水晶玉の中の話・下
「盛ってるっていうか、絶対嘘はいってるよね。十年以上育ててきた我が子が、会ったことも話したこともないロべチューバ―に傾倒するくらいだし」
「わかります!どうせ『アンタなんか産まなきゃよかった!!』とか言っちゃったんですって。じゃないとありえないでしょ。お子さん、可哀想」
「ああいうのって、ネットの中の話かと思ってたんだけど、リアルで本当にいるんだな~。聞いててちょっと引きましたよ」
「ねー。ロべチューブのサムネではよく見かけるけど、現実はみんな心でどう思おうが、表面上は取り繕ってるもんね」
「それ!あんなのってごく一部なのよ。それを、全ての総意みたいに言う人がいるから、○○さんのお子さんみたいな怪物が生まれるのよ!」
「でもでも、コメントで言う人はいるだろうけど、親に面と向かって言う人がいるとはって感じでビックリよ。……ああ、だから怪物なのか」
「まあ、あの表六ってロべチューバ―、チラッと見ただけだけど、かなり人気ではあるんですよね。それこそ、動画内で本人が馬鹿にしてた宗教並みに」
「それにしたって、異常よ」
「というか、二年も何してたんだよって話。そうやって、子供を導けないから、どこの馬の骨かもわからないロべチューバ―に負けるのよ」
「でも、顔色はかなり悪かったですよ~。ストレス溜めすぎて、前に新聞で読んだ虚血性ナントカにならないといいけど」
「大丈夫よ。ああいう人が、なんだかんだ一番図太いんだから。どうせ、子供の反抗期が終わったら、ケロッとするわよ」
姦しい笑い声が、頭を支配する。
『違う!』と扉を開けるべきなのは、分かっているのに。
「てか見た?私が男に対して愚痴ってた時の顔。メチャクチャ嫌そうな顔してなかった?……結局、○○さんも同じなのよ。似た者親子」
「同じ?」
「『分かってくれない、分かってくれない』って言いながら、私がこうして愚痴るのは嫌なのよ。分からないから。……やっぱ、『温室さん』は違うわね」
「わかる!旦那さんもお姑さんも優しい人だって前に話してたし、舅さんは結婚して二年後に亡くなってる。お姑さんだってもう亡くなったから、怒鳴られる心配も介護の心配もない。だから、ああ言えるのよね」
「ちょっとズルいよね~。恵まれた家庭で育って、恵まれた旦那に巡り合えて。その上、嫁姑も親戚間のトラブルもない。……分けて欲しいくらい」
「わかるわかる!絶対、私たちの愚痴を聞いている時、心の中で『こうすればいいのに』『○○したら?』って思ってるよね!『私だったら――』って!!」
「それができたら苦労しないんだっての!!……って言うのが分からないのよね~。あの人、ズルいから、何にも分からないのよ」
「そう、それよ!ズルいのよ。今までずっとズルかったんだから、多少痛い目を見ないと。私たちだけが貧乏くじを引くなんて、不公平」
(……ズルい?幸せだったことが?)
「もし、本当にお子さんが産婦人科に殴り込みに言ったらヤバいですよね。今なんて秒で世界中に知れ渡るから、非難轟々になりそう」
「ほんとそれ。……ま、私たちに迷惑がかからなかったら、どうでもいいんだけど。むしろ、お子さんが世間に袋叩きにされたら、ざまあって笑ってやるわ」
そこから先、どうやって仕事を終えたのか覚えていない。
◇◇◇
シフトの関係で、三時半に寺を出る。
「夢、パパが荷物を持つよ。ほら、全部渡しなさい」
「……ありがとう、パパ」
仲の良さそうな親子とすれ違う。
あんな頃が、私にもあったのだ。
家に帰りたくなくて、少し遠回りをして、とある公園に立ち寄った。
俯いていた顔を上げると、門前に一人の男の子が立っているのが見えた。
あの子があんな事を言い出したのは、あの男の子くらい……いや、もう少し上だったかしら?
