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咎人の詩  作者: 81MONSTER(日本を代表する怪物)ポンコツ犬のタナトス
第一話【化物】

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壱



 全てが憎い。


 目に映る全ての者を、殺してしまいたい。残酷で、冷酷な想像が、頭の中を駆け廻(めぐ)る。気が狂いそうな程の憎悪が内側から、己の身を焼き崩す様な感覚に捉われる。


 胸中で憎悪の蛇が、蜷局(とぐろ)を巻いている。果てしもない憎しみが、どうしようも無く心を焼いて往(い)く。深く濃い闇が憎しみと共に、昏く淀(よど)んだ心に、澱(おり)の様に沈んでいる。粘着(ねんちゃく)質な執念にも似た憎しみの感情が、幸男の心に纏(まと)わり附(つ)いて離れない。全てを壊してしまいたい。己の内側(なか)の破壊衝動が、殺意と憎悪に結び附いて、どうにも度し難い。頭の中に在る果ての無い憎しみは、救い様がなく心を壊して往く。


 暗闇を懐中電灯で照らしながら、幸男(ゆきお)は工場内を歩いている。無機質な足音だけが、闇に木霊している。寒気(かんき)が肌を冷やしていたが、幸男の額には汗が滲(にじ)んでいた。暑い訳では無い。吐き気がする程に忌(い)まわしい記憶ばかりが、心を彩って往(い)く。


 今朝、工場長に三行半(みくだりはん)を突き附(つ)けられた。幸男の脳裏を、永井の言葉が蘇っている。


 ——もう、明日から来なくて良いから。


 見下した様な薄い笑みを浮かべながら、工場長の永井はクビを謂(い)い渡してきた。


 其(そ)の時に、永井を殺してしまいたいと思った。四肢を八つ裂きにして、腸(はらわた)を抉(えぐ)り出してやりたい。押し寄せる憎悪。滾(たぎ)る想いを直隠(ひたかく)しながら、心を押し殺す。陰鬱(いんうつ)な感情は、いつだって幸男の心の中に潜んでいた。


 幸男は脅えた様な、困惑した様な、そんな視線を泳がせている。抑え難(がた)い殺意を内に秘めながら、其(そ)の感情に気付かない振りをした。そうしなければ、気が触れてしまいそうだ。不特定多数の人間に、明確な殺意の感情を抱いていたし、自殺を考えた事も数え切れない程に在る。


 ——お前みたいな役立たずは、死んだ方が良いんじゃないか?


 生ゴミでも見る様な永井の眼を見て、憎悪に殺意の炎が灯るのが解った。殺してしまいたい。幸男の懐には、常に彫刻刀が隠されている。持っていると、心が落ち着くからだ。其(そ)の彫刻刀を遣(つか)って、永井の喉を裂いてしまいたい。滅多刺(めったざ)しにして遣(や)りたかった。


 ——何だよ、其(そ)の目。俺が殺してやろうか?


