参
通報を受けて、燈は現場に駆け付けていた。
「おや、諸君。随分と大勢で来た様だが、少しばかり数が少ない様だな」
既に現場には、武装した警察官が、二十人以上も居た。此れは決して大袈裟な人数では無い。寧ろ、足りないぐらいだ。
相手は凶悪犯だ。何人か同僚が殺されている。どう謂う手段を用いているのかは解らないが、相当な人数が犠牲に成っている。
燈に取っては、絶対に見過ごせない完全なる悪だった。
「嫌だ、嫌だ……ふふふ。どいつも、こいつも……随分と殺気立っているじゃあないか?」
東山昭久は静かに語り掛ける様に、燈を見ていた。見た処、武器を所持している様には見えない。何処かに隠し持っているのかも知れない。
此の人数に囲まれているにも拘わらず全く、焦ったり動揺している様子は無い。寧ろ、余裕すら窺える。
「君は、私が憎いのかい?」
其の瞳の奥は、狂気の色に染まっていた。其の表情は、狂喜に歪んでいる。過去に関わった犯罪者は、反吐が出る程の屑が多かった。卑しい笑みを浮かべる者。無様に泣き喚く者。怒り狂ったり、狂言を宣う者など様々だ。けれど目の前の男は、其の何れとも違った。其の濃艶な狂気は、どす黒くて異常な気配を纏っている。
燈は吐き気がする程の異常な重圧を、全身に受けた。心の奥深くから絞り出された恐怖が、己の心臓を縛り附けている。激しい動悸と呼吸困難が、心肺の異常を物語っている。全身に纏わる異様な脂汗。氷附いた様に、身体が動かない。周りの警察官達も同じなのか、呼吸が荒れている。全身を発汗させながら、怯えた様な表情をしている。
驚くべき事に、此の場に居る全員が、眼の前の男一人に恐怖しているのだ。
「私はね……男には、興味が無いんだ。今回は、見逃してやるから、さっさと消えてくれないか?」
「ふざけるな。此れだけの人数相手に、抵抗は無駄だ!」
恐怖を振り払う様にして、燈は拳銃を構えていた。震える指先が、上手くトリガーを引けないでいる。
どうして、こんなにも恐怖に捉われているのかが、自分でも理解らなかった。
「おやおや。随分と……震えているじゃあないか。……ふふふ。怖いのかね?」
ゆっくりと、此方へと歩み寄って来る。
其の瞬間、其の場に居る全員が発砲していた。
鉛の雨を意に介さずに、歩き続ける東山昭久。
其れは、異常な光景で在った。
明らかに、被弾している。
其れなのに、掠り傷の一つも附かないのだ。常軌を逸している。
「鬱陶しいぞ、貴様等!」
東山昭久の一喝と共に、燈以外の全員が刃物で斬られたかの様に、全身がバラバラに成っていた。
「君は……悪が、憎いのかね?」
冷酷な声が、燈の心を撫でる。まるで冷たい刃物で、心臓を直接、撫でられている様だった。恐怖している。自分は今、犯罪者を目の前に——恐怖しているのだ。其の事実が、赦せなかった。
心の奥底から、悪を憎んでいる。目の前に在る巨悪が憎い。其れなのに、成す術が無い。そんな自分が憎かった。
ゆっくりと近付いて来る東山昭久。
身体が動かない。
「恐怖と憎悪を抱いて、逝くが良いッ!」
狂気に染まった笑み。
悪が堪らなく憎かった。
燈の心臓を、ナイフが貫いていた。
力無く倒れる燈を踏み付けて、東山昭久は笑った。