男の子は少しの間、感情をそぎ落としたような目で門を見ていたが、私に気が付くと、「こんにちは……」と頭を下げて去って行った。
『こんにちは』
たったそれだけのことで、なぜか涙が出そうになった。
フルフルと首を振り、ベンチに座る。
休日だというのに、公園には誰もいない。
……あれ?注意書きの文字が読めないわ。どうしてかしら。
読めてはいるのに、意味が頭に全く入ってこない。
初めて、バイトを辞めたいと思った。
でも、できないわ。
あの子が将来困らないように、お金を溜めないと。
『結局金かよ、ダサッ』と前に言われたけど、もう思いが届かない以上、私が届けられるモノなんて、それくらいしかないの。
ズルい、ズルい、ズルい、ズルい………………
巻き戻しボタンでも押しているかのように、同じ言葉が頭に響く。
「ごめんね、涼多。重いのに……」
「平気だよ。気にしないで」
見知った顔が、門の傍を通り過ぎた。
ひょろっとした腕で、なにやら重そうな袋を二つ持っている。
時間の都合上、一度しか一緒になったことはない(向こうが覚えているのかは知らない)が、あの子も果無寺のバイト仲間だ。
気づかれたくなくて、帽子を深くかぶり横目で彼らを見た。
母親らしき人は穏やかな笑みを浮かべ、息子と笑い合っている。
子供を働かせて!!!
思わず、そう叫びそうになってしまった。
あなたみたいな人がいるから、私は『労働力の為に子供を産んだんだろ!?』って実の子から言われたのよ!!!
母親は優しく、愛おしそうに腹を撫でている。
それを見て、出てきた言葉は『可哀想に』だった。
どうせ、どんなに優しくしたって『本能』『親のエゴ』で片づけられるのよ!!きっと、息子さんもそうなるに決まっているわ!!!
そんな思いを抱いた自分にゾッとする。
ああ、表六さえいなければ、こんな辛い思いをすることはなかったのに。
『そうやって、すぐに誰かの所為にするんだな?』
我が子の声が頭に響く。
「……うっ、ううっ、………………っ」
形容しがたい感情が押し寄せてきて、気づけば私は泣いていた。
『あーあ、お前も生まれさえしなきゃ、こんな風に涙を零すことはなかったのになぁ。……人生、否定されちゃったねぇ』
違う。あの子はここまでのことは言っていない筈。
それなのに、こんな事を考えてしまうなんて。
(なんて、私は――)
「あの、大丈夫ですか?」
目の前に、すっとハンカチが差し出された。
訳が分からず、ゆっくりと顔を上げる。
兎火君と同い年くらいの、枯草色の髪をした男の子が立っていた。
心配そうな眼差しを私に向け、「……その、良ければ、これ使ってください」とハンカチを差し出している。
ああ、この子は確か果無寺の近くの『お城』に住んでいる子。
家の門から出てくるところを、何度か見たことがあった。
……こんなオバさん、放って置けばいいのに。
涙で滲む視界で、そんな事を考えながらハンカチを見る。
白い無地のハンカチ。
でも、『良い物』というのが一目でわかった。
そんなハンカチを、私の涙で汚してはいけない。
袖で涙をぬぐい、無理矢理、笑みを作る。
「御親切に、ありがとうございます。……でも、大丈夫です」
「………………そう、ですか」
目の前の子は少し迷った表情を見せたが、ポツリと呟くと立ち去っていった。
ああ、私も家に帰らなくちゃ。
◇◇◇
恐る恐る、家の扉を開ける。
玄関に靴が無いのを見て、ホッと安堵の息が漏れてしまった。
そのことに自己嫌悪しつつ、リビングへと入る。
一歩足を踏み入れた時、ギュウッと心臓が掴まれたような感覚に襲われた。
テーブルの裏側が目に入る。
どうやら、私は倒れているようだ。
それを認識する暇もなく、視界がどんどん暗くなっていく。
バタンと、玄関のドアが開く音がした。
「おー!了解了解!明日、□時に映画館前な!!いやー、長かった。前のヤツから、何年経ったっけ?マジ楽しみ!!」
良かった。楽しそうな声。
もう何も見えないけれど、なんだかとっても穏やかな気持ち――。
『○○さんの気持ちが分かったか?』
◇◇◇
「………………っ!!」
バチッと電流が体を駆け巡り、俺は飛び起きた。
勢いあまって、目の前の透明な壁に頭をぶつける。
ああ、そうだ。ここは水晶玉の中だった。
事故で死んだ俺は、×××をした罪で地獄に落ちた。
しかし、俺が行く地獄が満員らしく、こうして待機している。
これで、こいつの人生を追体験するのは三回目だ。
水晶玉の隅で、ホログラムのように浮かんでいる数字を見る。
俺が水晶玉の中で過ごす時間は、あと三年と十時間。
さっきの五十余年の人生を追体験し始めてから、三十分も経っていない。
俺を水晶玉に入れた奴が、スピリチュアルなことをグダグダ抜かしていたが、正直なところ半分も理解できなかった。
ただ、これだけは理解できる。
まだ、終わらない。
ふざけるな!
