禍人の血族》とは神と呼ばれる存在と契約し、魔徒を倒す術を得た一族の事だ。其の存在は、神と呼ぶには余りにも禍々しい存在で在る。
此の世界には、数多の神々が存在している。其の土地に眠る神と契約した者は、力を得る為に対価を支払わなければならない。
《血の定め》と《地の掟》で在る。
《血の定め》に依り、禍人が得た力は、子や孫へと継承され続ける。当人の意思に関わらず、生まれた時から神に仕える事を宿命付けられるのだ。
そして、神の定めた掟を守らなければならない。《地の掟》は絶対で、抗う術はない。又、神の赦しなくして、其の土地の外に出る事も出来なかった。
「良い事を、思い付いた」
妖しい笑みを浮かべる羅刹。
其の視線の先には、刹那が居た。
「羅刹、貴方……まさか?」
「そうだ。こいつを、囮に使う」
「駄目よ、そんなの。危険だわ!」
「一体、何の話?」
当の本人は、至って暢気な様子だった。
「こいつは、魔徒に取って極上の餌だ」
「魔徒って、まさか。此の間みたいな怪物が又、現れたの?」
「そうだ。そいつは、此の学園の生徒に紛れている。放っておけば、罪もない生徒達が奴の餌食になる。まぁ、俺には関係ないがな」
冷淡な口調で、最後を締める。
「駄目よ、そんな事。放って、置けないわ!」
刹那は表情を強張らせて、喰って掛かった。
「私に出来る事なら、何だってする。だから、皆を護ってあげて。お願い、羅刹!」
真っ直ぐな瞳で、羅刹を見据える。其の瞳には、覚悟の光が灯っていた。
迷いの無い純粋な意気地に当てられて、羅刹の心は乱されていた。他人の為にどうして其処まで出来るのか、羅刹には理解、出来なかった。苛立ちは消え失せて、刹那に対する純粋な興味が残っていた。
「貴方の覚悟は、解ったわ。なら、私の分身を授けるわ、刹那ちゃん」
白く半透明な石が付いたペンダントが、虚空に現れた。
「其れを付けていれば、貴方を危険から護ってあげれるわ」
「ありがとう、タリムさん」
「なら、決まりだな。俺達は、此処で待っている。頼んだぞ」