 幸男の胸倉を掴み上げながら、永井は声を低くする。


 周囲の嘲笑(ちょうしょう)の声。


 冷やかな視線。


 其(そ)の全てが、憎かった。怨めしかった。周囲の人間を、鏖(みなごろし)にしてしまいたかった。


 吐き気がする様な腐った空気が、幸男の感情を激しく狂わせる。そんな狂気を無意識の内に押し込めて、幸男は涙を浮かべている。


 逃げる様にして、幸男は家路に着いていた。


 幸男は永井への復讐を誓った。


 今夜、自殺をしようと心に決めた。


 遺書には地獄の様に悲惨な半生。そして、永井達への怨みの言葉を書き殴っていた。


 思えば何一つ、良い事なんてなかった。


 幸男は己の人生を呪い。己の境遇も又、呪った。


 母子家庭に育った幸男は、父親が誰なのかが解らない。


 名前も素性も知らない破落戸(ごろつき)との間に生まれた子供だと、スナックに勤める母は謂(い)っていた。幼い頃の記憶が、頭の中を過(よ)ぎって往(い)く。


 ——アンタは、此(こ)の世に産まれちゃいけない子だったの。


 感情の籠(こも)らない声音が、幸男の心を冷たく撫でる。冷ややかに、憎しみの種が散蒔(ばらま)かれていた。まだ幼い幸男の頬に、母は煙草の火を押し附(つ)ける。


 ——アンタの父親は、何処(どこ)の誰とも知れない行きずりの男。


 いつも同じ事を謂(い)いながら、母は幸男に虐待を繰り返した。


 ——アンタなんて、死んでしまえば良いのに。


 何度も同じ言葉を浴びせながら、何度も何度も母は幸男を虐(しいた)げ続けた。


 ——アンタは、私の子供なんかじゃない。


 冷たい視線を投げ掛ける母。


 ゴミ袋に首から下まで入れられた状態で、幸男の幼い体は縛られている。


 幸男は母への情を保つかの様に、母への憎悪の念を必死で振り払う。其(そ)れでも憎悪の種は、確実に心の奥底に根付いていたし、育っていたのは間違いなかった。


 長い年月を掛けて、幸男の心には様々な人間への憎悪が蓄積していった。


 幼い頃から、幸男は周囲の人間に苛められていた。


 ——ほら、ワンって鳴いてみろよ。


 ガキ大将のタケシが、四つん這(ば)いに為(な)る幸男の顔を蹴り衝(つ)ける。熱にも似た衝撃が、鼻頭に触れる。まるで火花が弾ける様に熱かった。自然と涙が溢れ出して、憎しみが込み上げて来た。


 ——ポチ、あそこにエサが落ちてるぞ。


 犬の糞を指差しながら、タケシは笑っている。


 周囲の嘲(あざけ)り声。


 残酷な子供達。


 無関心な大人達。


 ——早く、食えよ。


 囃(はや)し立てるタケシ。


 期待と奇異の眼差し。


 込み上げる殺意。


 抑え難(がた)い憎悪を、子供ながらに捻(ね)じ込む様に飲み込んだ。


 殺してしまいたい。


 けれど、押し殺した。


 感情を塞(ふさ)ぎ、己を殺し、幼い幸男は犬の糞を口の中に含ませる。ぬちゃり……とした感触が、口の中を満たしている。吐き気が込み上げる様な異臭が、鼻腔(びこう)いっぱいに広がった。胃液が逆流して、据(す)えた様な何とも謂(い)えない味と相まって、心をどす黒い何かが満たしていく。


 ——こいつ、本当に食いやがった。


 殺してやる。


 気味悪そうに、タケシは逃げていった。


 殺してやる。


 周りの子供達も、タケシを追う様にして逃げていった。


「殺してやる!」


 幸男の絶叫が、工場内の闇に木霊した。


 永井も母も皆、殺してやる。


「殺してやるぅぅぅーっ!」


 ガソリンを撒(ま)き散らしながら、狂った様に叫んでいる。


「皆、殺してやるぞぉ!」


 ——なら、俺が協力してやろうか?


「何だ! 何処(どこ)にいる?」


 何処(どこ)からか、声が聴(き)こえてきた。男の低い声だ。


 ——殺したい程、憎いんだろう?


「誰だ……。何処(どこ)にいる?」


 工場には、誰もいない筈だ。


 辺りを懐中電灯で照らすが、誰もいない。


 其(そ)れなのに、声が聴(き)こえる。


 ——俺が、最高の快楽を教えてやろう。


 何かが己の内側(なか)に、ゆっくりと入ってくる様な感覚がした。


 不思議と恐怖はなかった。良く目を凝(こ)らすと、黒い靄(もや)の様な物が全身を包んでいた。


「本当に皆、殺す事が出来るのか?」


 黒い靄(もや)に問う。


 もしも本当に、永井や母を殺せるの為(な)らば、迷う迄(まで)も無かった。復讐を果たせるので在(あ)れば、鬼でも悪魔にでも魂を売り渡そう。其(そ)れ程に迄(まで)、己の人生には救いが無い。一人残らず、殺してしまいたかった。


 ——約束しよう。


 此(こ)の世の者とも知れない声に、幸男は心を委(ゆだ)ねていた。


 声の申し出は、とても魅力的だった。今まで味わった事のない様な、安心感を抱いていた。


「解った」


 忌憚(きたん)の無い言葉を発すると、ゆっくりと眼を閉じた。


 靄(もや)は幸男の内側(なか)へと入っていった。心に掛かった煙霞(えんか)が晴れる様な想いが、心を満たして往(い)く。心地良く、心が洗われて往(い)く様だった。迷いも惑(まど)いも、微塵(みじん)も無く消え失せていた。


 ゆっくりと眼を開くと、幸男の哄笑(こうしょう)が工場内に轟(とどろ)いた。


「清々(すがすが)しい。晴れやかな気分だ!」


 爽やかな笑みを浮かべて、幸男は生まれ変わった世界を眺めた。




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― 新着の感想 ―
全員殺したいと思うことありますよね。幸男に救いがあってよかった。
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