心の底から、そう思う。
俺はただ、あのババアの子供のコメントに、コメントを返しただけだ。
※ガキに見せられたスマホに、俺のアイコンが映っていたから分かった。
そこには『ちゃんと償いをさせろ』と書かれていた。
「くそっ!!」と叫び、水晶玉の壁をドンと叩く。
人生を追体験させるなら、子供がすべきだろうが!
なんで俺なんだよっ!!
「つか、あれぐらいで精神病むのがおかしいんだよ!……しかも、俺たちが悪者みたいに。悪いのは親だろうがっ!!」
そりゃあ、あんな平和な人生を歩んで来たら、平和ボケできるよな。
俺の人生は、そんな風にはなれなかったんだよっ!!
「だから、ストレスを発散して何が悪い!アレくらいのコメントもできなくなるようじゃ、なんにも発信できない世界になるだろっ!!弱い奴に、いちいち合わせていられないんだよ!ヘラる奴が悪いんだ!!!」
『こんな世界に産み落としたんだから、死ぬまで償わせるべき』
『いっそ、産婦人科に行って、真実を伝えてみたら?』
そんなことを書き込んだ。
でも、それ以上の事は何もしていない。
ガキが勝手に暴走しだしたんだ!
あの程度で本気になって、親に当たるガキが悪い!俺は悪くない!!
……っと、こんな事を考えている時間は無い。
手の中にある、『追体験切り替えスイッチ』を見る。
一回のついた意見が終わると、十分間の休憩があるのだ。
その間にスイッチを押せば、他の誰かの人生に切り替わる。
もう、色々な奴の人生を、十は体験した。
『袖振り合うも他生の縁……アンタが関わった、誰かの人生を見ることになるよ。ずっと同じ人を追体験するのも飽きるでしょう?』
あいつはそんな事を言っていたが、俺はどうするべきか迷う。
関わったの範囲が広すぎるし、選べるわけじゃない。
でも、このまま何もしなかったら、またあの人生だ。
物心がついて、小学三年生の時に線香花火が足に落ちて火傷をして、友達と遠足のお菓子を買いに行って、足の速い男子生徒を(実りはしないが)好きになり、中学生になったら、テスト中に腹痛を起こし、絵画の賞をもらい、受験勉強をし、高校合格祝いの腕時計を父親から貰い、友達と喧嘩をし、電車で一度だけ痴漢に遭い(泣き寝入り)、大学に進学、就職先でお局様から嫌味を言われ、見合いで結婚をし、姑問題がなさそうなことに安堵し、子供ができたことに夫婦して喜び、重たいお腹を抱えながら生活し、愛おしさで何度も腹を撫で、旦那が心配してくれることに礼を言い、例えようもない痛みの中で子供を産み、生まれてきた子供を見て感動の涙を流す、そして――。
嫌だ。
もう、あの人生を送るのは。
一度目は蹲っているうちに十分が経過してしまった。
二度目は『見せるなら元凶だろうがっ!』と怒っていたら。
でも、他の人生も嫌だ。
別の人生の俺は、とある県の○○部に所属する女子高生だった。
平和に暮らしていたが、ある日、顔も知らぬ男たちに車に連れ込まれ――。
『こいつ、○○部の主将なんだよな?ザッコw』
そのテの事件を取り扱う動画のコメント欄に(批判コメントがきたから削除したが)そう書き込んだ。
でも、書き込んだだけだ。
すぐに消したし、今の今まで忘れていたことだ。
別の人生は、まだ自分が体験する理由が理解できた。
盲導犬を連れた、アイツ。
小雨の降り出した横断歩道で、俺の隣に立った。
ただ、それだけだった――。
その前の日に上司に怒られたのと、急に雨が降ってきたのとで、かなりイラついていたのに加え、俺は犬が嫌いだった。
周りをぐるりと見渡すが、誰もいない。
だから、『邪魔なんだよ!』と大声で怒鳴った。
でも、本当にそれだけだ。それ以上のことはしていない。
昔ニュースで見た、犬に煙草を押し当てるみたいなことは。
それなのに、なんでアイツの人生を歩まなけりゃならないんだ?
見えない恐怖を体験するなんて、まっぴらごめんだ。
また別の人生では、女ばかりの家庭で育った男だった。
アイツのことは知っている。
中学の時のクラスメイトだ。
妙にナヨナヨしていたので、いじめっ子から目をつけられた。
時代が違えば、また違っていたのかもしれないが。
『お前って、アレついてんの?』
ズボンを下ろされ、涙目になっているアイツを、俺は遠巻きに笑った。
でも、それだけだ。……ああ、一回だけ軽く蹴ったくらいだ。
それ以外は関わらなかった。そんな俺が、どうしてこんな目に……!!
「だいたい、アイツも外では男っぽく振舞う努力をしたら良かったんだよ。あの時代に、自分の態度を変えない方が悪いだろ!絡まれた時だって、たかが五、六人程度、反撃してやればよかったんだ!それを、男のクセに俯いて――」
挙句の果てに、生まれた子供に語るだなんて。
ただの悪ノリを、大袈裟に。
「大の大人が、昔のことをいつまでも引きずってんじゃねーよっ!!……そりゃあ、追体験したからアイツの気持ちは分かるさ。だからって、こっちが悪いみたいに……。俺も他の連中も、とっくの昔に忘れてんだよっ!!根暗が!思い出させやがって!!!」
そもそも、お前は人生成功している方じゃねーかっ!
学生時代の事なんて、水に流して然るべきだろっ!!!
アイツの人生もまっぴらごめんだ。
屈辱では言い表せない『何か』に押しつぶされそうになる。
ああ、早くどうにかしなければ。
でも、どうすればいい?
ランダムに切り替わるというのなら、また彼らの人生を歩む羽目になる。
絶対に嫌だ。でも、この人生も嫌だ。
ここが地獄というのなら、平穏無事に終わる人生は体験できないのだろう。
分かっているから、スイッチを持つ手が震える。
「畜生、なんで俺がこんな目に遭わなきゃ――」
「もう嫌あああああぁぁあああ!!!」
隣から、絹を裂くような女の絶叫が聞こえてきた。
顔は知らないが、声は休憩時間に何度か聞いたことがある。
ずっと、同じ奴の人生を体験してるんだな。
お陰で、話をしたこともないのに、バックボーンが分かってしまった。
「なんでっ!なんで私がこんな悪者扱いされなきゃいけないのよぉ!……『霊感がある』だなんて、誰だって嘘だと思うじゃん!!私は悪くない!!」
でも、お前はそれでイジメたんだろう?
霊感があるからと言って、『あなたの肩に悪い霊が』と不安を煽ったり、『私、霊感があるの凄いでしょ』とイキることもなく、ただ教室の隅っこでひっそりと生きていた相手を、偶然、霊感とやらがあると知っただけで。
「だってだって、仕方ないじゃない。あの子の持っていた漫画本を捨てて来いって、あの子の机の中に■■を入れろって言われたんだから!断ったら、私がイジメられるじゃない!!」
だからって、許されるわけないだろう?
自分と見えている世界が違うからと言って、一方的に攻撃するなんて。
「それに、私はそれ以上のことはしてない!……頭に牛乳かけた奴の方が悪いでしょ?私は、友達と遠くから笑っただけよっ!!空気読んで何が悪いの!?」
立派な加害者だ。
それに気が付かないなんて、憐れな奴だな。
「私だって、あの子が小学生時代に酷いイジメをうけていたって知ってたら、もうちょっと考えたわよ!普通然とした態度のあの子が悪いのよっ!!」
悲しい過去があればいいのか?
それがなくて『普通』に暮らしてきた奴なら、イジメていいのか?
「だいたいなによ!大学生にもなって友達にイジメの事を話すなんて!あんなのとっくに時効じゃない!いつまでもネチネチと引き摺って……!!」
はあ、救いようのない女だな。
どうして、俺の隣にいるんだ?もっと相応しい場所があるだろ――。
いや、そんな事を思っている時間は無い。
どうすれば、この地獄が終わるんだ?
涙を流して、悔い改めたらいいのか?
冗談じゃない!なんで俺が悪者扱いされないといけないんだ?
そこまで考えて、ハッとする。
これは罰でもなんでもないという事を、思い出した。
ただの『待機時間』。
なにも始まってすらいないのだ。
病院の待合室で、ぼーっとスマホを弄ったり、テレビを見るのと同じ。
別に反省しなくてもいいし、相手の気持ちを理解する必要もない。
ただの『暇つぶし』に追体験しているだけなのだから。
元凶共が追体験すべきだと思ったが、奴らは×××を犯したのだろうか?
そうでないなら、この水晶玉に入る必要はない。
なんて不公平なんだっ!!
そんな怒りも、すぐに萎んでしまう。
この待機時間が終わったら、俺はどうなるのだろう?
地獄だ天国だ、詳しくないせいでよく分からない。
ただ、切り刻まれたり血の池があったりするのは知っている。
知っているからと言って、どうなるわけでもないが。
ビ――――――ッ!!!
ああ、休憩時間が終了してしまった。
また、あの五十余年の人生を歩むのか?
嫌だ!もう嫌だ!!許し――
◇◇◇
「○○ちゃん、どうしたの?ぼーっとしちゃって」
「え?……ううん、なんでもない」
「そう?じゃあ早く、遠足のお菓子買いに行こ!」
「うん!」